006話 初依頼Ⅱ
薬草を手にとろうとしたその瞬間、周囲の草むらがガサガサと大きく揺れた。
ライノ「秀、下がれ! 来るぞ!」
ライノが大剣を構えて前に飛び出し、エルナも素早く杖を構える。
草むらから飛び出してきたのは、鋭い牙と赤く光る目を持った小型の魔獣——「ゴブリン」の群れだった。その数は4、5匹ほど。腰には粗末なナイフを下げ、不気味なダミ声で威嚇しながら僕たちを取り囲むように散らばっていく。
エルナ「薬草の群生地を縄張りにしていたようですね。油断しないでください、連携して叩きます!」
ライノ「へっ、ちょうどいい準備運動だ! 秀、合図を出したら後方からサポート頼むぜ!」
秀「了解! 召喚の準備に入る!」
僕は落ち着いて息を整え、体内の魔力を練り上げ始めた。パーティーを結成して初めての戦闘。仲間と力を合わせ、僕たちの最初のクエストがいよいよ本格的に始まった。
ライノが勢いよく踏み込み、大剣を一閃して先頭のゴブリンを弾き飛ばす。
ライノ「ハッ、手ごたえナシ! 秀、次がそっちに行ったぞ!」
側面に回り込んできた1匹が、奇声を上げながら僕に向かって飛びかかってきた。
秀「焦るな……引きつけて……!」
僕は冷静に距離を見極め、右手に少量の火属性魔力を込めると、そのまま素手に近い形でゴブリンの胸元へ突き出した。
ドカッ!
爆発の衝撃波を掌から直接叩き込むような、手軽な近接魔法攻撃。直撃を受けたゴブリンはそのまま吹き飛び、樹木に激突して動かなくなった。
エルナ「魔法を直接打撃に乗せるなんて……大雑把に見えて、無駄のない見事な魔力効率です」
ライノ「へへっ、適当に戦ってるようで息がピッタリじゃねえか! 残りも片付けるぞ!」
【上位化】で感覚が研ぎ澄まされているおかげか、敵の動きが驚くほど遅く見えた。僕たちは苦戦することもなく、残ったゴブリンたちをあっという間に掃討していった。
裂け目が走った瞬間、空気の質感が一変した。
バリバリと空間をを引き裂くような不快な重低音が響き渡り、視界の端で現実の背景が歪む。割れた虚無の隙間から溢れ出してきたのは、これまで対峙してきた雑魚とは明らかに格が違う、濃密で禍々しい漆黒の霧だった。
「――嘘だろ、おい……!」
霧が形を成すと同時に、猛烈なプレッシャーが周囲を支配する。姿を現したのは、巨躯を誇る足の生えた獣型の影。その全身からは赤黒い眼光のような光線が漏れ出し、ただそこに立っているだけで大地が腐食していく。
影獣が低く咆哮を上げると、発生した衝撃波だけで周囲の樹木がなぎ倒され、足元の土壌が捲れ上がった。
反撃のために構えようとした腕が、金縛りに遭ったかのように重い。圧迫感が胸を押し潰し、息を吸うことすら困難になる。先ほどまでの余裕は粉々に打ち砕かれ、圧倒的な力の差という不条理な現実だけが目の前に突きつけられていた。
影獣がゆったりと、しかし避ける隙すら与えない絶望的な速度で巨大な前脚を持ち上げる。その影が完全に自分を覆い尽くした。
「ひれ伏せ、虚妄の獣よ」
死を覚悟したその瞬間、しわがれつつも朗々と響く声が森全体を揺らした。
一筋の鋭い閃光が空を裂き、絶望的な圧迫感を解き放つ。振り下ろされかけた影獣の巨大な前脚が、まるで最初から存在しなかったかのように一瞬で蒸発した。
咆哮を上げる暇すら与えられず、黒い巨躯の半身が光の濁流に飲み込まれて消し飛んでいく。
煙が立ち込める激戦の渦中に突如現れたのは、あの長い旅路を共に歩んだ老爺だった。杖を片手に、静かな眼差しで倒れ伏す影獣を見下ろしている。
「ふむ……少々冷や汗をかかされたわい。無事か、秀、それに若き冒険者たちよ」
老爺が軽く杖の先で地面を突くと、残されていた影獣の残骸までもが綺麗な光の粒子となって消散し、狂っていた空間の歪みが急速に修復されていった。
圧倒的な力の差で見せた影獣の脅威と、それを一撃でねじ伏せた老爺の超絶的な魔法。開いた口が塞がらない僕たちの前で、老人はいつもの穏やかな破顔に戻り、白ひげを撫でたのだった。
老爺は杖を収めると、呆然と佇む僕たちへと歩み寄ってきた。
ライノ「あ、悪夢かよ……。なんだ今のじいさん……一撃で吹き飛ばしやがった……」
エルナ「信じられません。あれほどの規模の魔法を、何の詠唱もなしに発動するなんて……あなたは一体……?」
驚きを隠せないライノとエルナを前に、老爺は「ほっほっほ」と穏やかに髭を撫でた。
老爺「驚かせてすまなんだな。わしは通りすがりの隠居老人じゃよ。それより秀、怪我はないか? 街道で遭遇した影獣よりも、幾分か質の悪い奴だったようじゃが」
秀「は、はい、大丈夫です……助けてくれてありがとうございます、老爺さん。でも、どうしてここに……?」
老爺「ん? 『常緑の森』の浅層で小さな空間の歪みを感知してな。気になって来てみれば、お主たちが巻き込まれておったというわけじゃ。……どうやら『門』の不安定化が、街の近くにまで及び始めておるらしいのう」
老爺の眼差しが一瞬だけ鋭くなり、遠くの城壁の方角へと向けられた。
秀「世界が歪んでいる、ってことですか……?」
老爺「うむ。だが、今の言葉は忘れておくれ。若者よ、恐れることはない。お主には素晴らしい仲間と、秘められた【上位化】の力がある。今日の恐怖に呑まれず、一歩ずつ強くなればよいのじゃ」
老爺はそう優しく微笑むと、背を向けて森の奥へと歩き出した。
老爺「さて、わしはこれで失礼するよ。依頼の薬草を拾ったら、早めに街へお戻り。……また縁があれば会おうぞ」
去り行く老爺の背中を見送りながら、僕たち三人は再び身を引き締め直した。世界の異変、老爺の謎、そして自分たちの成長——やらなければならないことが、はっきりと見えた気がした。




