武道とサイキックと脳の機能
イメージの恐ろしさ。
重いと感じるものは、重く。
軽いと感じるものは、軽い。
実際の質量はあまり関係なく。
身体の張りのある部分に手を当てる。
柔らかくなれと念じる。
すると柔らかくはならない。
なぜなら「柔らかくなれ」と念じている時点で、それは「硬い」という状態認識の裏打ちとなってしまうからだ。
しかし、その硬い箇所を柔らかいものとして触り続けていると、緊張がほどけて実際に柔らかくなっていく。柔らかいものを触っているのだから、そこも実際に柔らかくあるべきだ、と脳が緊張している部位に緊張解除の指令を出す。
ほとんど、オカルトの領域にも聞こえる話だが、これが実際に自分の人体で起こる現象だから、面白い。
武道小説を書くべく、いろいろとそちら系の動画ばかりを漁っていたら、なぜか武道家とエスパー清田のコラボがあり、そこから派生し、システマへ。
システマといえば、みなみかわのおかげで胡散臭いものを見做されがちだが、北川というシステマ普及者のチャンネルを見てみると、人体へのアプローチが理系のそれで、先入観がひっくり返る。
首の胴体側の付け根の硬い箇所も柔らかいものとして力も入れずに指を当て続けてたら、小さくパリパリと筋膜が剥がれていくような音が聞こえ、どんどん柔らかくなっていく。
背中の硬い手の届かない硬い引っかかりような筋繊維には、イメージだけで対応してみたが、それでも実際に可動域がグネり始め、ひさしぶりにこどもの時のような背中の感覚を思い出す。
いや、本当にキツネにつままれたような気分なのだが、認知ひとつで身体の反応がここまで変化するというのは、驚き。
卵が先か、ニワトリが先か。
には、結論がまだ出ないわけだが、認知が先か、状態が先かには、何やら答えのようなものが見えてきた気がする。
とりあえず、身体中をグニャグニャにしてみよう。話はそこからか。




