表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/63

63.解ける運命

 一方その頃、澪は宿屋で借りた馬車に揺られ、北の方角へと進んでいた。

 星刻の棺を目指して――。


 少しでも早く。膝の上でぎゅっと握りしめた手は、いつの間にか汗で湿っている。


 馬車の中は静かだった。

 車輪が地面を削る音と、馬の吐く白い息だけが、夜に溶けていく。


 ――リュシアと話したときのことが、ふと胸をよぎる。



 


「あなた一人で、星刻の棺へ行くですって?」


 あのときの、感情を露わにした声。

 澪は黙って頷き、ゆっくりと言葉を選んだ。


「アストラリオスさえなければ、帝国は星永の乙女を必要としない。もし私がいなくなっても……カイが、また流星になって空を彷徨う必要もなくなる」


 息を吸い、続ける。

「だから、私がアストラリオスを壊す」


 リュシアは、信じられないという顔で澪を見た。


「モルフェウスから腕輪を奪うと言い出したかと思えば、今度はアストラリオスを破壊する、ですって……なんて、めちゃくちゃな子なの」


「確かに、めちゃくちゃかもしれない。

 でも、ちゃんと考えた。どうしたら、この世界でカイが幸せに生きられるのか。私に、何ができるのかを」


「……団長に、会いたくないの?」

 その問いに、澪は一瞬だけ目を伏せた。


「……会いたいよ。ちゃんと元気に生きてるってこの目で確かめたい」

 でも、と続ける。

「それは、今じゃなくていい。魂を取り戻したカイが、命令に従わなければ……モルフェウスは、きっと全力でカイを消そうとする」


 顔を上げた澪の瞳は、まっすぐだった。

 

「そのとき、私が一緒にいたら……足手まといになる。だったら私は、私にしかできないことをする」


 その目の光に、リュシアはそれ以上何も言えなかった。




 


 ――そして今。


 星刻の棺までは、まだしばらくかかる。

 カイの魂は、無事にひとつに戻っただろうか。


 澪はそっと馬車の外を覗いた。その瞬間――


「ガタン!」


 激しい衝撃とともに、馬車が大きく傾いた。


「いたた……」


 肩を、さすりながら外へ出ると、御者が馬から降り、困ったように頭をかいていた。


「すみませんねぇ、お客さん。この岩にぶつかっちまって……ほら、車輪が」


 確かに、馬車の車輪がひとつ、地面に転がっている。


「あの……直るまで、どれくらいかかりますか?」


「そうだなぁ……修理に半刻はかかる」

 申し訳なさそうに続ける。

「急いでるみたいなのに、悪いね」


 (半刻……一時間……――そんなに待てない)


「星刻の棺まで、歩いてどれくらいですか?」


「歩きで?それこそ一刻はかかるよ。しかも夜だ。こんな寒い日に……」


 澪は深く頭を下げた。

「ありがとうございます」


 そして、走り出す。


「待ってなんて、いられない」


 時を戻す前、アゼルと並んで歩いた道。その記憶を頼りに、澪は星刻の棺へと向かった。

 暗い夜道を、ただ夢中で駆ける。部活で鍛えた脚が、今は頼もしい。


 ――そのとき。


 帝都の方角で、爆発音が響いた。

 振り向くと、夜空を焦がすような爆炎が立ち上っている。


「……まさか」


 胸が、ぎゅっと締めつけられる。


「カイ……」


 きっと、モルフェウスと戦っている。そう思った瞬間、心臓が早鐘を打った。


「急がなきゃ」

 澪はまた星刻の棺への道を、走り始めた。


 次の瞬間。

 

「あっっ」

 

 足元の石に躓き、澪は派手に転んだ。


「……っ、いたた……」


 白い衣装に、赤い染みが滲む。

 構わず立ち上がろうとするが、脚に走る痛みで、思うように力が入らない。

 それでも、痛みを振り払うように、脚をかばいながら走る。


 じわり、と視界が滲む。

「……情けない」


 澪は自分の頬を、ぱん、と叩いた。

「こんなことで、泣くな……!」


 今この瞬間も、カイとリュシアは、命を賭けて戦っているかもしれない。

 痛みと、寒さと、焦りが一気に押し寄せる。


 そのとき――


 空から、白いものが舞い落ちてきた。


「……雪」


 澪はつい足を止め、帝国に舞う雪を見上げた。

 そういえば、と澪は思う。カイが言っていた。

 

 この世界では、積もるほど雪が降ることはない、と。

 その記憶が胸をかすめた、その瞬間。


 澪が手のひらで受け止めた雪が――溶けるより早く、眩い光を放った。

 そこに現れたのは、氷でできたかのように透き通る、大きな白鳥の姿だった。


 羽は雪片のように繊細で、月光を受けるたび淡くきらめく。

 森の木々も、周囲の空気も、その存在を前に静まり返っていた。

 

 澪は、息を呑む。

 胸の奥で、ひとつの声が蘇った。


(――僕の生まれた世界の雪にはね、ごくたまに、氷の精霊が宿っていることがあるんだ)


 それは、いつかカイが静かに教えてくれた、遠い世界の話だった。

 

「……氷の、精霊……?」

 確かめるように呟いた声は、夜に吸い込まれていく。


 白鳥は答えない。ただ、澪をまっすぐに見つめていた。


 考えるより先に身体が動いた。

 澪は一歩踏み出し、その氷の白鳥の足に、しがみついた。


「……お願い、星刻の棺へ……どうしても、行かなきゃいけないの」


 白鳥の身体が、わずかに震えた。

 次の瞬間、冷たいはずの氷の足が、澪の掌に優しく馴染む。


 羽ばたきは静かだった。

 風を裂く音すら立てず、白鳥はゆっくりと翼を広げる。雪が、光の粒となって舞い上がった。

 澪の身体が、ふわりと浮く。


「……!」


 驚きに息を詰める間もなく、視界が、地面から切り離された。

 白鳥は静かに翼を広げ、夜空へと舞い上がる。


 それは、さきほどリュシアと共に飛んだ空よりも、なお高く。

 街の灯りが小さく滲み、世界が遠ざかっていく。


 その高さを思うだけで、胸の奥がきゅっと縮む。

 凍えるほど冷たい空気の中で、澪は目を瞑り、歯を食いしばって、その氷の足に必死にしがみついた。

 恐怖が、冷たい空気と一緒に胸に流れ込んでくる。それでも、指に力を込めた。


「……助けてくれるの?」


 白鳥は答えない。

 代わりに、翼を一度だけ大きく打ち、進むべき方角を示すように高度を上げた。


 星刻の棺を目指し、北の空へ。

 

 それが返事だと、澪はなぜか、はっきりと分かった。

 夜空に、白い軌跡が一本、引かれた。



 ***




 澪は、もう一度そこに立っていた。

 見覚えのあるはずの光景なのに、前よりも遠く感じる。


 迷いはない。


 氷の精霊は静かに澪を降ろした後、ただじっと澪の目を見つめていた。

 まるで、何かを確かめるように。


 澪もまた、その視線を受け止める。


 やがて精霊は音もなく翼を広げ、白い軌跡を残して夜の奥へと消えていく。

 澪はその後ろ姿を見送りながら、心の中でそっと礼を告げた。


 外界から切り離されたような静寂の中へ足を踏み入れると、空気は澄みすぎていて、どこか現実味がない。

 その中心に――アストラリオスはあった。

 

 ゆっくりと手を伸ばし、触れる寸前で止める。指先がじんわりと熱を帯びた。


 アストラリオスの巨体が、内側から光に満たされるように淡い白光を放ち始める。


「……これで、終わらせる」


 小さく呟き、力を込めた。

 空気が、わずかに歪む。


 次の瞬間、アストラリオスの全身から溢れ出した光が、時間そのものを軋ませるような重苦しい圧力となって、その場を埋め尽くした。

 

(戻す――)


 アストラリオスが造られる前へ。

 このすべてが始まる前へ。


 白光に包まれた巨体の表面を、淡い波紋のようなものが走る。

 軋むような低い音が響き、黒い外殻がわずかに揺らいだ。

 まるで存在そのものが、現在と過去の狭間で引き裂かれているようだった。





 


 ――だが。


 澪はさらに力を込めたが、アストラリオスは沈黙したまま、微動だにしなかった。


 時間だけが、じりじりと過ぎていく。

 呼吸が浅くなり、指先の熱はやがて痛みに変わっていく。


(……私の力が足りないの?)


 歯を食いしばり、全身の力を無理やり一点に押し込む。

 視界がわずかに揺れても、手は下ろさない。


(戻れ――)


 その瞬間、違和感が走った。

 

 微動だにしなかったはずのそれが、ほんのわずかに動いた気がした。

 澪は息を止める。


 気のせいだと思おうとするが、違う。

 ゆっくりと、確かに、それは動いていた。


 アストラリオスがこちらへ向かって手を伸ばす。

 巨大な影が、澪の視界へ覆い被さった。


「……っ!?」


 澪は反射的に息を呑んだ。

 心臓が大きく跳ね、全身が凍りついたように動かなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ