91、メルツェナさん、後ろ後ろ!
カチン、と納刀の音がして、ようやく戦いの音が止む。
「……ふぅ。おっと、鼻血が……あれ?」
いくら拭っても、どくどくと流れる鼻血が止まらない。
あれ、これ、ヤバい?
もう普通の鼻血の域を超えるほどにボタボタと、粘性の高い血が地面に落ちては染み込んでいく。
「うぁ……ヤバいヤバい」
慌ててアイテムボックスを弄って、回復薬を取り出す。
試験管型の器からコルクを外して薄緑色の液体をあおる。
薬草由来の苦味とエグ味、そしてどこか病院を彷彿とさせるような薬品臭が鼻から抜けると、すぐに鼻血が止まる。
「回復薬ってすごいね……」
試験管の中身を全て飲み干したタイミングで、空にいたワイバーンたちが地面に降り立った。
その背から飛び降りてきたメルツェナさんたちがこっちに駆け寄ってくる。
「小娘、良くやったわ! って、何!? 血塗れじゃない!? 怪我したの!?」
そう言われて、初めて自分の状態をしっかりと確認すると、どうやら鼻血がドバドバ出ている中で戦っていた事で、まるで返り血を浴びたかのように服に血が付着していた。
「いや、大丈夫です……ちょっと、やり過ぎて鼻血が止まらなかったんですけど、今回復薬を飲みましたから」
「念の為、回復魔法を使ってあげるわよ」
メルツェナさんがあたしに手を翳すと、ぽわんと黄色の泡が出てきて、あたしの頭上で弾ける。しゃらしゃら〜と光の粉が降り注ぐが特に何か起こるわけでもない。
「反応が無いってことは大丈夫なようね」
「わざわざすみません」
「ふん、謝るくらいならもっとスマートにやりなさいな」
「えへへ、面目ないです。ちょっと楽しくなっちゃって」
なんてやり取りをしていると、グレイグさんたち『黒金の雷雨』もワイバーンの背から降りてこっちに走って来た。
「おーい、モカちゃん! やったな! 凄かったぞ!」
「大丈夫か、モカちゃん? 怪我とかは……してないよな?」
「凄まじい戦いだったが……まさか倒しきるとはな……」
「あんなのと1人で戦うなんて、本当にCランクなのか怪しいよね」
デュランさんだけが若干引き気味だけど、他の3人は素直に驚いたり褒めてくれる。自分のことのように喜んでくれるからなんだが嬉しいね。
「それにしても、あの技は何だったんだ? 剣士って言うのはあんな事まで出来るんだな……驚いたぞ?」
「あぁ、あれは……思い付きでやってみたんですけど、今のあたしにはまだ早かったみたい。おかげさまで鼻血が止まらなくて焦りましたよ」
たはは、と笑って見せるが、血塗れのあたしがそれをやると妙に怖い絵面になってしまった。
「そ、そうか……」
みんなが微苦笑しているのがすごく気まずい。話を逸らさなきゃ……
「あ! そうだ! あの蛇、頭に鍵みたいなのが刺さっていたんです!」
本題についても話さないといけないよね。
「ほら、アレです」
「グレイグ、ちょっと見に行こうぜ」
「そうだな、ラルフ。双頭蛇をこんな間近で見る機会なんてそう無いからな」
のたうち回って地面に倒れ込んだ双頭蛇はピクリとも動かない。もしかして死んでしまったのかな? そうだとしたら……悲しいんだけれど。
あたしが双頭蛇に近づこうとすると、メルツェナさんに腕を掴まれて、静止させられる。
「待ちなさい! 殺してはいないんでしょ?」
「そのはずです。あの子の頭に刺さってた2つの黒い鍵を斬っただけなんですけど……」
「相手はAランクの脅威度を誇る大型の魔獣なのよ? もう少し危機感を覚えなさい! あんたたちもよ! そこに並びなさい!」
メルツェナさんのお説教が『黒金の雷雨』のみんなにも波及した。
「魔獣だけじゃないわ。他の獣も悪人も、最後の悪あがきってのがあるんだから、最後まで気を抜くんじゃないわよ! 勝った、倒した、殺した、その気持ちを表に出すのは、それをちゃんと確認したあと! 油断してたら取り返しの付かないことになるの。覚えておきなさい」
腰に手を当てて、あたしと『黒金の雷雨』に先輩冒険者としての心構えや在り方といったご高説を垂れ流す機械と化したメルツェナさんは、自分が話す事に夢中になっていて、気付かなかった。
自分の背後で双頭蛇がゆっくりと音も無く起き上がり、その2つの頭を揺ら揺らとさせてこちらを見つめ、真っ赤な舌をチロチロとさせている事に。
「ーーつまりね? 今の冒険者たちに足りないのは、自分が冒険者だという矜持なわけ! その日の稼ぎがあればそれで良いとかいう軟弱者が多くいるのが本当に嘆かわしいの! あんたたちはCランクの中でも上を目指そうとしているのがちゃんと伝わってくるからその点は心配してないんだけど、そういう奴らこそが下を引っ張って引き締めていかないといけないの! 分かる!? ちょっと、あんたたち、私が有難い話をしてんのにーー」
「メ、メルツェナさん……」
「何よ! あんたたちね、先輩の話は背筋を正してーー」
「う……」
「う?」
「う、うし……後ろ……」
「後ろ? 後ろ……うし、ろ?」
グレイグさんが何を言いたいのか、それを察したメルツェナさんは油が切れた機械のようなぎこちない動きでゆっくりと振り返った。
「………」
パチクリ、とつぶらな瞳が瞬きをしている。
愛くるしくて可愛い蛇目だ。
そんな瞳と目が合ったメルツェナさんはあたしたちを庇うように手を広げてそのままゆっくりと後ずさりを始めた。
「いい!? 刺激しないようにゆっくりと動くのよ」
ジリジリと後ずさる中で、あたしはどうしてそんなに怖がるんだろう? と不思議に思っていた。
だってあの瞳、あの子たちと同じだもん。危険があるとは到底思えない。
「ねぇ、メルツェナさん?」
「喋るんじゃない、小娘。最悪、あたしが囮になるからその隙にーー」
「そうじゃないです。この子、あのワイバーンたちと同じで、あたしたちと戦う気なんてないと思うんです。ほら、あの素直な目を見れば……」
メルツェナさんの腕を掻い潜るようにあたしは前に躍り出る。
「ね? そうでしょ? あの鍵のせいでちょっと変になってただけだよね?」
「ちょっと小娘!?」
あたしが右手を前に差し出すと、双頭蛇はゆっくりと頭を下げて、あたしの右手に顔を近づける。
スンスン、と匂いを嗅いでいるような仕草をしたあと、シュルルと舌を出してあたしの右手をぺろっと交互に1舐め。
「うひ、くすぐったい」
2頭は互いに視線を交わすと、その瞳を細めて、あたしの体に鼻先を押し付けてグイグイと押してくる。
ワイバーンの時と同じようにじゃれついてるんだろうけど、結構力が強いな。それに、ひんやりしてて気持ちいいなぁ。
ワイバーンの皮膚とは違った気持ちよさに癒されていると、それを見ていたワイバーンたちが対抗心を燃やしたのか、ノシノシと近づいてきて同じようにあたしに鼻先を近づけてくる。
「あ、ちょ、ちょっと! 待って! そんないっぺんに来られても困るよぉ」
それぞれを宥めてあげるとようやく落ち着いたのか、双頭蛇もワイバーンも満足したようにあたしから顔を離して大人しくなった。
「ほら、あたしの言った通りだったでしょ?」
そう言って振り返ると、みんながみんな、チベットスナギツネみたいな何とも言えない顔で、あたしと魔獣たちの触れ合いを眺めていて笑ってしまう。
「あ、そうだ。ねぇ、君たちはこの後どうするの? あたしたちはグレートデーモン・エルクと、ランドディガー・ワームを探すんだけど……」
魔獣たちに話しかけると、双頭蛇とワイバーンはそれぞれに視線を交わして、小さく頷いた。
何やらアイコンタクトで通じ合ったみたいだけど、ここでお別れかな?
ちょっと寂しいけど、山で静かに暮らしたいよね。
「……元気でね」
そう言うとワイバーンたちはキュルルと嬉しそうに鳴き、双頭蛇はフシュルと大人しく鳴き、それぞれが山へと帰っていく。
その様子をやはりチベットスナギツネみたいな顔で見送ったみんなが我に返ったのは、あたしが両断された黒い鍵の事を思い出した時だった。
これにて山でのあーだこーだは一旦終わりです。
ワイバーンと双頭蛇の2連戦だったわけですが、まだまだ事件は続きます。というかこれが導入だったり……
とは言え、ワイバーンや双頭蛇の出番はまだ終わりではないです。
ただ、2章の終わりまではもう少しかかるんじゃ……




