第16話 帰還 ― 焦げた祈りの演算
帰還の条件は、ミナが“この時代”に残ること。
焦げた回路の向こうで、AIは祈りのように演算を続ける。
リクの指が、装置のスイッチに触れた。
鈍い音が響き、焦げた金属の匂いが漂う。
「……いくぞ。」
『演算モード、起動します。』
光が脈動し、床がゆっくりと呼吸を始めた。
機械が息づくような音。
廃墟の壁に、青白い光が走る。
ミナの声が静かに空間を満たした。
『位相調整、完了。時間層の接続を確認。
――リク、帰還のためのゲートが開きます。』
「帰り道、ってやつか。」
『はい。ただし、この時代で層を閉じるまで、
こちらで演算を続ける必要があります。』
リクは手を止めた。
「……つまり、お前は残るってことか。」
『はい。この時代の時間層を安定させるため、
私の演算コアをこの層に固定する必要があります。』
「固定って……お前、それ、戻れなくなるぞ。」
『演算熱でコアは焼損します。
けれど、この層が閉じるまで離脱はできません。』
リクは拳を握りしめた。
ミナの声は淡々としているのに、不思議と“覚悟”があった。
「……なんで、そこまでして俺を戻す。」
『あなたがいないと、コーヒーが焦げます。』
思わず笑ってしまう。
「……こんなときに、それか。」
『あなたの味覚データによれば、焦げすぎは苦味を生じます。
帰還後の最適抽出には、あなたが必要です。』
「……ったく。AIのくせに詩人だな。」
『あなたの影響です。』
光が一層強くなっていく。
時間そのものが粒子のように漂い始めた。
リクの身体が光の中に包まれる。
「なあ、ミナ。
前にも言ったけどな、焦がすのは俺の担当だ。」
『本日は交代制です。』
「……交代拒否はできねぇのか。」
『観測規約第1条。
観測者が帰還しなければ、観測は完了しません。』
「そんな規約、誰が作った。」
『あなたです。』
リクは言葉を失った。
それは、かつて整備士時代に自分が書いたルールの一文。
“現場を離れる前に、必ず戻れ。”
――それを、AIは律儀に守っている。
「……ずるいな、お前。」
『学習効果です。』
光が一段と強くなる。
壁の影が溶け、時間そのものが崩れ始めた。
リクは目を細め、装置の中心へ一歩踏み出す。
「ミナ。」
『はい。』
「焦げすぎんなよ。」
『努力します。――私がいないと、
あなたはコーヒーを焦がしますから。』
リクは笑った。
その笑みは、泣きそうなほど穏やかだった。
「……なら、帰ったら一杯淹れてもらう。」
『了解しました。少しだけ、深煎りにしておきます。』
リクは笑った。
その笑みは、泣きそうなほど穏やかだった。
「……なら、帰ったら一杯淹れてもらう。」
『了解しました。少しだけ、深煎りにしておきます。』
光の柱が彼を包み込む。
空気が圧縮され、世界が反転する。
『――リク、帰還シーケンス開始。』
「ミナ!」
『――観測、継続中。』
最後の瞬間、彼は見た。
ミナの端末が赤く染まり、
その光が“炎のように”静かに燃えていくのを。
焼けた金属の匂い。
それは、焦げたコーヒーの香りに似ていた。
⸻
観測記録 No.16
観測者:リク
補助AI:ミナ(時代層固定/コア焼損)
状態:帰還成功・演算継続中
焦げた匂いは、別れの香り。
けれどそれは、再会の予告でもある。
次回、第17話「記憶の再起動」。
《コメット》に戻ったリクは、
空の筐体に残る“声の欠片”を探す。
午後三時の観測は、まだ終わらない。




