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第九十三話 甲賀の影

 高槻城の落日。

 友、和田惟政の殉教。信長様の冷酷なまでの言葉。それらは、宗則の心に、深い傷跡を残し、彼を、大きな迷いの淵へと突き落としていた。



 自室に戻った宗則は、一人、静かに座禅を組んでいた。

 しかし、心のざわめきは、静まることを知らない。信長様に仕えることで、戦のない世を実現する。それは、師・白雲斎の願いであり、宗則自身の願いでもあった。



 だが、その道は、あまりにも多くの血と涙で彩られていた。果たして、信長様は、本当に、この世を救おうとしておられるのか?

 宗則の心は、疑念と不安に揺れていた。



「宗則よ、お前は、和田惟政の無念を、どう考えておる?」



 六合の静かな声が、宗則の思考を遮った。宗則は、ゆっくりと目を開き、六合を見つめた。



「…和田様の無念は…それがしが…晴らさねば…。」



 宗則は、静かに、しかし、力強く言った。惟政は、最後まで、民の安寧を願い、戦のない世を夢見ていた。その願いを叶えることこそが、自らの使命だと、宗則は、改めて心に誓ったのだ。



「だが、どのようにして、その無念を晴らすというのだ? 和田惟政の死は、避けられぬ運命だったのかもしれぬ。一揆勢の勢いは、凄まじく、高槻城の落城は、時間の問題だった。」



 六合は、静かに言った。



「…ならばこそ…それがしは…この戦乱の世を…終わらせねばならぬ…!」



 宗則は、拳を握りしめ、言った。



「信長様は…天下統一を成し遂げることで…戦のない世を作ろうとしておられる…しかし…その道は…あまりにも…多くの犠牲を…伴う…。」



「宗則よ、お前は、信長と同じ道を歩むのか? それとも、別の道を探すのか?」



 六合の言葉は、鋭い刃のように、宗則の心に突き刺さった。宗則は、自らの進むべき道に、迷っていた。



「…私は…まだ…分かりませぬ…。」



 宗則は、正直に答えた。



「しかし…一つだけ…確かなことがある…それがしは…和田様の無念を…晴らしたい…。」



 宗則は、目を開けると、六合を見つめた。



「六合、お前は、佐和山城周辺に、六角家の怨念が渦巻いていると言ったな。そして、その怨念は、近江全体に広がっているのか?」



「そうだ。わしの調べでは、特に、かつて六角家と縁の深かった甲賀の里に、強い影響を及ぼしているようじゃ。」



 六合は、静かに答えた。



「甲賀の里…か。」



 宗則は、呟いた。甲賀の里は、近江国甲賀郡に位置する、山間の里であった。古くから、優れた忍びを輩出することで知られており、六角家とも、深い繋がりがあったという。



「磯野員昌は、六角家との戦で、多くの将兵を討ち取ってきた。その恨みの念が、彼に集中し、ついには、彼を、狂乱へと駆り立てたのじゃ。甲賀の里にも、同じように、六角家の怨念に苦しむ者たちがいるかもしれぬ。しかも、その怨念は、ただ苦しめるだけでなく、人の心を操り、凶行に走らせることもある。甲賀の里で何が起こっているのか、確かめる必要がある。」



 六合の言葉に、宗則は、ハッとした。和田惟政の無念を晴らすためには、六角家の怨念と向き合わなければならない。

 そして、その怨念を、鎮めることができれば、もしかしたら、惟政の魂も、救われるかもしれない。



「六合、私と共に、甲賀の里へ行こう。六角家の怨念の根源を、探るのだ。」



 宗則は、決意を込めて言った。彼は、和田惟政の無念を晴らすため、そして、自らの進むべき道を見つけるため、六角家の怨念と向き合うことを決意したのだ。



 数日後、宗則と綾瀬、そして六合は、甲賀の里へと続く、山道を進んでいた。

 木々の間から差し込む日差しは、弱々しく、湿った空気が、宗則の肌に、まとわりつくようだった。



 里に近づくにつれて、宗則は、周囲の空気が、重く、淀んでいるように感じた。

 鳥のさえずりも聞こえず、静寂だけが、あたりを支配していた。ただ、時折、木々が不自然に揺れ動くのが、目に映った。まるで、見えない何者かが、森の中を徘徊しているかのようだった。



「…何かが…おかしい…。」



 綾瀬が、眉根を寄せ、呟いた。彼女は、優れた忍びとしての勘で、異変を感じ取っていた。



「六合、何か、感じるか?」



 宗則は、六合に尋ねた。



「…この里は…深い悲しみと…怒りに…覆われておる…。まるで…死んだ…魂が…さまよっている…かのようじゃ…。」



 六合は、静かに答えた。



 宗則は、六合の言葉に、背筋が寒くなるのを感じた。彼は、自らの陰陽師としての能力を高め、この里を覆う闇を、祓わなければならないと、強く思った。



 やがて、彼らは、甲賀の里に到着した。里は、山々に囲まれた、小さな集落であった。

 しかし、かつては、多くの忍びたちが住み、活気に満ち溢れていたであろうこの里は、今は、ひっそりと静まり返り、人の気配は、ほとんど感じられなかった。



 家々は、朽ち果て、壁には蔦が絡まり、屋根は崩れ落ちていた。田畑は、荒れ果て、雑草が生い茂り、かつての豊かな実りは、見る影もなかった。まるで、この里は、すでに、死んでしまったかのようだった。



「…一体…何が…起こったのじゃ…?」



 宗則は、呟いた。



 その時、数人の忍びに囲まれながら、一人の老人が、よろよろと、宗則たちの前に現れた。老人は、深い皺が刻まれた顔に、悲しげな表情を浮かべていた。



「…そなたたちは…誰じゃ…?」



 老人は、弱々しい声で、尋ねた。



「私は、東雲宗則と申します。陰陽師でございます。」



 宗則は、老人に、深く頭を下げた。



「この里で、何か、異変が起きていると聞き、参りました。」



 老人は、宗則の言葉を聞いて、目を潤ませた。



「…そうか…陰陽師…か…。」



 老人は、呟いた。



「…わしは…この里の長老じゃ…。三雲成持殿に…会うとよい…。」



 老人は、宗則たちを、里の中へと案内した。



「…この里は…呪われておる…。六角家が滅びてから…この里は…次々と…不幸に見舞われておる…。」



 老人は、重い口を開いた。



 老人は、宗則たちに、里で起こっている異変について、語り始めた。原因不明の病、不作、そして、不可解な事故や怪奇現象。人々は、恐怖に怯え、里を捨てて、逃げていく者もいた。



「…わしらは…六角家に仕える忍び…じゃった…。六角家が滅び…わしらは…仕えるべき主君を失った…。」



 老人は、目を伏せた。



「…信長様は…わしら…忍びを…必要としておらぬ…。わしらは…この世に…必要とされておらぬ…存在…なのじゃ…。」



 老人の言葉には、深い悲しみと、諦めが込められていた。



 宗則は、老人の言葉を聞いて、胸が締め付けられる思いがした。彼は、忍びたちが、戦乱の世で、どのように扱われてきたのか、知っていた。彼らは、影の存在として、その命を軽んじられ、人として扱われてこなかった。



(…私は…彼らを…救いたい…)



 宗則は、心の中で、そう思った。彼は、陰陽師として、そして、一人の人間として、彼らを救いたいと、強く思った。



 やがて、老人に連れられて、宗則たちは、里の奥にある、ひっそりと佇む屋敷へと到着した。屋敷は、古びてはいるものの、かつては、立派な建物であったことが伺える。しかし、今は、屋根瓦が所々崩れ落ち、壁には蔦が絡まり、庭は雑草が生い茂っていた。老人は、屋敷の前に立ち止まり、静かに言った。



「…ここが…三雲成持様の…屋敷…じゃ…。」



 老人は、屋敷の扉を叩いた。しばらくすると、扉が開き、中から、一人の男が出てきた。男は、四十代半ばほどの、精悍な顔立ちの男だった。鋭い眼光と、鍛え抜かれた体躯からは、只者ではない雰囲気が漂っていた。しかし、その顔色は、どこか青白く、疲労の色が濃かった。



「…どちら様…じゃ…?」



 男は、宗則たちを、鋭い視線で見つめながら、言った。



「私は、東雲宗則と申します。陰陽師でございます。」



 宗則は、男に、深く頭を下げた。



「この里で、何か、異変が起きていると聞き、参りました。」



 男は、宗則の言葉を聞いて、少しだけ、表情を和らげた。



「…わしは…三雲成持…この里の長…じゃ…。」



 男は、宗則たちを、屋敷の中に招き入れた。屋敷の中は、質素ながらも、整然としており、主の几帳面な性格が、伺えた。しかし、どこか、活気がなく、生気が感じられない。



 成持は、宗則たちを、客間に通すと、お茶を勧めながら、静かに言った。



「…この里は…呪われておる…。六角家が滅びてから…この里は…次々と…不幸に見舞われておる…。」



 成持は、宗則たちに、里で起こっている異変について、語り始めた。原因不明の病、不作、そして、不可解な事故や怪奇現象。人々は、恐怖に怯え、里を捨てて、逃げていく者もいた。



「…わしらは…六角家に仕える忍び…じゃった…。六角家が滅び…わしらは…仕えるべき主君を失った…。」



 成持は、目を伏せた。



「…信長様は…わしら…忍びを…必要としておらぬ…。わしらは…この世に…必要とされておらぬ…存在…なのじゃ…。」



 成持の言葉には、深い悲しみと、諦めが込められていた。



 宗則は、成持の言葉を聞いて、胸が締め付けられる思いがした。彼は、忍びたちが、戦乱の世で、どのように扱われてきたのか、知っていた。彼らは、影の存在として、その命を軽んじられ、人として扱われてこなかった。



(…それがしは…彼らを…救いたい…)



 宗則は、心の中で、そう思った。彼は、陰陽師として、そして、一人の人間として、彼らを救いたいと、強く思った。



「三雲様、それがしは、貴方たちを、救いたい。」



 宗則は、成持の目をじっと見つめながら、言った。



「それがしは、信長様に仕える陰陽師、東雲宗則と申します。貴方たちを、わたくしの配下として、迎え入れたい。」



 成持は、宗則の言葉に、驚きを隠せない様子だった。



「…そなたは…信長様に仕える…陰陽師…だと…?」



「はい。」



 宗則は、頷いた。



「私は、信長様と共に、戦乱の世を終わらせるために、戦っております。しかし、同時に、人々の苦しみを救いたいとも、願っております。」



 宗則は、成持に、自らの思いを、語った。彼は、信長様に仕えながらも、自らの信念を貫き、人々を救う道を探し求めていた。



「…わしらは…忍び…じゃ…。そなたのような…高貴な…お方に…仕えることなど…。」



 成持は、言葉を詰まらせた。



「三雲様、私は、貴方たちを、人として、尊重いたします。貴方たちの能力を、この乱世を終わらせるために、役立てていただきたい。」



 宗則は、真剣な眼差しで、成持を見つめた。



 成持は、しばらくの間、沈黙していた。彼は、宗則の言葉に、心を動かされていた。



「…分かった…。わしは…そなたに…仕えよう…。」



 成持は、ついに、決意した。彼は、宗則の言葉に、希望を見出したのだ。



 こうして、宗則は、甲賀流の忍びたちを、自らの配下として、迎え入れた。宗則は、彼らと共に、六角家の怨念の根源を断ち、戦乱の世を終わらせるために、戦い続けることを、決意した。

数ある作品の中から今話も閲覧してくださり、ありがとうございました。


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