第九十二話 高槻城の落日
盛夏の日差しが、容赦なく京の都を照りつけていた。蝉の声が、むせ返るような暑さを一層際立たせる。信長は、美濃の稲葉山城を攻略し、岐阜と改名してからというもの、その勢いはますます盛んになり、天下統一への歩みを着実に進めていた。
しかし、信長の勢力拡大は、同時に、多くの敵を生み出していた。各地で反信長の動きが活発化し、京の都にも、不穏な空気が漂い始めていた。
そんな中、宗則は、信長から呼び出しを受けた。
「宗則、高槻城が危ない。和田惟政殿から、援軍の要請があった。すぐに、高槻城へ向かうのじゃ。」
信長の言葉は、短く、そして、命令口調だった。宗則は、信長の顔を見つめた。信長の目は、冷たく、鋭く光っていた。
(信長様は…一体、何を考えておられるのか…?)
宗則の心には、拭い去れない疑念が渦巻いていた。佐和山城攻略の際、磯野員昌の死を目の当たりにした宗則は、信長が目指す天下統一が、本当に、人々を幸せにするのか、疑問を抱き始めていたのだ。
高槻城は、摂津国に位置する、重要な拠点であった。城主・和田惟政は、信長の有力な家臣であり、摂津国の平定に、大きく貢献してきた人物であった。また、惟政は、南蛮渡来のキリスト教に深く帰依し、領内での布教を許していたことでも知られていた。しかし、近年、摂津国では、一向一揆の勢力が拡大しており、高槻城は、彼らの攻撃に晒されていた。
「…承知いたしました。」
宗則は、深く頭を下げた。彼は、信長の命令には逆らえなかった。しかし、その心は、重かった。信長への疑念、戦乱の世への疑問、そして、友である和田惟政の身を案ずる気持ち。様々な感情が、宗則の胸の中で渦巻いていた。
宗則は、綾瀬と共に、高槻城へと向かった。道中、宗則は、六合に、高槻城の状況について尋ねた。
「六合、高槻城は、どのような状況じゃ?」
六合は、宗則の問いに、静かに答えた。
「高槻城は、池田知正率いる、一向一揆勢に、包囲されておる。和田惟政は、勇敢な武将じゃが、多勢に無勢。苦戦を強いられておるだろう。」
「一向一揆…か。」
宗則は、眉根を寄せた。一向一揆は、浄土真宗の門徒による、武装集団であった。彼らは、仏の教えを盾に、世俗の権力に反抗し、各地で、一揆を起こしていた。
「一向一揆は、信仰心の厚い者たちじゃ。彼らは、死を恐れず、ただひたすらに、自らの信じる道を貫こうとする。油断はできぬぞ。」
「…六合、お前は、なぜ、わしに、同行するのだ?」
宗則は、ふと、六合に尋ねた。六合は、十二天将の一人、木の精霊であった。彼は、宗則と契約を交わし、彼の力となることを誓っていた。しかし、六合は、宗則の命令に従うだけの存在ではなかった。彼には、彼自身の意志があり、目的があった。
「わしは、この世の行く末を見届けたいのじゃ。そして、お前が、どのような道を歩むのか、見守りたい。」
六合は、静かに答えた。
「お前は、今、岐路に立っておる。信長に仕え、この乱世を終わらせるのか。それとも、別の道を選ぶのか。その選択は、お前にしかできぬ。」
六合の言葉は、宗則の心に、深く突き刺さった。宗則は、自らの進むべき道に、迷っていた。信長は、確かに、力を持った男であった。しかし、彼のやり方は、あまりにも、冷酷で、非情であった。
高槻城に到着した宗則は、城の周囲を埋め尽くす、一向一揆勢の姿に、圧倒された。彼らは、「南無阿弥陀仏」と叫びながら、まるで、狂乱状態のように、城壁に殺到していた。空は、黒雲に覆われ、稲光が走っていた。まるで、この世の終わりを告げるかのような、不吉な光景だった。
城内では、和田惟政が、十字架を胸に抱き、静かに祈りを捧げていた。彼の顔色は、青白く、疲労の色が濃かったが、その瞳は、揺るぎない信仰の光を宿していた。
「神よ、どうか、この苦難を乗り越える力を、お与えください。そして、我が魂を、御許に導きたまえ。」
惟政の祈りは、静かで、力強かった。彼は、自らの死を、覚悟していた。
宗則は、惟政の前に進み出て、深く頭を下げた。
「和田様、お力添えに参りました。」
惟政は、ゆっくりと目を開き、宗則を見つめた。
「宗則殿…来てくれたか…。」
惟政は、弱々しい声で言った。
「しかし…もはや、これまでじゃ…。」
惟政は、城壁に殺到する、一向一揆勢の姿を見ながら、言った。
「信長様は…なぜ…わしを見捨てられるのだ…?」
惟政の言葉に、宗則は、返す言葉がなかった。信長は、確かに、冷酷な男であった。彼は、自らの野望を達成するためには、手段を選ばなかった。しかし、宗則は、信長が、本当に、冷酷なだけの人間とは思えなかった。
(信長様は…天下統一のためには…犠牲は…避けられぬと…仰っていた…しかし…本当に…そうなのだろうか…?)
宗則は、自問自答した。
「宗則殿…わしは、ここで、殉教する。そなたは、逃げるのじゃ。」
惟政は、静かに言った。
「…しかし…和田様…。」
宗則は、言葉を詰まらせた。彼は、惟政を見捨てることなど、できなかった。
「わしは、ここで、主の御許に召される。それが、わしの運命じゃ。そなたは、生きるのだ。そして、信長様に、わしの最期を、伝えてくれ。そして…伝えてほしい…信長様にも…いつか…この戦乱の世を…終わらせるために…真の平和のために…何が必要なのか…考える時が…来るだろうと…。」
惟政は、宗則の肩を、強く握りしめた。
「…承知いたしました…和田様…。」
宗則は、涙をこらえながら、言った。
惟政は、宗則に背を向けると、再び、十字架を胸に抱き、祈りを捧げ始めた。
「主よ、我が魂を、御許に…。」
その瞬間、城壁が、轟音と共に崩れ落ちた。土煙が舞い上がり、瓦礫が飛び散る。無数の、一向一揆勢が、城内になだれ込んできた。
「南無阿弥陀仏! 南無阿弥陀仏!」
彼らの叫び声が、城内に響き渡った。
宗則は、白狼の式神を召喚し、敵を蹴散らしながら、惟政を守ろうとした。式神は、鋭い牙と爪で、敵兵を切り裂き、吹き飛ばしていく。しかし、一揆勢の数は、あまりにも多かった。彼らは、式神の攻撃をものともせず、次々と、押し寄せてきた。
「宗則殿、無駄な抵抗はよせ。わしは、ここで、死ぬのだ。」
惟政は、静かに言った。
「…しかし…。」
宗則は、言葉を詰まらせた。
「わしのことは、気にするな。そなたは、生き延びて、この世を…より良い世にするのじゃ…。」
惟政は、宗則に、微笑みかけた。
「…和田様…。」
宗則は、惟政の言葉に、涙が溢れてきた。
宗則は、綾瀬と共に、高槻城から脱出した。城は、その後、間もなく、一向一揆勢によって、陥落した。和田惟政は、一揆勢に捕らえられ、磔刑に処されたという。
宗則は、京へと戻る道すがら、自らの進むべき道について、深く考えさせられた。彼は、信長様に仕えることで、戦乱の世を終わらせようとしていた。しかし、その過程で、彼は、多くの命が失われていくのを、目の当たりにしてきた。
(…わたくしは…一体…何を…しているのだ…?)
宗則は、自問自答した。彼は、信長様に仕えることに、疑問を抱き始めていた。
宗則は、京に戻ると、すぐに、信長に、高槻城陥落の報告をした。信長は、惟政の死を聞いても、表情を変えることはなかった。
「…そうか…和田惟政が…討ち死にしたか…。」
信長は、冷淡に言った。
「…無念じゃ…。」
宗則は、そう呟いた。
「…しかし…信長様…このままでは…多くの者が…犠牲に…なってしまいます…。戦のない世を…作るために…わたくしは…貴方に…仕えてきた…はず…なのに…。」
信長の目は、冷たく、鋭く光った。
「宗則、貴様は、何を言っておるのだ? 戦のない世を作るためには、犠牲は、避けられぬ。わしは、天下統一を成し遂げることで、この乱世を終わらせる。そのためには、多少の犠牲は、致し方ない。」
信長の言葉は、冷酷だった。宗則は、信長の言葉に、言葉を失った。彼は、信長が、人の命を、何とも思っていないことを、悟った。
(…信長様…貴方は…本当に…この世を…救おうとしておられるのですか…?)
宗則の心は、深く、傷ついた。彼は、信長への忠誠心を、失い始めていた。
宗則は、信長の前から、立ち去った。彼は、自室に戻ると、一人、考え込んだ。
(…わたくしは…一体…どうすれば…良いのだ…?)
宗則は、自問自答した。彼は、信長様に仕えることに、疑問を抱き始めていた。しかし、信長様に逆らえば、どうなるのか? 彼は、自らの進むべき道に、迷っていた。
その時、宗則の背中に、熱いものが触れた。それは、六合の手だった。
「宗則よ、お前は、まだ、迷っておるのか?」
六合は、静かに言った。
「…わしは…分からぬ…。」
宗則は、力なく答えた。
「信長様は…本当に…この世を…救おうとしておられるのだろうか…?」
「信長は、確かに、多くの血を流してきた。しかし、彼は、同時に、多くの者を、救ってもきた。彼の目指す世が、どのようなものなのか、見届けるのじゃ。そして、お前が、本当に、信じる道を、選ぶのじゃ。」
六合の言葉は、宗則の心に、深く響いた。宗則は、六合の言葉に、励まされる思いがした。
「…ありがとう…六合…。」
宗則は、深く頭を下げた。彼は、自らの進むべき道を、自分で、見つけることを、決意した。
宗則は、和田惟政の無念を晴らすため、そして、自らの進むべき道を見つけるため、六角家の怨念の根源を断つことを決意した。彼は、六合と共に、近江の地へと、旅立つことを決めた。
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