第百六十二話 安土の結界
宗則は、信長からの勅命を受け、安土城へと向かう道すがら、その土地が放つ尋常ならざる「気」を感じ取っていた。
それは、ただの城が持つ気ではない。幾多の苦難を乗り越え、天下統一を目指す信長の強大な野心、そして築城に関わる多くの人々の血と汗の結晶が凝り固まった、まるで生きているかのような強大な「力」の気配だった。
「フフフ……信長の気か……この力、長島の狂信者どもとは比べ物にならぬ。これこそ、真の天下を望む者の力よ!」
炎をまとった蛇の姿の騰蛇が、興奮するように身を震わせる。
「主様、この気は、ただの『力』ではありません」
太陰は、その強大な気の裏に潜む、冷たさや傲慢さを感じ取り、宗則に語りかける。
「人の命すらも支配しようとする、底知れぬ業の気配がいたします。」
宗則は、安土城の最上階、天主へと案内された。信長は、眼下に広がる壮大な景色を眺めながら、宗則に語りかけた。
「宗則よ、この安土は、この世の全てを象徴する。余の力、この天下泰平を成すための礎となるのだ。そなたの術をもって、この城にさらなる力を与えよ」
信長は、宗則の持つ陰陽の力を、ただ自身の天下統一の道具としてしか見ていないことが明確だった。
「この結界は、単なる守りではない。余の威厳を、この世の隅々にまで轟かせるためのものだ。さあ、始めよ」
信長の言葉に、宗則は安土城の要所を巡り始めた。彼は、信長の意図通りに結界を張れば、その術は民衆の自由な意思や、土地の自然な流れを歪める「支配」の力となることを確信する。
宗則は、信長の命令と自身の信念との間で激しく葛藤した。信長の「力」を否定することはできない。それが、この乱世を終わらせるための唯一の道であるかのように見えるからだ。しかし、長島で顕忍と戦い、確立した「民の安寧」という信念は、信長の「支配」の思想とは相容れない。
「……俺は、俺の道を貫く」
宗則は、強く決意した。信長の命に従いつつも、自身の信念を貫く。彼は、結界の術に、太裳の「秩序」の力と、六合の「和合」の力を組み込み始めた。信長の「支配」の術を、「民の心と心を結びつける」、あるいは「土地の清浄を保つ」ための術へと昇華させようと奮闘した。
宗則が術を発動させると、安土城全体が淡い光に包まれる。城は、信長の威厳を放ちながらも、どこか穏やかで、人々を安堵させるような不思議な力を宿していた。信長は、その力の増大に満足げに頷く。彼は、宗則が結界に施した細工には気づいていない。
宗則の術の完了を見届けた後、勾陳が、宗則の心に直接語りかける。
「フフフ……哀れなことよ、宗則。どれほど清らかな心で術を施そうとも、その結界は、信長の『力』を増幅させるためのものに変わりはない。所詮、人の心は穢れに染まる。信長の欲望も、そなたの術で変えられるものではあるまい」
勾陳の声は、宗則の努力を嘲笑うかのようだった。
「真の混沌は、もうすぐそこまで来ているのだ……」
宗則は、勾陳の言葉に屈することなく、自身の信念を貫いたことに、わずかな安堵を覚える。彼の信念は、信長の権力や勾陳の誘惑に抗うための、確かな道しるべとなっていた。宗則は、安土城を後にし、次の使命へと向かうのだった。




