第百五十四話 友の叫び、帝の憂い
ご無沙汰しておりましたが、再開です。
東雲宗則は、血と硝煙の匂いすら感じさせるかのような、一枚の手紙を固く握りしめていた。
京の都、花山院邸の一室は、縁側から差し込む柔らかな光に満ち、鳥のさえずりが微かに聞こえるばかり。
しかし、宗則の心は、遠く離れた長島に広がる地獄で、引き裂かれんばかりに呻いていた。
隼人の手紙……それは、親友の悲痛な叫びだった。飢えと狂気によって「亡者」と化した一向宗徒。地獄と化した戦場の様が、宗則の脳裏に鮮明に焼き付く。
「自分は今、この穏やかな場所で何をしているのだ。友は地獄で戦っているというのに……」
宗則は、自身の無力感に胸をかきむしられるような思いだった。
六合の体が、宗則の傍らでゆらりと揺らぐ。禍々しいその姿とは裏腹に、その声はどこか心配げだった。
「主様、長島の民の悲しみが、ここ京にまで届いております。彼らの魂が、救いを求めておりまする……」
六合の言葉は、宗則の心にさらに深い痛みを与えた。
すると、その傍らで騰蛇が苛立ちを露わにする。
「愚図るな、宗則!友が危機に瀕しているのだぞ。その強大な力をいつまで隠しているつもりだ?信長に願い出て、あの地獄を鎮めに参るか、あるいは……泰山府君の術とて使ってでも友を救う覚悟を持て!」
「黙れ、騰蛇!」
宗則は思わず声を荒げた。泰山府君の術。それは、師である白雲斎の死に際して、宗則が使った禁忌の術。白雲斎に安らかな死を与えるためとはいえ、他者の寿命を操るという、その術の恐ろしさと重みが宗則の心を常に縛り付けていた。二度と、軽々しく使ってはならないと、心に誓っていたのだ。
その時、宮中からの使いが訪れる。天皇からの緊急の召集だった。
清涼殿の一室は、いつもより厳かな空気に満ちていた。人払いされた部屋で、天皇は宗則を待っていた。その顔は憔悴し、瞳には深い憂いが宿っている。長浜一向一揆の惨状は、天皇の耳にも届いていたのだ。
「宗則よ……面を上げよ」
天皇の声は、静かではあるが、その裏に隠しきれない苦悩が滲んでいた。
「長島の一向一揆の報、そなたも耳にしておろう。信長が苛烈に事を進めているのは承知の上じゃ。しかし……あの地の民が、飢えと狂気に蝕まれ、最早人の形を成していないと聞く。心が痛むばかりじゃ……」
天皇は、ゆっくりと息を吐き出す。
「武力による制圧のみでは、解決できぬ事態と心得る。あの地には、人の世ならぬ『穢れ』が満ちている。そなたの陰陽の力ならば、武力では及ばぬ領域に触れることができるはずじゃ。宗則、そなたの力で、あの地の『真の姿』を探り、何が起きているのかをこの目に報告してほしい」
その言葉は、信長の強権を牽制するだけでなく、天皇自身の、民の苦しみを救いたいという切なる願いが込められていた。天皇は、宗則の瞳を真っ直ぐに見つめ、重ねて言う。
「宗則、この世の苦しみを、少しでも減らしてほしい……。そなたにしかできぬことがあるはずじゃ」
宗則は、深く頭を下げた。天皇の言葉、そして何よりも隼人の手紙が、彼の心の迷いを打ち破った。長島の地獄を止めたいという友を思う個人的な感情と、天皇の民の苦しみを救いたいという天下の憂いが、宗則の中で一つに結びつく。
「は……!」
彼の内に、優柔不断を乗り越えようとする強い意志が宿った。
「私は……この京で何をしているのだ。友は、民は、地獄で苦しんでいる。泰山府君の術は禁忌。だが、私には陰陽師として、彼らの苦しみを少しでも和らげるために、この身とこの術を使う義務がある。信長様の命令であろうと、天皇様の御心であろうと、まずはあの地の真実を見極めなければ。そして……民の安寧こそが、真の天下泰平なのだ!」
宗則の決意を察知した騰蛇は、宗則の傍らで静かに光り、勾陣もまた、宗則の内に秘めた覚悟の炎を認め、その表情に微かな満足を浮かべた。
宗則は、長浜へと向かう準備を始めた。彼の表情はまだ憂いを帯びているが、その瞳の奥には、確かな光が宿っていた。
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