天下より田植え
この国は、日の本。
幾つもの国が覇を競い、武士たちが刀を交える戦乱の世である。
だが、我々の知る歴史とは少し違う。
天下人の名も、国を治める一族の名も、この世界では異なる。
似て非なる、もう一つの日の本である。
◇◇◇
初夏の河内。
青々とした苗が風に揺れ、田には蛙の鳴き声が響いていた。
城下の領民たちは腰まで泥に浸かりながら苗を植え、その中に一人、誰よりも大きな男が混じっている。
六尺を優に超える体躯。
日に焼けた顔に、人懐っこい笑み。
河内・杉下城城主、杉下源太郎義藤、その人である。
「殿ぉー! そっち、まだ空いてますでー!」
「おう、今行く!」
鍬を肩に担ぎ、義藤は豪快に笑った。
その隣では妻の真智が手際よく苗を植え、二人の息子たちも泥だらけになって働いている。
「父上、ここ真っすぐ植えた方が綺麗ですよ。」
長男の源太郎藤嗣が綺麗な直線を描くように苗を植えていく。
「おっ、藤嗣。よう見とるな。」
「兄上、そない丁寧に植えとったら日ぃ暮れるで。」
弟の源五郎義保は豪快に苗を突っ込み、真智が額を押さえる。
「義保。それでは秋に泣くんはあんたや。」
「えぇー……。」
領民たちは思わず吹き出した。
「若様ぁ! 奥方様の言うこと聞かなあきまへんで!」
「ははは!」
笑い声が田に響く。
戦乱の世とは思えぬ、穏やかな昼下がりだったのだが……。
「兄上ぇぇぇぇぇぇっ!!」
馬を飛ばし、一人の男が畦道を駆けてくる。
義藤の弟、源次郎義長である。
馬を止めるや否や、息も絶え絶えに叫んだ。
「また遊佐の奴らが攻めて来よります!」
義藤は泥だらけの手で額を拭った。
「……去年、あんだけぶん殴ったのに。」
「懲りん連中やなぁ〜。」
「今度は何人や。」
「ざっと二百ほど。」
「二百か。」
義藤は空を見上げた。
「今日はええ天気やのになぁ。」
その一言に、義長は肩を落とす。
「兄上、そこですか。」
義藤は田からゆっくり上がると、大きく伸びをした。
「しゃあない。」
腰に手を当て、大きな声を張る。
「支度せぇ! 出るでぇ!」
その声に、隣の畑を耕していた家臣たちが一斉に駆け出した。
槍を担ぐ者、鎧を抱える者、馬を引いてくる者。
田んぼにいた領民の男衆も立ち上がる。
「殿! 儂らも出ますか!」
義藤は、束ねた苗を一人の男へぽんと放った。
「いや。」
「へ?」
「田植えが先や。」
一瞬、田が静まり返る。
「……え?」
「戦は儂らが行く。田植えはお前らがやれ。」
義藤は当然のように続けた。
「田ぁ植えんと秋に飯が食えん。」
「……。」
「遊佐は今日追っ払える。せやけど、田植え遅れたら米は帰ってこん。」
領民たちは顔を見合わせ――やがて一人が吹き出した。
「はっ! そらそうですな!」
「殿が言うなら間違いあらへんわ!」
「ほな植えるか!」
再び苗が田へ並び始める。
その様子を見て、義藤は満足そうに頷いた。
「よし。」
槍を受け取り、肩へ担ぐ。
つい先ほどまで鍬を握っていた手が、今度は長槍を軽々と持ち上げる。
その目から笑みは消えていた。
「ほな、遊佐の阿呆どもに!田植えの邪魔してきた御礼してくるか!」




