第十三話
「……気圧が、おかしい。耳の奥が痛いぞ!」
阿久津が『阿久津弐号』を抱えながら呟く。モニターには、もはや数値化不可能な幾何学模様が踊っている。
それは、この空間の「重力」と「時間」が、ダークマターの異常励起によって引き絞られている証拠だった。
「シンジ、最短ルートは!?」
「計算上は直進だ。でも、三秒ごとに空間の『位相』がズレている。今中さん、座標404に干渉して! そうしないと、僕ら次のステップで壁の中に埋まるよ!」
シンジの額には、数式を演算し続ける負荷で大粒の汗が浮かんでいる。
みやびは無言で指先を空中に走らせました。
(……間違いない。この波動、未来で私を葬った『特異点爆弾』の初期理論と同じだわ。誰が……誰がこんな不完全なものをこの時代に持ち込んだの!?)
最下層、地下四階。
そこは、神宮寺麗華の家門がかつて秘密裏に建設した、巨大な円形ホールだった。
中央には、巨大な水晶の柱のようなデバイスが鎮座し、その周囲を、無数のケーブルが這うように囲んでいる。
「……あれが、神宮寺の負の遺産。『疑似・特異点』の発生装置よ」
麗華が憎しみを込めて吐き捨てました。
デバイスの傍らには、中学の恩師・・・とよぶにはあまりに醜い、田中の姿はなかった。
代わりに、白銀の制服を着た少年、九条レンが、無機質な装置のレバーに手を添えて立っている。
「やあ、皆さん。予定より五分早い到着だね」
「レン、やめなさい! その装置は不完全よ。今すぐ止めないと、学園どころか、この街一帯が空間の特異点に飲み込まれるわ!」
みやびの叫びに、レンは感情の起伏がない瞳で振り返った。
「分かっているよ。だからこそ、君が必要なんだ、九条。……いや、今中さん。この装置には『魂』が足りない。ダークマターを完璧に御せる、君という生体パーツがね」
レンがレバーを引いた瞬間、ホールの中央で漆黒の「球体」が膨れ上がった。
それは光さえも吸い込む絶望の穴。
「……う、うわああ! 弐号機のセンサーが、物理的に溶けてる!?」
阿久津が叫び声がこだまする。
「確率変動、ゼロ! 今中さん、逃げ場がない!」
シンジが絶叫します。
だが、みやびは逃げなかった。
彼女は一歩、また一歩と、その「黒い太陽」へと近づいていった。
「……阿久津くん、君のデバイスの出力を最大にして。シンジくん、空間の『凪』が来る周期を割り出して。麗華さん、神宮寺の緊急停止コードを叫んで!」
「……今中さん!?」
「私は、調律師よ。こんな出来損ないの『過去の亡霊』に、私の仲間は指一本触れさせない!」
みやびの両目から、眩いばかりの銀色の光が溢れ出した。
それは、彼女が「今中みやび」として生きてきた十数年の記憶と、未来の「九条」としての意志が、初めて完璧に融合した瞬間であった。
「展開……因果の鎖!」
みやびの手から放たれた無数の光の糸が、暴走する黒い球体を縛り上げ、その「存在」そのものをこの世界から隔離し始め、阿久津が、その光景を呆然と見つめている。
シンジは、その不可能な数字の羅列に震えている。
麗華が、かつて失った誇りを取り戻すかのように、みやびの背中に手を添え
激しい光と衝撃がホールを包み込み、そして――。
沈黙が訪れた。
漆黒の球体は消え、そこにはただ、機能を停止した冷たい機械の残骸だけが残されていた。
九条レンの姿も、いつの間にか霧のように消えていた。
「……はぁ、はぁ……」
膝をつくみやびに、三人が駆け寄り
「今中さん!」「みやび!」
「……大丈夫。ただの、授業参観にしては、少し派手すぎただけよ」
みやびは弱々しく微笑んだ。
しかし、彼女は気づいてしまった。
装置が止まる寸前、モニターに表示されていた一通のメッセージを。
『実験成功。第一フェーズ終了。次は、市場で会おう』
田中の組織は、単に力を誇示したかったのではなく、彼らは、みやびが仲間を助けるために「全力の力」を出すのを、待っていたのだ。
「……麗華さん。予定を早めるわ」
みやびは、麗華の手を借りて立ち上がると
「十億円じゃ足りない。百億、千億。世界を買い取って、彼らの遊び場を根こそぎ奪う。……明日から、本格的な『買収計画』を始めるわよ」
三人の異能たちと一人の調律師。
彼らの戦いは、学園の地下から、世界を動かす「数字の戦場」へと、その舞台を移そうとしていた。




