アイリーン・ベア・エリザベート篇
これから話すのは私、アイリーン・ベア・エリザベートの最初の転生のお話。
あの時はどうして私がここに居るのか、何があったのかさえ、全く思い出せなかった。
いや、思い出すの暇もないぐらい忙しかったという方が適切かもしれない。
確か、頭がはっきりとするまで凄く時間がかかったわ。
まぁ初めての転生だもの仕方が無いわよね。
自分が何者かに気づき始めた時に偉そうな初老の男性が私たちを威圧してきてとても不快だったのを覚えているわ。
あの時は仕方なく言われた通り初めて王様と対面したのだけれど…ほんとにまさかだったわ。
あの時とった行動が正しかったのかどうか今でも分からない。
連れていかれた場所に居たのはそれはそれはとても若い、誰もが見惚れるようなイケメン。
それよりも私が驚いたことはこの人物に見覚えを感じたこと。
この時、記憶はなかったにせよ、この国の国民・貴族であれば見た事のあるはずなのだが…不思議と私が想像したのはもっと老けた時の顔。
そこでやっと気付いたのよね、この世界が乙女ゲームの世界『ベアーズリーン』である事に。
でもまさかここで気絶するとは…。
次に意識を取り戻した時、私は自室の寝室へと運ばれていたわ。
自分で言うのも変な話だけれど、こうして当時の記録を見ながらでないと当時のことを思い出せないほど、私の記憶力は弱いのよね…。
それで前世も苦労したんだっけ…。
いけないわ、話が脱線してしまった。話を戻しましょう。
あの時もこの世界の人には分からない日本語で沢山のメモを書いて、魔術の研究でもしてるのではないかなんて言われていたようね。
この世界が乙女ゲームの世界であり、この話の悪役令嬢として担ぎあげられているワーリス・チェリ・エリザベートに降りかかるであろうこれからおこる大まかなストーリー、覚えている限りのルート分岐点、この世界に初めできた宝物、チェリを守る為沢山考えたわ。
沢山悩んで、結局行き詰まった私は散歩に出かけたんだっけ。
まさか、そこであんな物を目にするとは当時の私は思いもしなかったわ。
ちょっと残念な旦那様ナイル・ディア・エリザベート
彼は由緒正しき公爵家の庭園で堂々たる密会。
セキュリティの甘さや腐敗には本当に呆れたものだわ。
ま、もっと開いた口が塞がらなかったのはその後だけれど。
バカなナイルは私に浮気をしている事、彼女が庶民である事そしてバカの彼女もバカである事。
全てを曝け出して意気揚々と帰って行ったっけ。つくづく馬鹿なのだなと私は感心する。。
まぁ、侯爵家として側室を持つことは悪くはないのだが…言い方に腹が立った事は今でも覚えてる。
覚えているという事はそれだけ感情が起伏したという事、心を殺してしまった今の私には思いもつかない。
当時の私は思いもよらない悪役令嬢扱いに酷く憤怒した気がする。
今に思えば、馬鹿なのだから仕方が無いことだと思うのだが…。
結局、私の宝物、チェリを救う為に色々考えた結果、ゲームの悪役令嬢のように傲慢に育たなければ良いという結論に至って、自分で子育てをしてみようと計画したんだっけ。
毎日毎日頑張って、5歳になった頃には悪役令嬢の片鱗も見せない大人しいお淑やかな少女になったんだっけ。
そんな頃よね、王子様との初顔合わせは。
別室に移動した2人、人見知り発揮中のチェリとは対照的に王様の前とはうってかわって正反対の態度をとるアラン・グリー・ブルーム。
さっきと何が違うかって?
さっきまでは一人称が「僕」だったのに対して、今では「俺」更にはソファーにふんぞりがえって座っている。
これではチェリの中の理想の王子様が木端微塵に砕け散るのもうなずける。
そんなこんなで、あの日は本当に大変だった。
馬鹿なナイルを適当に相手して、すっかりへこんでしまったチェリを慰める。
あの時は本当に困った。
なにせ前世の私は人と関わる事を避けていたからね。
人の気持ちなんて理解出来るわけが無い。
落ち込むチェリを励ますことも出来ず、何故王子に絶望しているのかも理解出来なかった。
今思うに何にも出来なかった自分が本当に悔しい。
そんな次の日救いの女神がやって来てくれたのよね。
ピン・ツーラーには感謝してるわ。
本当に3人が仲良くなってくれて良かったわ。
そこで私は帰り際にハチェット・ツーラーさんを捕まえてあるお願いをしたわ。
そこからは、王子の性格はもう変わらないものと仮定して、チェリが変わるしかないと思ってだんだん変わっていったのよね。
女は強し。この言葉は正しいと思うわ。
男の子よりも先に大人になるというのは本当のことだなと常々思う。
それにしてもだわ。意地悪が少し幼稚すぎやしないかしら。
王子のセレモニーパーティーのダンス相手にチェリを選ぶかしら。
本日一番目立つ男が、これから国を共に背負う事になる女にこんな幼稚ないじわるするものかしら。
これもチェリにとっては試練だったのかもしれないわ。
にしても、試練として出すの早すぎはしませんかね?まだゲームも始まってない時期に、ゲームの中で語られることも無い時に試練なんて出しますか?
これがゲームではない、この世界を生きている者の証なのかもしれない。
断ることも出来ないからチェリには暗示をかけてみたけれど、あれあんまり上手く掛からないのよね…。
前世では私が幼かった頃によく母に掛けてもらっていたただのおまじない。
仕掛けに気づいてからはからっきしかからなくなってしまったが、結局は本人の気持ちのもちようという事だわ。
そう考えると、覚悟を決めれたあの時のチェリは本当に素晴らしかった。
それからは婚約発表があって、忙しくなって、バタバタしてる間に入學式。
入學式前日、そこでとっておきの魔道具をチェリにプレゼントしたんだっけ。
ハチェットさんに無理言って、細かく細かく細部まで指定して作ってもらったハチェットさんご自慢の特製の魔道具!
でもこれに搭載された機能、本人にバレたら嫌われないかしら…。
前世で言う、親が子供の通学に不安だからと持たせる子供携帯より、もっと子供のプライバシーが無くなる代物。
1歩間違えればストーカーのようなものだからねぇ…
形だけで観ると前世の人間はポータブルゲーム機にしか見えないが、あの世界の人には何なのか全く分からなかっただろう。
でも、ストーカーに見られようが、不審者に見られようが、背に腹はかえられない!…と一度言い訳をして…。
チェリを守る為にはチェリを深く知っておく必要がある。
くれぐれもバレないように気をつけなければ…。
お母様とのお別れは辛かったが、なんとか無事入學式の会場である講堂には着いたのはいいが、周りの人の目が気になって顔をあげれない…。
本当は未来の妃として胸を張って前を見ないといけないのだが、生憎この性格はまだなおっていなかった。
ずっと俯いていた私にジーニア・クローバ・フラワーが話しかけてくれたの。
あの時は人見知りして上手く話せなかったけど、そこからは段々皆も話しかけてくれるようになって…クローバには感謝してる。
退屈でお得意の外向けスマイルのグリーの話も終わり、一応未来の妃としての自覚があったので欠伸を噛み殺しながら指定された自教室へ向かっていると、ホー・ツーラーが前に居ることに気付いたの。
いつものように声を掛けようとしたけど、彼にしては珍しく声を被せてきた。いつもは人の話を遮る事なんて無いのに…
突然の自己紹介に私は呆然としたけど、帰り際「ここではいつものようには振舞ってはいけないから。」と書かれたメモを貰ったの。
あの時の私には意味がわからなかったけれど、釈然としないままクローバに呼ばれたので取り敢えず後にする事にしたの。
その日の夜ピンが部屋をお忍びでこっそりと訪ねてきてくれたの。
少し躊躇ってしまったけれど、せっかく来てくれたのだからと、覚悟を決めてピンを部屋へ入れたの。
その時の廊下に特におかしなものは無いようね。
そこで、ピンにこの学園での暗黙のルールをしっかり教えて貰ったの。
そんなこと王妃教育じゃ教えてくれなかったリアルの話を。
別れ際の私の笑顔は心からの笑顔だったと思う。
学園祭の準備の活気づいている学園内。
普段とは違う学園に私を含め多くの生徒が胸を高鳴らせていたと思う。
特に私たち初界生は初めての学園祭、来年は先輩たちがしている事を私たちが行わなくてはならない。
高揚感と少しの覚悟を胸に忙しなくあたりをキョロキョロしていた。
そしてその時は来てしまった。
いつもは解放される事のない旧校舎、ここで事件が起きてしまう。
カナディア・テンプルと言う最近編入してきたクラスメイトの一人が薄暗い旧校舎の階段から転落してしまう。
そして、私が第一発見者となってしまう。
あの時の私はどう考えても不審な手紙に呼び出されたが、疑うことなく旧校舎へ足を運んでしまったの。
それが迂闊だったのだと今になってみれば思うの。
ちょうどよいタイミングでの悲鳴、かなり離れている筈の本校舎から来た生徒達、何よりポケットに入れていた筈の手紙が無くなっているという不可解な出来事。
それらすべてに疑わなくてはならなかったというのに、当時の私は冷静ではなかったの。
私は何度も何度も手紙は存在すると主張したが、現物を提示する事が出来ない私は圧倒的に不利だったの。
更に言うと、次の日のカナディアの容態も異常だったの。
私が見た時は階段に背を預け、左手を捻ったかな?程度の怪我のように見えたのに、現れたカナディアは頭まで巻いてある包帯、ギブス、三角巾までしていた。あまりにも不自然で大袈裟だったと思う。
疑うべき証拠は揃っていた、当時の自分の醜態に目も当てられない。
今日で学園生活は一旦終了。これから領地へ帰省する。
不可思議が続きグリー達の私へ対する態度はだんだん厳しくなり、当時の私は少し凹んでたの。
あんな奴の為に凹んでいる時間すら勿体ないことにさえ当時の私では気づかなかったの。
領地へ帰るために馬車に揺られいつも通る馬車一台がやっと通れるぐらいの細い崖路を通過しようとした時、私の乗っている馬車めがけて大きな岩が落ちてきたの。
確実に私の命を狙った犯行だった。
この作為的に引き起こされた事故で生き残った私付きの侍女のマリーは本当に運が良い。そして、生きててくれて本当に良かった。
狙いは私なのだから。マリーや馬車をひいてくれてた従者、馬たちには申し訳ないことをしてしまったと思うの。
こうなる事が分かっていれば、対処などを考えれたというのに…
チェリが居なくなったと聞いて、執事長の言葉を最後まで聞くことは出来なかったわね。
私の唯一の宝物、心が動かなくなってしまった今でも大切に想う私の宝物。
あの時はそれどころではなく聞いていなかったけれど、執事長曰く、チェリ付きの侍女、マリーは何かを抱きかかえるかのような恰好で発見されたと言う。
それもちょうど、チェリがすっぽりと収まりそうな格好で。
すぐに騎士団がチェリの捜索に向かったが、血痕ひとつ残さず、騎士団の優秀な狼ですら臭いを辿ることが出来ず、一切の痕跡を残さず消えてしまったチェリの捜索に暗雲が立ち込めているらしい。
一切の痕跡を残さず消え去ったチェリ、我が国一番の腕を持つ医師でさえ、死因を判別出来ない心肺停止状態のアイリーン。エリザベート家からほぼ時を同じくして消えてしまった二人もの人間。
これからエリザベート家は呪われた家として末代まで国民どころか隣国にまで恐れられる事になるだろう。
…と言っても、我が家はチェリ一人っ子なのでナイルがデビットとの間に子供さえ作らなければ末代なのだけれどね。
「今回の振り返りはこんなものでもういいかな。」
一体いつからそこに居たのが気づかなかったが、私がひと段落したのを確認して、彼が話しかけてきた。
彼はふわりと私の前に降りてくると、一瞬何か言いたげな顔をしたがいつもの胡散臭い笑みに戻った。
私は飲んでいた紅茶を置き、もう何も映されていないディスプレイから顔を上げた。
「ええ、今回はこのぐらいにしておくわ。」私は淡々と答えた。
そう言って私は画面の電源を落とした。
これで、アイリーン篇は完結となります。