修道女になろうかしら
扉に刻まれた魔法陣によって、重厚な音を立てて背後の扉がゆっくりと閉ざされていく。パタリと静かに閉ざされた音を聞いて、思わず安堵の息が零れた。
ああ、やっと終わった。幼少期から何かと突っかかって来た彼から、やっと解放されたのだ。そう思うと、笑みが浮かびそうになるのが堪えきれない。
でも、まだ駄目。今笑ったら、扉を守っている騎士たちに不審に思われてしまうわ。パーティーが始まってからすぐに会場を出てきた時点で、何かが起こったのは彼らも察しているでしょうし。
出来るだけ悲しそうな顔をするのよ、アナ。一生懸命尽くしてきた婚約者に裏切られた、可哀想な令嬢を演じるの。家に迷惑を掛けないためにこんな茶番を演じたんだから、最後まで完璧にやりきらなくてはね。
こちらが完璧な被害者だというのが誰の目にも明らかになるように、それでいて、必死に悲しみに耐えている健気な令嬢に見えるように。
……ああ駄目、堪えきれなくてどうしても肩が震えてしまうわ。私も未熟ね。彼らにバレていないといいのだけれど。
顔を俯かせ、1人静かに廊下を歩きながら、私は自分のこれからについて思いを馳せる。
普通に考えれば、新たな婚約者探しは難航するだろう。相手方に非があるのが誰の目にも明らかでも、傷が付くのは女性の方。貴族なんてそんなものだ。
あの馬鹿王子と婚約を結んでいる間に、年が近く家柄も釣り合って見所のある貴族の男子はみんな売れてしまった。大抵の貴族の女性は肉食だ。機会さえあれば直ぐに食いつく。
次男三男なら残っている所もあるけれど、跡継ぎでもない彼らでは私との釣り合いが取れない。下手すれば私との婚約を武器に後継ぎ争いが起こる。仕方ないといえばそれまでだけれど、進んで選びたい未来ではない。
けれど……私にこの力が宿っている限り王家が私を手放さないのは確実。馬鹿王子との婚約が破棄されたなら、今度は第2王子との婚約でも持ってくる可能性がある。その他の可能性としては、王の後妻かしら。どちらにしろ御免ね。
そうなれば、自ずと選択肢は一つに絞られる。そのためにあの日から今日まで頑張ってきたのだから。
今回の件で新たな王太子となるだろう第2王子と彼の婚約者の最有力候補と目されている令嬢は幼いながらに将来有望で、あの2人ならば心配はいらないと思える。私も遠慮なく旅立てるというものだわ。
………と、そんな事をつらつらと考えている内にいつの間にか学園のエントランスに着いていたようだ。うつむけたままだった顔を上げれば、目の前にはずらりと並ぶ馬車の列。
クーヴレール公爵家の馬車は入口にほど近い場所に止めてあった。身分が高いほどエントランスに近いところに止めているのだから、当然といえば当然のことだ。
パーティーが始まったばかりだと言うこともあり、まだ殆どの馬車は帰っていなかった。それは、クーヴレール公爵家も同じこと。私の御者兼護衛兼従者を務めているエリックは、驚いたようにこちらを見ていた。フィリップの姿が見えないのは、馬車の屋根の上にでもいるのだろうか。
「あらエリック、そんなに驚いてどうしたの?」
「分かってて言ってるでしょう、お嬢様」
「あら、バレちゃったわ」
クスクスと笑いながらもそう返せば、エリックははあ……と溜め息を吐きかけ、それに気付いて慌てて取り繕っていた。
いつもの様に溜め息を吐かなかったのは、ここが公爵家ではなく他家の家の使用人たちの目があるからだろう。
公爵令嬢が家の使用人にそんな態度を取られているのだと思われてしまえば、他の貴族家に舐められる。分かっていても、いつもと態度を変えられるのは少し寂しいものがあった。
「ところでお嬢様、あの2人はどちらに?」
「あら、あの子たちならその内来るのではないか」
「お嬢様ー! 置いていくなんて酷いです〜!!」
噂をすれば何とやら、私が全て言い切る前にマリベルが走ってやって来た。今日も彼女は元気いっぱいだ。本当に、あの元気は一体どこから来るのだろう。
……って、流石にそんなことを考えている場合ではないわね。
「……マリベル、流石に走ってくるのはお止めなさい。ここには他の貴族家の目もあるのよ?」
「だってだって、お嬢様が置いていくんですもん!」
「貴方もエルザも気配察知が使えるでしょう」
「そりゃ使えますよ! けど、だからと言って置いてくのは酷くないですか!? それに、お嬢様わざ、と……」
私がちょっとした悪戯心で気配遮断を使ったことを言っているのだろう。すっとぼけていると、話している途中でマリベルはぎくりと顔を強ばらせた。
その反応は正しいけれど、少し遅い。手遅れだ。
ぎぎぎ、という音が今にも聞こえてきそうな動作でゆっくり背後を振り返るマリベルの視界の先にいたのは、背後に般若を背負った満面の笑みの私の侍女だった。
「ひ……っ。え、エルザ……」
「マリベルさん? こんな目立つ場所で何をなさっているのですか? それに走っていくなど…ねえ?」
普段呼び捨てにしている人をさん付けで呼ぶ時は、大抵エルザがとても怒っている時。笑顔だからこその威圧感に、マリベルがだらだらと冷や汗をかいている。
……と、冷静に考えていられたのはそこまでだった。
「っふ、うふふふふ」
何とか吹き出すのだけは耐えたけれど、込み上げてくる笑いは止まらない。馬鹿王子のせいで疲れているのか、今はいつもよりもツボが浅いのだ。普段通りのやり取りをしているだけの2人だが、今はそれだけでも面白い。まあ、この2人はいつでも面白いのだけれど。
「ふふ、その辺りで勘弁してあげて、エルザ」
「お嬢様……!」
「ですが…」
私の言葉に救いを見たかのように目を輝かせるマリベルと、なぜ止めるのかと不満げにするエルザの姿は実に対照的だ。でも私、怒るのをやめろとは一言も言ってないのよ?
「ここは人目があるから、お説教は馬車に乗ってからか、屋敷に着いてからにしましょ」
公爵家の中でならともかく、外でこれなのは流石に叱らなければいけない。使用人の評判は、公爵家の評判にも繋がってしまいかねないのだから。かと言って人目のある所で叱れば、我が家の瑕疵を他家にも晒すことになってしまう。それは避けたい。
「そ、そんなぁ…」
「それもそうですね。私とした事が、失礼致しました」
がっかりした様子のマリベルと、納得したのか淡く微笑みを浮かべて一礼するエルザ。私の言葉に対する反応はやっぱり対照的で、また笑いが込み上げてきそうになったのを何とか堪えた。
「さあ、帰りましょうか」
私がそう言うと、エリックがわざわざひらりと御者台から飛び降りて馬車までエスコートしてくれた。まあ、ドレス姿で登るにはこの段差は高いものね。
馬車に乗り込んで、進行方向側の席に座る。こっちは下座だが、エルザが座ると馬車酔いしてしまうのだ。弱点らしい弱点がほとんどないエルザが唯一ダメなのが馬車なんて、なんだか不思議ね。
マリベルが乗り込み、最後にエルザが馬車の中に入ってきた時、彼女は申し訳なさそうな顔をしていた。毎度のことなのだからいい加減に慣れればいいのに。
エルザが座ったのを確認した後、エリックが静かに馬車の扉を閉めた。それから少しして、微かな衝撃と共に馬車が走り出す。
窓の外には、まだ並んだままだった馬車が慌てて脇に寄って行く様子が見えた。進行方向は綺麗に道が割れている。
視線を感じて窓に向けていた目を正面に向ければ、横目でちらちらとエルザを窺っているマリベルとこちらに真っ直ぐ視線を向けているエルザの姿がある。何か言いたいことがあるみたいね。
「お嬢様、お伺いしてもよろしいですか」
「ええ、何かしら」
背筋を伸ばして改まった様子で尋ねてくるエルザにこくりと頷く。何かしら、と尋ねはしたものの、この状況でエルザが聞きたがることなど1つしか無いことは分かりきっていた。
「パーティー会場で一体何があったのでしょうか」
……ああ、やっぱり。始まってから少ししか経っていない筈のパーティーから主が早々に戻ってきたら、それは気にもなるだろう。使用人の分際で、と怒るほど私は狭量ではないつもりだし。
「あ!それ、私も聞きたいです!!」
「マリベルは少し静かにして下さい」
エルザの発言に反応して弾かれたように手を上げるマリベルと、その膝を引っぱたくエルザ。本当にいつも通りの光景に、日常が戻ってきたような気がした。
「そうね、簡潔に一言で纏めるわ。婚約破棄されて来たの」
「…………………………………………はい?」
言葉の意味を即座に理解することが出来なかったのか、かなりの間を開けてエルザがようやく反応を返した。そうは言っても、困惑気味に首を傾げただけだ。それはマリベルも例外ではなく、彼女も完全にフリーズしていた。
まあ、それが正しい反応よね……。普通、王子が突然婚約者に婚約破棄を突きつけるとか誰も思わないもの……。それも、王家から打診して来た政略的な婚約を。
「申し訳ありません、どうやら耳が悪くなってしまったようです。もう一度言って頂けませんか?」
「聞き間違えではないわよ? 婚約破棄されて来たの」
「……は?」
「え、ええええええええ!?」
一瞬後、狭い馬車の中にはにっこり笑顔ながらもドスの効いたエルザの声とマリベルの驚きの声が響き渡ることとなった。




