なんなのよあの女! sideリーゼロッテ
なんなの、なんなの、なんなのよ! 愛しい愛しい婚約者を取られて悔しいでしょ? 男爵令嬢と馬鹿にしていた私に出し抜かれて屈辱でしょう!? なんでもっと無様に動揺しないのよ!!
一度もこちらを振り返ることなく部屋を出て行くアナスタシアの背をキッと睨みつける。アナスタシアが泣き崩れないなんてありえないんだから!
気高く凛と背筋を伸ばしたアナスタシアの姿を見て、ギリっと歯を噛み締めた。
ああ、なんて憎らしい。
* * *
「アナスタシア、お前との婚約は解消だ!」
「アナスタシア様、わたし達は真実の愛で結ばれているのです。どうか、どうかお許し下さい……」
ようやくここまで来た。実感すると堪らなくて、私は必死に笑いを堪えていた。ああ、やっとあの女の無様な姿を見ることが出来る。あのお高く止まった仮面を剥がせるのだ。
この日をどれほど待ち望んだことだろうか。
私には、前世の記憶がある。私の前世は、『日本』で暮らす可愛い女子高生だった。勉強に疲れて若干やさぐれていた当時の私は、友達に勧められて『天使の愛し子』と言う名前の乙女ゲームをプレイした。
そうして、その乙女ゲームに出てくるルーカス王子のことが大好きになった。ヒロインを真っ直ぐに見てくれるルーカス様。ちょっと強引で、でも本当は臆病なルーカス様。これで好きにならないなんて嘘でしょ?
ルーカス様が好き過ぎて彼のルートばかりを回り続けた。グッズも全部揃えて、兄や妹、勧めてきた友達にすら気持ち悪いものを見る目で見られながらも私の毎日は前とは比べものにならない程充実したものになった。
……現実として会ってみれば私のルーカス様とは全然違ったけど。あの時の私のときめきと私のルーカス様を返してよ!!
交通事故で死んでしまったけれど、ルーカス様のいるこの世界に転生出来たと知った時はとても嬉しかった。しかも転生先はリーゼロッテ。これは神様が可哀想な私に与えてくれた御褒美に違いないと思った。
今目の前に立っているアナスタシアは、ゲームの中では悪役令嬢。自分の出産が元で母親を亡くし、父親に冷たい態度を取られ続けた彼女は、やがて婚約者となる強引でありつつも優しいルーカス様に惹かれ、依存していく。そうしてまた、流行病で幼い内に自分の母親を亡くしたルーカス様も、同じ痛みを持つもの同士、一途な恋心を向けてくれる彼女を断りきれずにいた。
そこに現れたのが、ゲームヒロインであるリーゼロッテだ。彼女は持ち前の天真爛漫さで傷付いたルーカスの心を癒し、2人は惹かれ合っていく。だが、ルーカスに執着するアナスタシアがそれを許すはずもなく……。
と、言うのが原作、ルーカスルートのストーリーだ。
だが、現実はどうだろうか。
ゲームが始まっても悪役令嬢であるアナスタシアは全く動く気配を見せず、ルーカスに執着している様子もない。ルーカスも、アナスタシアをとても嫌っている。主人公に祝福を与えるはずの『彼』はいつまで経っても出て来なかったし、他の攻略対象も近付いて来ない。でもそんなものは関係ない。ゲームは順調すぎるほど順調に進んで行った。私とルーカス様は結ばれる運命だから、ゲームよりも頻繁に会えて嬉しかったくらい。顔だけは私のルーカス様と同じだもんね。
そうして訪れた学園の卒業パーティー。やっとあの気に食わない女の無様な姿が見られると思ったのに。
「理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか」
そう言ったアナスタシアは、傷つきつつも嫌味なくらいに落ち着き払っているように見えた。とても気に入らない。
もっと無様に取り乱しなさいよ! 取り乱して、泣いて、自分はやってないと叫んで、ルーカスに縋り付きなさいよ! それがシナリオなの! そうじゃなきゃおかしいでしょ!? あんたはそういう風になる運命なんだから!!
痛みを堪えたような顔で、それでもアナスタシアは笑う。……何で? 何で何で何で!? どうしてそんなに落ち着いてるの!
ゲームをしていた頃から悪役令嬢アナスタシアが大嫌いだった。あのツンと済ましてお高く止まったいけ好かない態度。ルーカスにだけは媚びるところも気に入らない。ルーカス様は私のものよ!
……ああ、思い出すだけでも腹が立って来た。婚約破棄され、泣いてルーカスにしがみ付くアナスタシアをこの目で見られるはずだったのに。
現実は上手くいかない。泣いてすがりつくアナスタシアを見れないどころか、お高く止まった態度すら崩すことが出来ないだなんて。
今も彼女は平然とした様子でルーカスの言葉を聞いている。それどころか、先程は私に向かってくすりと嫌味ったらしく笑ってすら見せたのだ。ムカつく。
「ごめんなさい、アナスタシア様。貴方の慕わしい方を奪ってしまった事は、申し訳なく思ってるんです……」
見せつけるように、ひしとルーカスに寄り添ってみせる。彼女はルーカスが好きなはず。幼い頃に一目惚れして無理矢理婚約者になった、というのがゲームでの設定だったのだから。
……どう、悔しいでしょ? 顔を真っ赤に染めて拳を握って良いのよ? 無様に泣き崩れてくれたら尚いいわ。
「リーゼロッテ、こんな奴も気遣ってやるなんてお前はなんて優しいんだ……」
慈しむように、優しい手でルーカスが私の髪を撫でる。やはりあの性悪ではなくお前を選んだ俺は正しかった、と囁いてくるルーカスにはにかみながら、アナスタシアを見る。彼女は眉一つ動かしていなかった。無駄に整った顔に笑みを浮かべているだけだ。何を考えているのかさっぱり分からない。
「では、わたくしはこれにて失礼させて頂きますね。お2人のご多幸を微力ながらお祈りしておりますわ」
悔しそうな表情なんて微塵も浮かべないまま、カーテシーをして凛と背筋を伸ばした彼女は背を向ける。その背中を、私は思いっきり睨みつけた。
と、アナスタシアがいきなり振り返った。ゆっくりした動作に苛々しつつ、慌てて『アナスタシア様に怯えるか弱く可憐な私』のものにする。危ない危ない。この後に及んで一体なんの用かしら。ゲーム通りには行かなかったにせよ、婚約破棄はされたんだからさっさと出ていけばいいのに。
「皆様、この晴れの日にこの場をお騒がせしてしまったこと、本当に申し訳なく思いますわ。わたくし達のことはお気になさらず、どうぞこの後もパーティーをお楽しみ下さいませ」
そう言って、アナスタシアはまた腰を落として頭を下げた。何よ、この下らない謝罪。正義が悪に打ち勝ったんだから、皆喜んでるに決まってるでしょ?
そう思って周りを見回すと、視界に映るのは呆れたような目、バカを見る目、冷めた目……好意的なものなど1つもない。反対にアナスタシアを見る目は、彼女に同情的だったり、気遣うような視線を向けていたり、関心するような目を向けていたりと好意的なものばかりだ。意味が分からない。私たちが悪いとでも言おうっていうの!?
今度こそ振り返らずに去っていくアナスタシアの背中を少々肩身の狭い思いで見つめながら、私は心の中で誓った。
いつか絶対に、ぎゃふんと言わせてやるんだから! 待っていなさいよ!!