元はと言えば貴方のせいです。
パチ、パチ、とエリックが起こした火が音を立てて爆ぜる。火にかざした手に暖かさがじわりと染みて、ほっと息を吐いた。
いくら今が夏だといえど、もう秋に差し掛かっているのだ。私たちが進むのは北の方角ということもあって、夜は冷える。体に染みる冷たさに思わずふるりと体を震わせた。
「アナ? 寒いのか?」
「平気よ。エリックが起こしてくれた火のおかげで暖かいもの」
隣に座るヴィンセントが心配そうに尋ねてくる。なんでもない顔をして返事をすると、そんな私たちのやり取りを見ていたエルザが呆れたように溜め息を吐いた。
「お嬢様、そういう時は素直に寒いと言ってください。お嬢様が言葉を飲み込んでしまえば、私たちがお嬢様の望みに沿って動くことが出来ないではありませんか」
「……本当に平気よ。心配ないわ」
ふいと目を逸らして答えると、再び嘆息が帰ってくる。どうしてこんなに頑固なのでしょうね、と言いながらエルザはどこかに言ってしまった。
しばらくすると、数枚の毛布を手にしたエルザが馬車を停めた方角から歩いてくる。そして、丁寧な手つきで私の肩に毛布をかけた。
「どうぞ」
「ありがとう、エルザ」
「いえ、お嬢様に風邪をひかれるほうが困りますから」
「一言多いのよ」
毛布を自分の方に引き寄せつつ、思わず苦笑が漏れてしまう。エルザのこういう素直ではない優しさが、私は案外嫌いでは無いのだ。
「貴方も使いますか?」
念のため、といった様子で毛布を手にしたエルザがヴィンセントに尋ねる。
何でもない風を装っていたけれど、初対面の時に彼に無力を突きつけられたエルザにとっては相当な勇気だったのだろう。エルザの手は少し震えて見えた。
「いらん。お前が使えば良い」
どうでもよさそうな態度で、ヴィンセントが素っ気なく言う。確かに素っ気なくはあるけれど、大分態度が和らいできている。いい傾向だ。
「ですが……」
残り2枚しか無い毛布にちらりと視線を落とし、エルザが言い淀む。残りの毛布をヴィンセントとエリックに渡して、自分は使わないつもりだったのだろう。
自分は寒くないからと言い張ればいいと思っているのかもしれない。
瞳を揺らして迷っている様子のエルザに声をかけたのは、意外にもヴィンセントだった。
「エルザ……と言ったか? 何を躊躇う。俺が必要無いと言っているのだから、お前は何も考えず使えば良い。
俺はそこまで寒さを感じていないし、無用な遠慮をしてお前が体調を崩す方が余程迷惑だ。脆弱な人間1人、何があっても俺の知ったことではないが、アナが気にする」
ヴィンセントの言葉に、エルザが何かを考え込む。そうして、遠慮がちに口を開いた。
「では……ありがたく使わせていただきます」
それから少し目を逸らして告げられたありがとうございます、という言葉に、何故かヴィンセントが小さく目を見開き、笑い出した。予想外の反応にぽかんとしている私たちのことなどお構い無しだ。
「ふ、はは……っ。やはりお前たちは同じ時間を過ごしてきた主従だな。お前のその反応、癪なものを感じながら礼を言う時のアナによく似ている」
……そんなに似ているものかしら? 私とエルザが似ているなんて、考えたこともなかった。誰かに言われた覚えもない。思わず首を傾げる。
「ええっと……これ、どういう状況ですか?」
私とエルザが揃って首を傾げていると、エリックの困惑気味な声が耳に届いた。声のした方向に顔を向けると、大量の荷物を持って立ち尽くしているエリックの姿がある。
先程までこの場にいなかったのだから、エリックが状況を飲み込めないのも当然だろう。というか、この場にいて成り行きを見ていた私でもよく分からない。
「……貴方が気にする必要はないわ。それより、何か収穫はあったかしら?」
困惑を顔に浮かべながらも呆れたような目をしているエリックに、首を傾げて尋ねる。うーん、と唸るエリックの表情はあまり芳しくない。彼にとっては満足のいかない結果だったのだろう。
「ある程度の情報は集まりました。それと、街に行ったついでに食料も買い込んできましたよ。馬車に積んできた分はそろそろ底を尽いてきていましたから」
「そう、ありがとう。手間を掛けたわね」
「そこまで大した手間ではありませんでしたけどね。やはり、私1人で情報を集めるとなると……」
難しげな表情でエリックはその先を濁したけれど、言われずとも分かった。エリック1人での情報収集は、思うようにはいかなかったのだろう。
何でもない顔をしていたけれど、エリックの瞳には苛立ちの色が見える。
「まあ、仕方ないのではない? 貴方の本来の仕事は情報を集めることではないのだし」
自分の仕事に誇りと自信を持っているエリックだから、出来ないことがあるのが悔しいのだろう。
私の傍にいる人は、真面目な人が多すぎる。高みを目指すのは悪いことでは無いけれど、たまには少しくらい肩の力を抜いて欲しい。そう思うのは私だけなのだろうか。
「やはり、私も行けば良かったのではありませんか?」
そんなことを考えていると、エルザが少し不満げに声を発した。毛布を引き寄せていた手は、今は落ち着かなさげに握ったり開いたりを繰り返している。
「情報を集めることに関しては、私の領域ではありませんか。お嬢様、どうしてエリック1人に任せたんです?」
「エルザ、落ち着いて下さい。確かに情報を集めることに関して私たちの中で貴方の右に出る者はいませんが、お嬢様とあの男を2人きりにするわけにはいかないことくらい、少し考えれば分かるでしょう?」
「……そう、ですね。すみません、冷静をかきました」
自らを落ち着かせるように細く長い息を吐き、ぐりぐりと皺の寄った眉間を揉みほぐす。苛立ちを宥めるかのようなその仕草に、エルザの焦りが透けて見えるようだった。
「何を焦っているのですか? 貴方と私では出来ることが違うのですから、お嬢様が貴方を必要としなくなるのでは、などという心配はするだけ無駄です。誰も貴方の仕事を盗ろうとなんてしていません。
……何より、そんな心配をすること自体お嬢様に失礼だとは思わないのですか?」
「……そんなこと、エリックに言われずとも分かっています」
暫く無表情で押し黙った後に、エルザはぷいとエリックから顔を背けてどこかへ行ってしまった。……去り際に、持ったいた毛布をエリックにおしつけて。
少し経つと、木々の向こうから包丁を扱う荒々しい音が聞こえてきた。エルザが感情のままに八つ当たりするのはとても珍しい。荒々しくて怒っているみたいな包丁の音なのに、私にはそれが、エルザの泣き声のように聞こえた。
エルザが去っていった方向から、そっと目を逸らす。しばらくはそっとしておいた方がいいだろう。今のエルザは、きっと苛立っているわけではないから。
「エリック、少し言い過ぎたみたいね」
「はあ……。本当にそうでしょうか? むしろ抑えすぎたかと。この程度ではどうせエルザには伝わっていませんよ」
やれやれ、と肩を竦めたエリックは、仕方ないなぁと言いたげに苦笑する。どうやらエリックも、エルザの焦りの理由を察しているらしかった。
「もうエルザがお嬢様の元に来てから2年は経つのに……いつになったら、もう昔とは違うのだと理解するのでしょうね」
「さあ、ずっとこのままかもしれないわ。全てはエルザ次第よ」
出会ってから6年、エルザを拾ってから2年。エルザが私と共に過ごした時間よりも、裏社会に生きるものとして辛酸を嘗めた期間の方が圧倒的に長いのだ。染み付いた考え方というのは、中々消えるものではない。
用済みになれば、雇い主から処分されることもあるのが裏稼業の人間だ。そこに善悪は無く、力無い者は抗うことすらも許されない。エルザたちが生きていたのはそういう世界なのだ。
「ですが、カイは……」
「エリック、分かっているでしょう。それ以上はダメよ」
同じ環境で過ごしてきた姉弟だとは言っても、考え方や感じ方は人それぞれだ。エルザとカイの痛みは違う。その痛みと、どう関わっていくのかも。
どう向き合って行くのかは、あの2人が決めることだ。私たちが口を挟むべきではない。
じっとエリックの瞳を見詰めると、エリックはがしがしと乱暴に頭をかいた。
「あーもう、分かりましたよ! 言っときますけど、俺だってお嬢様と同じ長さの時間をあの2人と過ごしてるんですからね。ちゃんと、分かってます。……分かって、いるんです」
ただ、もどかしくて。
どこか遠くを見るような目で、エリックはそうぽつりと呟いた。その瞳は酷く寂しげだ。
「エルザがここに来たばかりの頃、次はいつ捨てられることになるのかと、いつも怯えているように見えた姿を、私は昨日のことのように思い出せます。
出会ってから4年掛けて、ゆっくりお嬢様に馴染んで、ある程度人柄を把握してもいたはずなのに。それでも、結果を出さなければ、自分の能力を見せ続けなければ、いつかは捨てられることになると思い詰めていたエルザが、どうしようもなく悲しかった。
……俺たちがエルザを切り捨てることなどないのだと、いい加減、理解してくれてもいいでしょう」
……ああ、やっと分かったわ。最近のエリックが、少し苛立たしげだった理由。
エリックは悔しいのだ。自分を、エルザの過去に存在していた人たちと同列に扱われることが。いい加減信頼してくれてもいいだろうと、いつまでも心からの信頼を寄せてはくれない同僚に怒っているのだろう。
「……すみません、八つ当たりです」
「構わないわ。八つ当たりするということは、相手をそれだけ信用しているということだもの」
「そう、なんですか?」
エリックは意外なことを聞いたとばかりに目を丸くする。
「そうらしいわ。自分は相手に絶対に嫌われることは無いという甘えと信頼があるから、八つ当たりすることが出来るのですって。昔レベッカが言っていたわ」
相手が嫌いで八つ当たりしている可能性もあるから一概には言えないけど、思春期の反抗とかは信頼しているからこその八つ当たりの典型例よね……と言っていたレベッカを思い出す。
一体どこから得た知識なのかしら。レベッカは時々、誰も知らないようなことを口にする。
「その理論で行くと、俺はお嬢様を嫌っているか、とても信頼しているかの2択になるわけですか」
「そうなるわね。合っているでしょう?」
勿論、信頼している方で。
自信たっぷりに嫣然と微笑んで見せると、エリックは嘆息しながらも「ええ、まあ」と答える。仕方なさげな様子は言わされているようにも見えるが、その耳は赤く染まっていた。
それを見てふふっと笑うと、エリックは憮然とした表情になる。
「俺がお仕えし始めた頃は可愛げがあったのに、なんでお嬢様はこんな風に成長しちゃったんでしょうかね」
あの幼い気弱な女の子が、こんなにたくましくなって……。
そうしみじみとエリックが言ったのとほぼ同時に、突然ヴィンセントの声がかかった。
「先程のエルザといい、信頼するからこその八つ当たりといい、人間というのは不可解な生き物だな。何をどうしたらそんな思考回路になるんだ? 理解出来ん」
そう言えば、この場には彼もいたのよね。
一言も言葉を発していなかったためすっかり存在を忘れ去っていて、声を掛けられて正直とても驚いた。ちらりと横目でエリックの様子を伺えば目を見張っていたので、どうやら彼も忘れていたらしい。
ものすごい存在感のあるヴィンセントの存在を気にせずにいられるなんて、順応性が高いというか何というか……。まあ、私も人のことは言えないのだけれど。
「そもそも、エルザとやらは何をそんなに怯えているんだ? 昔からずっとああなのか?」
彼の言葉を直ぐには脳内で処理しきれなくて、ぱちぱちと目を瞬かせる。彼が私以外の誰かに興味を持つような発言など初めて聞いた気がした。
それはエリックも同じだったようで、意外そうな私とエリックの視線を受けたヴィンセントがふんと鼻を鳴らす。
「勘違いしないで欲しいのだが、アナ以外の人間など俺にとっては気にする価値はない。だが、共に過ごしている以上、アナの周囲の者のことくらいは把握しておかねば出来ない判断もあるからな」
判断を鈍らせてあいつのような醜態を晒すつもりは毛頭ない、と吐き捨てるように言ったことから考えるに、身近な所で過去に何かを仕出かした者がいたのだろう。仲が悪かったのか、良かったが故の唾棄なのかは今の言葉からだけでは分からないけれど。
当たり前のことと言えばそれまでなのだが、幾ら彼が私を特別視しているからといって、彼の全てを見せてくれる訳では無いのだ。自分も全てを話している訳では無いくせに、彼に隠し事をされることを気に食わないと感じている自分の身勝手が嫌になる。
「それで、結局どうなんだ?」
「それについては私が話すことではないわ。気になるのなら本人に聞いて頂戴。……1つ言えるのは、エルザがあそこまで感情を顕わにすることなんて普段ならば絶対に有り得ない、ということかしら」
拾った時には姉弟揃って常に無表情で、感情があまり分からない2人だった。今でこそエルザは色んな表情を見せてくれるけれど、その一方で隠したいと思った本音は意地でも隠し続ける。負の感情など特にそうだ。
相手に見せてもいいと思った感情だけしか、エルザは私たちに見せてはくれない。
だから、彼女が今あれ程分かりやすく負の感情を見せてくるのはとても珍しいことで、同時に、取り繕う余裕もない程に彼女が激しく動揺している証でもあるのだ。
彼にとっては預かり知らぬことだと分かっていながら、隣にある端正な横顔をこっそりと睨む。エルザがあんな状態になったのは、元はと言えば彼のせいだ。
エルザは、自分の力が及ばないことを殊の外嫌う。初対面の時にヴィンセントに手も足も出なかったことは、彼女の心に深い傷を残しているのだろう。
エルザが落ち着くまでにかかるだろう時間を思い、私はそっと溜め息を吐いた。




