2 ヤマの戻り
静香が龍神宮を離れているうちに、美紀は一人で再びヤマの宮殿を訪れた。
宮殿に足を踏み入れた瞬間から、充満しているヤマの妖気を感じた。ヤマの妖気はヤマの後継者の到来を祝福せんがために、元の住処に戻ってきていたのだ。
ヤマの妖気は美紀を歓迎していたのだが、美紀のほうは不快感を覚えた。美紀をコントロールして伍部浄を攻撃させた妖気だ。美紀は自分を支配しようとする者達を好きになれなかった。
そのくせ私はまたここへやってきた。気がつかないうちにまた妖気に誘導されたのかも––––––
美紀は精神の防御を固めた。
宮殿の奥の鏡の間にはヤマの老女が待ち構えていた。美紀が驚いたことに姫白龍も一緒だった。二人とも天帝釈が使った衝撃波や雷撃をまともに受けたのに無傷だった。
「姫白龍!無事でよかった」
美紀はヤマの老女を無視して姫白龍に言った。そして姫白龍が変わったことに気がついた。姫白龍の瞳が金色になり、以前の鋭く殺気立った眼光が消えて、少し柔和な目に変わっていた。
「美紀、あたしはほんとの龍になったんだ」
姫白龍は美紀の心の中の驚きを読んで言った。天帝釈に対して姫白龍は自分の意志で龍の力を使い、龍として戦った。龍になった姫白龍には、龍の破壊力だけでなく、霊感力やテレパシー能力が芽生えていた。見た目にも前は子供っぽさが目立ったが、今は少し大人びた雰囲気を湛えていた。
美紀は改めて姫白龍を美しいと思った。
「夢術師の美紀よ、よく来てくれた。しかし、まだヤマの戻りとしては迷いがあるようじゃな。まずは一度死霊界を見てみないことには理解が進まんじゃろう」
ヤマの老女は美紀の逡巡を見抜いていた。美紀は自分がヤマになる気は毛頭なかったし、付き纏ってくるヤマの妖気との関係を決着させたいと思っていただけだった。
ヤマの老女は壁面に並んでいる楕円形の両界鏡の一つを指さした。
「死霊界に入ってみるかい?」
美紀はヤマの罠に飛び込めと言われているような気がした。
しかし、ヤマの老女の挑戦に怯んだりはしなかった。意識して警戒している限り、夢魔をも打ち破った美紀にヤマの妖気も下手に手出しはできなかった。もし何か仕掛けられたら夢魔の二の舞になるだけだ。
美紀はヤマの老女の申し出にうなずいた。
「一緒に行くか、それとも一人で行くか、どちらでも好きにするがいい」
「姫白龍と一緒に行きたい」
美紀は即座に答えた。
ヤマの老女が一緒にと言ったのは姫白龍のことでないのはわかっていたが、美紀はヤマの老女と一緒に行くくらいなら一人で行くことを選ぼうと思った。
ヤマの老女は予想外の美紀の希望に面食らったが、他でもないヤマの戻りの言うことなので聞き入れることにした。
「死霊界には誰でも入れるものではないし、かつて龍が足を踏み入れたことはない。しかし、ヤマが認めれば話は別じゃ」
ヤマの老女は呪文を唱えて姫白龍にヤマの妖気を纏わせた。
「これでよし。さあ、二人で行っておいで」
美紀が腕を伸ばすと、それは鏡の中に突き抜けた。首を入れた瞬間、体全体が両界鏡の中に引き込まれた。続いて姫白龍も無事に中に入ることができた。
そこはうっすらと白く霞んだ世界で、時々濃密な雲のような霧が流れてきて視界を遮った。道も目印も何もなく、どちらを向いて行ったらいいのかわからなかった。
振り向くと両界鏡の出口はまだそこにあった。
「あまりここから遠く離れないほうがいいね」
姫白龍が言った。
「探りを入れてみる」
美紀はテレパシーを囁き声程度に抑えて周囲に呼び掛けた。
その呼び掛けに応えるかのように、突然霧の中から円盤が飛び出してきて、二人の周りを周回するように飛んだ。
姫白龍が短剣で打ち落とそうとしたが、円盤は素早くかわして飛び続けた。
「まるで生き物のようだ」
姫白龍が目で追いながら言った。
「おいで」
美紀が円盤に手を伸ばすと、それは待っていたように美紀の手に大人しく収まった。
「これはいったい何だろう」
美紀は手にした円盤を姫白龍に見せた。円周は鋭い刃物になっていて、中央に指を入れられる穴が開いている。
「捷鬼党の古い型の手裏剣みたい」
姫白龍は今は使われていない種類だと思った。
「それは飛輪といいます。捷鬼党のもとになったヴィシュ族の武器です」
霧の中から声がして、色鮮やかな民族衣装を纏った女性が現れた。
「その飛輪はなまじな者の言うことは聞きませぬ––––––自分の主を選びますから。私はリムセ、ユカ族の王女です」
気品のある女性は生き生きとしていて死霊には見えなかった。
「夢術師の美紀です」
美紀はズクにもらった称号で答えた。
「白龍族で捷鬼党忍軍の姫白龍」
リムセの美しさに姫白龍の金色の目が輝いた。
「捷鬼にはお世話になりました」
姫白龍はリムセが自分も見たことがない初代の首領、捷鬼を知っていたので驚いた。
「捷鬼は千五百年前にユカ族が魔族に追われ、人族の世界に移住した時に助けてくれたのです。私も移住した一人でした。ユカが地元の言葉でイガになったのです」
「イガって忍者で有名な伊賀のことですか?」
美紀の驚いた顔にリムセは微笑んだ。
「そうです。捷鬼が人族に忍術を広めたのです––––––剣術を我の先兵が広めたように」
人間界との関係を聞いて、美紀は初対面のリムセを身近に感じることができた。亜空間に来てから初めて出会った人間界に住んでいたことのある人物だった。
「そのユカ族とヤマとは何か関係があるのですか?」
「私は元はと言えばヴィシュ族の出なのですが、ユカ族の王にもらわれて育てられました。私のヴィシュ族の祖先にヤマ族の者がいて、私はヤマの血を強く受け継いだヤマの戻りだったのです。あなたと同じように」
「私にもヤマの祖先がいたと言うことでしょうか?」
「そうです。私自身の血を引いています。ヤマの特性は何世代もあとになって現れてくるのです」
「ええっ、ということはあなたは私の何代も前のおばあちゃんなのですか?」
リムセは笑ってうなずいた––––––美紀は千五百年前の自分の祖先と話していたのだ。
「ヤマの戻りのあなたはなぜヤマを継がなかったのですか?」
「亜空間にいた時に、私はまだヤマになり切らないうちに、彼の暗黒剣士に殺されてしまったのです。その後死霊界と現世を行ったり来たりしましたが、人間界の現世に再生して住み着いてからは、亜空間に戻ることはありませんでした。そして人間界に逃げてからも、私は長生きできなかったのです」
現世と死霊界の間で数奇な運命を辿った死霊は、現世の生きた人間よりも美しく生気に満ちていた。
死霊界とは死者をこれほどまでに見事に再生できるのか––––––
「それはお気の毒に。でもまたこの世界に再生されたのですね」
「その都度ヤマの老女が計らってくれましたから」
「死後の世界があることはいいことなのでしょうか?」
「私の場合は死後の世界で初めて、短かったですけれど、愛する人と一緒に暮らすことができましたからね。残念ながら現世では結ばれなかったのです。一旦死んで死霊界に再生してからの経緯は、とても長い話になりますので、またの機会があればお話ししましょう」
「そういうこともあるのですね」
死霊界の番人の仕事は気味が悪いと思っていたけれど、人を幸せにすることもあるんだ––––––
美紀は少しだけヤマを見直した。
「あなたがヤマの後継者になりたがっていないのはわかります。むこうの世界ではまず自分の人生を精一杯生きなければなりません。生あるうちから死後の世界にかかわって生きていくのは、必ずしも幸せなことではないでしょう。
私自身も、もしむこうの世界でシンハと結ばれることができたなら、死後の世界のことなど考えずに幸せに生きたことでしょう。ただ私もシンハも結ばれる前に暗黒剣士に殺されてしまったのです」
「そうだったのですね––––––」
美紀は返す言葉がなかった。死霊界に再生できたとはいえ、やはり悲劇的なストーリーだった。
「美紀さん、ヤマのことは無理をしなくていいですよ。私はあなたにむこうの世界で存分に生きて幸せになって欲しい。もし、私のシンハに相当する愛する人がいるならば、是非現世に生きているうちに結ばれることを願います。
ヤマの老女が貴方にヤマを継いで欲しいと思っているのはお分かりでしょう。でも生粋のヤマ族であるヤマの老女は、亜空間と同じくらい長生きをするでしょうから、そう心配はいりません」
リムセは美紀に優しく頬笑んだ。
「まだ考えないといけないことがいろいろあって、ヤマの老女の望むようにはできません。でもあなたに会えてよかったです」
美紀はそう言ってリムセに飛輪を返そうとした。
「飛輪は自分の意思を持っていて、あなたを主人として認めました。ヴィシュ族の伝統の武器なのですが、美紀さんが使えばより強力になります。いざという時の護身のためにどうぞ持っていってください」
美紀は礼を言って飛輪を懐に収めた。自分の祖先にリムセのような素敵な人がいたことを知ることができて嬉しかった。
「お元気で。死霊界に再生する必要が起こりませぬように」
そう言い残してリムセはまた霧の中へ消えていった。
美紀と姫白龍はリムセのお陰で十分死霊界を実感することができた。二人は両界鏡を抜けて外へ出た。
美紀は待っていたヤマの老女に飛輪を見せて言った。
「リムセさんにもらいました。大切にします」
ヤマの老女は何も言わなかった。もう美紀の気持ちはわかっていて、すぐには後継者が得られそうにないとあきらめていた。しかし、ヤマの執念深さ尋常ではない。天帝釈を討ち果たして機嫌のいいヤマの老女は、今後の美紀の変化を楽しみにして気長に待つことにした。
「姫白龍、一緒に帰ろう」
美紀は姫白龍に手を伸ばした。姫白龍は美紀の手を握り返した。
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