プロローグ
「夏といえば、海。海といえば、夏」
目の前に立つ上司――魔王代行 シャルロッテ・デモンズは語る。
「そう、妾は海を見たい。だから、妾は海まで護衛しろと命じた」
彼女は白い帽子をおさえながら、なにか苦いモノでも噛みしめているかのように呟いた。
潮風がフレアスカートを揺らし、彼女の白い足をちらつかせている。まるで、絵になりそうな風景だ。
「はい。ですので、海をご案内しました」
リク・バルサックは、目の前に広がる光景を見ながら答えた。
唐突な命令ではあったが、しっかり遂行した。文句を言われる筋合いはない。そもそもの話、「魔王代行を海まで護衛する」なんて、引き受ける道理がない。シャルロッテの直属でもあるまいし、お断りしたい命令だった。だが、敬愛する上司から「お前しか頼めない」と頼まれてしまった。これは、彼の片翼として、任務を完璧に遂行するしかないだろう。
そう――上司に恥を塗らぬよう、完璧に計画を練り、遂行したはずだ。胸を張って断言できる。それなのに、なぜシャルロッテは不機嫌なのだろうか。
リクは内心、首を傾げながら言葉を続けた。
「シャルロッテ様が、安全に休暇を堪能できる海までご案内しました。ここでしたら、魔族の支配区域ですし、ご静養されても問題ありません」
「分かってる、分かっているが……これは、妾の考える夏の海ではないのじゃー!!」
シャルロッテは地団太を踏む。そして、フォークも持てないような細い指で、びしっと海を指した。
「ここでは、泳げないではないか――!」
シャルロッテの悲痛の叫びが、桟橋に響き渡った。
港町ベリッカ。
大型船も入ることのできる交易港である。
パラソルが似合いそうな白い浜辺はなく、周囲は石を積み重ねた桟橋を除けば、磯ばかりが広がっていた。海は青といえば青だが、透き通った青ではなく、どちらかといえば黒っぽい。夏らしさの欠片も感じなかった。
なるほど、怒りの原因はそれか、とリクは納得した。しかし――
「ですが、シャルロッテ様。我らの支配地域で海はここしかありません」
魔族の多くは内陸に暮らしている。もちろん、海系魔族もいないことはないが、その数は少ない。海は魔族にとってあまり馴染みのない場所なのである。
「妾はエメラルドグリーンの海を見たかった! 白い浜辺でぱしゃぱしゃやりたいのじゃ! だいたい、ハミントン村はどうした? あの村の裏手には極上ビーチがあるはずじゃ!」
「そちらの村近辺で、不穏な集団が多く目撃されています。人が浚われる事件も発生していますし、やめたほうがよろしいかと」
「リク少尉! そのような輩など、お前のハルバートで一撃じゃろ? いいから、妾はハミントン村に行くぞ!」
よいな!と言うや早い。すぐにお付きの従者に命令し、行先の変更を命令し始める。リクは思わずハルバートに手が伸びかけたが、代わりに拳を強く握り直す。
「……分かりました、シャルロッテ様」
なら、最初から「ハミントン村に行きたい」と言えばよかったのに。
文句が喉まで出かかるが、それを言ったところでどうにもなるまい。過ぎた過去はどうしようもできないのである。リクは軽く頬を叩き気持ちを切り替えると、部下に指示を出すことにした。
「聞いてのとおりよ、ここからハミントン村まで移動するわ。伝令兵――ロップはいる? ロップ、村に伝令お願い。それから、すぐに宿を手配するように」
「は、はい!」
ロップと呼ばれた伝令兵はウサギ耳をぴくっと動かすと、あっという間に走り去っていった。小さくなっていく後姿を見送りながら、小さく息を吐いた。
「まったく……嫌な予感がするわ」
潮風が自慢の赤髪を撫でる。
海は嫌いだ。
どこか錆びついたような潮の臭いを嗅ぐたびに、父から捨てられたときのことを思い出してしまう。黒い海に落とされた挙句、身体が壊れるくらい波に打ち付けられ、汚い浜に転がり出された幼い頃の記憶を――。
「いや……それだけじゃない」
なにか、もっと別の記憶。
思い出せないが、嫌な予感が沸々と沸き上がってくる。
ハミントン村。
訪れたこともない村なのに、どうしてこんなに――とびっきり危険な予感がするのだろう。
不穏な集団と遭遇しても、鍛え上げた武力で吹き飛ばしてしまえばいいだけなのに。
=人物紹介=
〇リク・バルサック
退魔師の名門出身。
しかし「退魔師の才能がないから」という理由で、一族を追放されてしまう。
その後、魔王軍の中将 レーヴェンに命を救われ、以後「彼の片翼になること」「自分を見捨てた退魔師に復讐をすること」を胸に魔王軍に入隊する。
現在は魔王軍 第三師団の少佐。
人並外れた腕力でハルバートを使い、敵を殲滅する。
〇シャルロッテ・デモンズ
魔王代行
見た目は可愛らしい幼女だが、中身は300歳越え。
チョロインで少し我がまま。