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5億km²の牢獄  作者: Wolke
6/19

06:協力

 即答だった。


 二の句を継げない程の速さで、征悟は禅蔵の提案を蹴った。


 素気無く振られてしまった植月禅蔵は征悟を観察するに留まる。逆に紅谷弥生は面白い余興を見たとばかりに嬌笑を上げた。七枷愛莉だけが目を剥いて征悟の発言に驚いている。


 理由こそ違えど三人の注目を存分に集めた征悟は、弁解するように言葉を続けた。


「まあ、生活費を考えなくて良いっていうのはありがたい申し出なんだけどさ、こっちにもやらなきゃいけないことがあるんだ。残念だけど長期間同じ場所に居座るのは遠慮したい」


 征悟は快活な口調で理由を述べた。しかし、本質的な部分には一切触れずに話しているので、この理由で納得できるかと聞かれると多くの人間が首を横に振るだろう。


 現に、禅蔵が問い掛ける。


「そのすべきことというのは聞いていいものかな?」


「そう聞かれると大した用じゃでもないんだけどな」


 初めにそう注釈を述べた上で、征悟は改めて提案を受け入れられない由縁を語った。


「一言で言うと家庭の問題なんだけどさ。ウチの妹は度を越した放蕩娘なんだよ。で、放っておくと何をしでかすか分からない困ったヤツで、個人的にはあの愚妹を早いとこ取っ捕まえたいわけ」


「それはまた、困った妹君だな」


 苦笑しながら禅蔵は応じる。


「ああ。確かに頭痛の種になることもあるが、退屈はしない」


 自身の妹を面白そうに語る征悟だが、内心では今後の展開がどう移ろうのか全く予想できないでいた。乱暴なやり方で囚えるつもりはなさそうだが、あちらの提案を蹴った以上、征悟にとって面白くない方向へ転ぶ可能性がかなり高い。なのでつまらない話を持ち出される前に、逆にこちらから一つの提言を持ち掛ける。


「そんなわけで長期滞在は避けたいんだ。だけど最初から短期間に限定するなら、そっちが十全に用意した監視下に入ることを約束しよう」


「短期間と言うと?」


「昨日アンタらが取り逃がした男が捕まるまでなら、そんなに時間は掛からないんじゃないか? それにあの男が捕まって俺と無関係だと証明されれば、今程重要度が高くなることもないだろうし」


 無茶な要求をしているつもりはないし、征悟はこれが妥当な落とし所だと判断した。向こうから提案してきた事案に予め期間を設ける。征悟に掛かっている疑いが晴れた後も、監視を拒否しているわけではない。勧誘云々については無期限で世話になったとしても、興が乗らなければ絶対に頷くことはないと断言できる。


 問題は件の犯罪者を捕らえるのに時間と手間が掛かった場合だが、征悟が耐え切れなくなるまで時間が過ぎていれば、ある程度逮捕劇に関与することも可能だろう。


 むしろ、そうならなければ困る。私怨だが、殺されかかったことを忘れたわけではないのだ。一度全力で殴る機会に恵まれれば、征悟は迷わずその権利を行使するつもりでいた。


「いいんじゃないかー? あたしは賛成だぞー」


 ソファの上で寝転がっている弥生が口を挟む。しかし、その声音は適当に発音されたものだと簡単に聞き分けることが出来た。頻りに目元を擦り、眠気を追い払っているのがまざまざと認識できた。熟考した結果発せられた言でないことは明らかだ。


「…………」


 対して、七枷愛莉は沈黙を守る。


 彼女の表情には様々な感情が綯い交ぜになっているようだが、結論は植月禅蔵に任せるといった態度を取っている。


 何となく、先程から繰り返している彼女の挙動に征悟は注意を裂かれていた。この三人の中では七枷愛莉に最も興味関心を惹かれてしまう。深い理由は無い――筈だ。


「――いいだろう」


 そして、暫し考えに耽っていた禅蔵が、唐突にそう口にした。


 征悟の提言を了承したのだ。


 あちらは任意で拘留を受け入れさせ、征悟は拘留期間を設けることが出来た。


 容疑を掛ける側と晴らす側。無益を避ける形で双方のバランスが取れた結果に収まった。


「そうかい。なら、よろしく頼むぜ」


 歯を剥き出しにして笑う様からは、征悟の獰猛さが強調されているように見える。しかし、神話生物と相対することを生業としている者達がその程度で悪感情を抱く筈もない。彼らは改めて征悟の実力を推し量るように見据えている。


「決めることは決まったな。私は天笠君の身柄はウチの班で預かることを報告してくるから、ここで一度解散しよう。愛莉君はそろそろ学校へ行かなくてはならないだろうし、弥生君は天笠君と質疑応答の続きでもしていてくれ。ついでに社員寮への案内も頼もうか」


「めんどーい」


 弥生はソファの上で足をジタバタさせながらやる気の無さを告白するが、その呟きは全員から無視される。「なんだよもー」と不貞腐れる弥生をさらにスルーし、愛莉は禅蔵らと挨拶を交わすと、一礼した後、退室した。


「それじゃあ弥生君、案内は任せたぞ」


 日用品はビジネスホテル並みには揃っている筈だから部屋に着いたら確認しておいてくれ。と、最後に一言添えて、禅蔵もまたこの部屋を去って行った。


 どうする? と征悟は視線で弥生に問う。今の世の中、住所さえ教えてもらえればスマートフォンにインストールされたアプリが勝手に案内を始めてくれる。辿り着くだけなら問題は起こり得ないし、予め寮の管理人に連絡を入れてもらえれば、征悟が住む部屋へ通してくれるだろう。


 彼女から話を聞くだけならどこでも出来るので、移動に関しては紅谷弥生のやる気次第ということになる。


「今日はこのまま直帰してもいいって受け取るからなー」


 まだ外では出勤や登校途中の人が闊歩している時間帯だというのに、誰に憚ることもなく帰宅宣言をしている少女。征悟が苦笑しつつ彼女の挙動を眺めていると、弥生はソファから足を投げ出しながら身体を捻り、半ば転がり落ちるように立ち上がった。


 一呼吸置いて、振り乱された長髪が重力に従って垂れ下がる。


「よーし、行くかー。着いて来い」


 言って、弥生はデスクの上へ無造作に置かれていたロングカーディガンを手に取った。服の裾が引っ掛かり、一部の資料らしきファイルが雪崩を起こしているが、本人は気にも留めていない。そのままカーディガンを羽織ると、弥生はドアの前まで移動して振り返る。


〝さっさと帰ってさっさと寝るぞ〟と固い決意を瞳に宿した少女に付き従い、征悟は部屋を後にした。部屋を出ると、さながら迷宮のような構造をした本局が待ち構えているが、紅谷弥生の足取りに迷いは無い。


〝今日は自分の足でちゃんと歩くんだな〟と失礼なことを思いながら、征悟は先程聞きそびれた事柄を時間潰しの話題として口にした。


「さっきは俺の処遇だけで話が終わっちまったけどさ、そもそも、昨日の男って具体的に何をしたわけよ? 名前すら知らないんだけど」


「…………あー、そのことなー」


 弥生の返答がワンテンポ遅れた。おそらく会話をするのが面倒だと僅かに悩んだ結果が今の間に当たるのだろう。しかし、一度喋り始めると彼女は事件の全容を説明してくれた。


「名前は影沼徹。〈特殊防災戦略事務局〉の元幹部。〈事務局〉の設立にも携わったヤツでさー、昨日のを見れば分かるだろうけどアイツも宿神憑きの一人なんだ。立場的にはあたしらの元締めって感じかなー」


「ほー。要するに宿神憑きの第一世代で強いし偉いと。で、そんなヤツが一体何をやらかしたんだよ?」


 順風満帆な生活をふいにするだけの旨みがあるとは思えないんだけど。と征悟は好奇心に満ちた声色で弥生に尋ねる。


「まー、簡潔に言うと背信行為だなー。神格の侵攻を防ごうってコンセプトで創られた『城壁』とか呼ばれてるスゲー頑丈な結界が日本の要所にあるんだよ。あのヤローそれを壊して回りやがってさー。ホント困るよなー」


「善良な国民の一意見を言えば、簡単に壊されるハリボテを城壁とか呼んでる国の方が困るわー。つーか怖いわー」


 征悟は本気で言っているわけではない。弥生の気安い態度に同調して軽口を叩いているだけだ。その『城壁』とやらも、弱点や短所を全て把握している〈事務局〉でトップクラスの実力者が手ずから壊しに赴く必要がある時点で有用性が保証されているようなものだ。


 だからこそ、仲間を裏切ってまで何故壊す必要があるのかといった疑問が浮き彫りになるのだが。しかし影沼の心境の変化や犯行動機に関しては、未だ本人しか与り知らぬ謎であるらしい。弥生に訊いてみたものの――


「あー? 知るかよそんなもん。その辺の事情を懇切丁寧に尋ねるために、今面白くもねーヤローのケツを追っ掛けてるんだろー」


 と、ぞんざいな口調で至極もっともなことを言われてしまう。これには征悟も「違いない」と苦笑を浮かべて応じるしかなかった。

 

 そうして質問に答えてもらっている内に、二人は〈事務局〉の玄関口に辿り着いた。真っ直ぐ外へ向かって歩き、二人を感知した自動ドアが静かに道を開ける。


 空調の行き届いた建物内とは違い、冬の厳しい寒さが征悟の頬を打った。首元から染み入ってくる慈悲のない冷気に、ぶるりと身を震わせる。弥生も寒さは堪えているようで、自然と二人の歩調は早足になった。


 時間があればマフラーでも買っておくかー、と呑気なことを考えている征悟の横で、弥生は口を開く。次は彼女が尋ねる番か。


「確認のためにもう一回聞いとくけど、ホントに影沼徹と面識はないんだよなー?」


「俺の記憶を信じるならあの男とは昨日が初対面の筈だが――実は以前街角でぶつかったことがあり、その拍子に大切な物を道に落とし破損。それ以後、影沼とやらは名前も知らぬ俺の顔をずっと忘れずに恨みを抱いていた――というドラマがある可能性も」


「ねーよ」


 返答はにべもないもので冷たくあしらわれてしまう。眠気を湛えていた双眸が、険を帯びて細められたため、征悟は肩を竦めて話の続きを促した。


「今からずっと訊く機会を伺ってた質問をするぞー。巫山戯るのは答えた後にしろよなー」


「はいはい、分かったよ。それで、質問ってのは?」


「あたしや愛莉のことを手加減した上で適当にあしらってた影沼が、お前には予告無しで全力の攻撃をかましたんだ。心当たりくらい、あるんじゃないのかー?」


 その理由が、影沼があたしらを裏切った動機に繋がってると踏んでるんだが、その辺どうよ? と、弥生は鋭く切り込んだ。肌を刺す寒気よりも容赦がなく、生半可な返答を拒絶する強い語調。また、彼女の佇まいからは一切の隙が消えていた。


 これは征悟の主観による判断だが、おそらく先程の三人の中ではこの少女が最も〝出来る〟。


 普段の怠けている姿に油断してはならないと、直感が警鐘を鳴らしていた。


 社員寮での無料宿泊など妙に待遇が良いと思っていたが、どうやら〈事務局〉は本気で天笠征悟を囲う心算のようだ。まずはこの事件の知り得る情報を得て、一段落付けば宿神憑きとして有用する。簡単には逃さないと腕利きの監視役まで派遣してくれている。手厚い歓迎に征悟は思わず笑みを浮かべた。口唇の隙間からは笑声が漏れ出てしまう。


 面白い話が尽きないことは良い事だ、と。


「裏切った理由なんざ、俺が知るわけないだろ。影沼徹なんて名前は初耳だし、メタトロンなんて昨日までは眼中になかったんだぜ」


「昨日までは眼中になかった、ねぇ。なーんか、引っ掛かる物言いだよなー」


 にへら、と締りのない笑みを弥生は浮かべた。だが、緩んだのは彼女の表情までだ。二人の間を隔てる空気は、依然として和らぐことはない。重厚感を増しつつある雰囲気など意にも返さず、征悟は言葉に含めた真意を語った。


「当然。一応無傷だが俺は殺されかけたんだ。このまま水に流すようなヌルい性格はしていないし、なあなあで済ますつもりは毛頭ない。今の内に宣言しておくが、機会があれば俺は影沼ってヤツにやり返しに行くぞ」


 話を聞いた弥生は半目で征悟を見遣る。彼女にしては珍しく煮え切らない、曖昧な表情を浮かべていた。まるで縁もゆかりも無い国独自の風習を唐突に耳にしたような、端的に言えば「わけわかんねー」という一言に心境は全て集約される。


「ごちゃごちゃして面倒くさくなってきたぞ。えーっと……、天笠さー、お前の目的って何だっけ? なるべく簡潔に説明して」


「別に何もごちゃごちゃなんてしてないっての。いいか? まずウチの不良妹を取っ捕まえる。次に喧嘩を吹っ掛けてきた影沼徹とかいう男に報復する。俺の事情なんてたったこれだけだぞ。単純だろ? 一見複雑そうに感じるのは全部そっちの都合だぜ」


 そう。元々征悟は単に妹を捜してうろうろと街中を彷徨っていただけなのだ。しがらみが増えたのは全て〈事務局〉関連の事情であるし、影沼に狙われた理由については推測すら出来ない状態。


 ただ、心当たりが無いわけではない。彼の脳裏にチラつくのは妹の存在だった。


 そもそも、今の状況は妹が掛けて来た一本の電話から始まっている。そしてその時告げいていた征悟好みの『景品』とやらの存在。具体的な中身までは聞き及んでいないものの、〈事務局〉の幹部が豹変したことを発端とする事件に、一枚噛んでいる可能性は高いと征悟は踏んでいた。


 だが、これはゲームなのだ。妹を捕まえるだけのただのゲーム。そして征悟は一介のプレイヤーであり、妹はゲームマスター。妹の趣味嗜好からある程度の予想は立てられるが、そういったメタ的な推理は無粋だと征悟は考えている。


「まったく……どこをほっつき歩いてやがるんだか」


 雑踏に紛れてしまう小さな声で呟いた。妹の身を案じているわけではない。情報の圧倒的な不足を歯痒く思っているわけでもない。ただ、肉親がどんな仕掛けを、どれ程の細工を施してくるか、それが楽しみでならないのだ。事が大きくなればなるだけ、彼の中で期待値ばかりが上がっている。


「だけど、まあ安心しとけよ、紅谷」


「あー? これまでの会話のどこに安心材料があったんだよー」


 強いて言うなら、憶測の域を出ない推論ばかりで、ヒントが何も無いことだ。これではゲームの進めようもない。なのでそろそろゲームマスターの介入があると予想しているのだが、こんなことを言っても弥生には意味不明だろう。


「ほら、植月とか七枷とかが新しい情報を持って来てくれるかもしれないぜ?」


 なのでこの場は何の根拠もない楽観的なことを言うだけに留まった。


「まー確かに、一時期影沼は愛莉の養父のような真似もしてたことがあったけどさー、以前から関知できる前兆があったなら、愛莉じゃなくても誰かしら気付いてるっての」


 部外者のように楽観的な物言いは出来ないのか、弥生は否定的な口調で言葉を返した。彼女の中では、新情報は当事者からでしか得られないことになっているのだろう。そしてその当事者には昨夜逃げられたばかり。否定的になるのも無理はないことだった。


 だが、天笠征悟は新たに知った人間関係に興味の矛を向ける。


「義理の親子だったのか?」


「そんな感じ。でも詳しい経緯は本人に聞けな? 人様の面倒極まりない家庭の事情を一から説明するのなんて、億劫過ぎて死んじまうからさー」


「いや、そっちじゃなくて。慢性的な人手不足ってのは相当深刻らしいな」


 そんな深い関係を持つ者まで最前線に駆り出すのか、と征悟は半ば呆れた。


「そりゃあ、あたしらも危惧したけどさー、本人の強い希望だしなー。付き合いの長さで言えば禅の字だろうけど、付き合いの密度なら愛莉が一番だとあたしは思ってる。だからまー、事前に止められなかったことに責任感じてるんじゃないかー」


 昨夜の躊躇いの無さを見た後だと、情に絆されるような心配は杞憂だと思うけど。と、弥生は最後に付け加えた。


 それに征悟は「ふぅん」と、気のない相槌を打ったのだった。


 次に、「待て」と鋭い一言を弥生に掛け、立ち止まる。


「なんだよー。今の話に気に入らないとこでもあったか?」


 唐突に歩みを止めた同行者につられ、弥生もまた足を止める。


「臭うな」


「何が?」


「磯の匂い」


 位置している。そしてさらに詳しく述べると、ここは市街の中心を走る大通り。商店街の魚屋周辺ならば兎も角、潮や魚の匂いが鼻腔を擽る筈がない。


 征悟が言葉の裏に隠した意味を、弥生は正確に受け取っていた。


「お前警察犬よりも鼻がいいんじゃないかー?」


 と、軽口を叩きながら、征悟に「少し寄り道をするぞ」と宣言する。告げられた征悟も異論はないようで、むしろ乗り気で、弥生の言葉に頷いた。


「ちくしょー。どこの魚類かは知らないけど、余計な仕事増やしやがって……」


 昨夜現れたショゴス。ヤツらを操る術を持っていると言われているのが『深きものども(ディープ・ワン)』と呼ばれる魚人たちなのだ。降って湧いた仕事を処理するため、一時、ナビゲートは交代する。その頃には、先程までしていた七枷愛莉と影沼徹を結ぶ因縁など、思考から抜け落ちてしまっていた。

 

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