12:開幕
天笠瑠華は黒を纏っていた。深海へ沈み、夜空に浮かび、周囲の闇と同調する扮装をしていた。その姿は異様であり、美しい。
豪奢な黒色である。俗にゴシックロリータと評されるドレスは、フリルやレースをあしらった少女趣味と禍々しいオカルティズムが、争うことなく一つの美として調和していた。
何も不自然はない。どこにも違和感は伴わない。持って生まれた資質であるのか、この系統の服装は天笠瑠華を極上に引き立てている。
十字架や髑髏といった小物から、黒と紫で構成されたボーダーのニーソックス。底の分厚い編み上げブーツに至るまで、何もかもが似合っている。
故に、影沼は気にも留めていなかった。瑠華の左手が黒一色に染まっていたことを。ふとした拍子に瑠華が手を動かすことがあれば、それは全て右手であった。少女の肌は病的なまでに色白であり、瑠華の意思によって動く右手は、玉虫色に囚われた色彩の中であってもよく映えた。
だから影沼は、装飾と同化している左手は手袋か何かで腕を覆っているのだろう、と認識していた。片腕だけ手袋を嵌めるというのも不自然な話ではあるが、そもそも影沼はゴスロリ服を間近で見ることが初めてなのだ。そういうファッションであり、コーディネートなのだろうと深く考えることはしなかった。
しかし、よく観察してみれば、その黒い手も瑠華の素肌だったのだ。日に焼けているというレベルではない。メラニン色素が沈着した程度では出せぬ程の、深く濃く禍々しい色合い。暗闇を染色したかのような、光を暴食する純粋な黒。
漆黒の指揮棒を瑠華が影沼に向けて振り下ろせば、コンダクターの指示通りにショゴスは動く。
結果、全方位から円錐状に収束したショゴスの末端が影沼を襲う。
当然瑠華が立っている場所から攻撃することは叶わず、一点だけ死角が生じるかに思われる。しかし、早々都合の良い甘い話はない。
槍のように伸びた触肢は、そこから枝葉を伸ばすが如く、あらゆる方向へ玉虫色の汚染を撒き散らす。鉄の処女に内包された釘が自動で伸長し、僅かな生存空間すらも奪い取るような、容赦も慈悲も無い殺し方だ。
立体的な樹形図が死を伴って乱立する中、影沼は黒ひげ危機一髪の船長に任命された気分を味わう。
辛うじて、守護魔術が間に合った。故に、呑気な思考を続けることが出来る。
メタトロンを宿神とする影沼徹は祓魔術や天使召喚といった知識に長けている。宿神の恩恵もあり、使い手としても一流である。
術を発動するのに掛かった時間は刹那。僅かに指を振るうだけで、彼は自身の生存を勝ち取った。
しかしそれも数瞬の、僅かな間だけであった。
槍衾を形成していた触肢が――融ける。液状となったショゴスの肉体は、影沼を守る魔術のベールを覆い包む。影沼からすれば、消化液を全身にまぶされているようなものだ。彼の魔術がショゴスによって汚染され、刻一刻と影沼の制御から離れていく。「テケリ・リ」と呪詛にも似た鳴き声が影沼の耳朶を叩いて離れない。
即座に、影沼は力ある一言を宙に放った。
「――Amen」
と。
直後、影沼を守る術式が爆ぜた。役に立たない盾を放棄し、そのまま爆弾として流用したのだ。衝撃は外側へ向かい、影沼を圧殺せんとしていたショゴスが弾け飛んだ。影沼とて無傷ではないが、草臥れたスーツやだらしなく伸びた長髪に焦げ目が付いた程度である。
そして影沼はこの間隙を縫って、心象兵装を顕現させた。文字通りの天使の翼が、彼へ危害を加えるモノを一閃する。
玉虫色の壁を裂き、影沼はショゴスの牢から脱獄を果たした。
改めてショゴスを俯瞰すれば、図抜けた光景がそこにはあった。
サイズが桁外れなのだ。先日影沼が邂逅したショゴスはおよそ五メートル程の巨体であった。だが、目の前に在るこれは――山だ。高層ビルの比較物として鎮座している。
呆気にとられる時間はない。一人の少女の悪意で以って、この山岳は稼働しているのだから。
大山が動く。
影沼は逃げようとした。
されど、山は瞬く間に津波へと変じた。
圧倒的な質量が影沼へ迫る。――呑まれる。と、数秒後の未来を影沼は確信した。そして僅か数秒の間に影沼は自身が思い描いた未来図を凌駕した。七十二対の白翼を駆使し、迫る大海を二つに裂く。さながら、『出エジプト記』に記されたモーゼの奇跡を焼き回し。だが、伝説と違い、追っ手が海に沈むことはない。
縋りつく触肢をかわしながら、影沼は大空へ逃げ延びた。影沼が安全圏だと判断した空間に辿り着く頃には、ショゴスは巨木へと変形している。成形速度が尋常ではない。ショゴスは影沼を追い抜き、真珠を散りばめたベルベットを忌まわしい玉虫色によって穢した
のだ。
枝葉が揺れる。風はない。しかし、リズムに合わせて落葉が宙を舞う。玉虫色の落ち葉は邪悪な意志を孕んだ雨となり、大地へと降り注いだ。穢れた粘液が玉虫色に街を染める。街灯もネオンも民家から漏れ出る蛍光も区別無く、あらゆる色彩が淘汰された。誇張無く、世界が浸食される。害虫に喰まれた植物のように、世界の構成物が虫食いになる。穴だらけであり、矛盾しか存在せず、醜悪なまでに不完全。
滴り落ちた粘液は地面を滑り、大樹の根へ還元される。歪な流転。澱んだ循環。その情景は、人の想像を超えた世界の変転を表していた。あたかもショゴスが、ユグドラシルのように世界を内包している錯覚。
これは――滅ぼさなければならないだろう。滅ぼす必要のある害悪だ。
そして、影沼は逃亡を決意する。臆したわけではない。相手にしてはいられないという達観が生じたのだ。ここで死力を尽くしたところで、成果は一匹の神話生物を殺しただけに過ぎないのだ。人類が追いやられている現状が、決して好転するわけではない。そう遠くはない未来、人類は外なる神の奴隷へと成り下がるだろう。
ならば、今の内に自分たちの手でリセットボタンを押し、最初からやり直した方が良いのではないか。少なくとも、影沼の世間ではそう結論が出ている。故に、影沼徹はこの非常時において〈事務局〉の襲撃を画策する。ショゴスに眼が向いているのなら、少なくはない勝機がある。
しかし――
糸のように垂らされた体液を避ける。鳥類を模して造られた不出来な動物を斬り捨てる。死角を縫って忍び寄る触肢を祓魔術によって蒸発させた。行動方針が決まったところで、如何せん手数の桁が違いすぎる。
逃げる隙が――無い。
視界は玉虫色一色に汚染され、すでにショゴスの操縦者を捜索できる情景ではない。少女の独特な黒装束も、月明かりを受けて輝いていた銀髪も、幻のように消えていた。
まさに悪夢のような光景だった。悪い冗談に出てくる怪物が、梢を真似て静かに嘲笑う。
天蓋を覆い尽くさんばかりに茂った枝葉からは呪詛と相違ない笑い声が降り注いだ。「テケリ・リ」と聞こえる人外の鳴き声が、人心を惑わせ、蝕む。
(――このままじゃあ、勝てないな)
ショゴスの末端を消し炭にしつつ、影沼は冷静に思案した。スケールが違い過ぎる。現状ではショゴスに有効打を与えるどころか、〈事務局〉を出し抜くことすら出来はしない。
四方八方から差し出されるあの世への招待状を乱雑に蹴散らしつつ、埒が明かないことを悟った影沼は攻め方を変える。
否。それは変えると言うよりも、委ねると表現した方が正確であったかもしれない。
彼の頭部には、一つの光の輪が備わっていた。神聖なものを表す汎用的表現法の一つとして多用される天使の輪。それが影沼の頭上で力強く輝き、霊的存在が拡大したのだ。光輪は冠へと形を変じた。影沼の身体は燃え盛る炎となり、光の衣が彼を包む。自衛で精一杯だった七十二対の白翼すらも増長し、影沼の意思を離れ、ショゴスを屠る。
――神々しい。
今の影沼徹を表すのにこれ以上の言葉はない。彼の裡に備わっていた神格が肥大し、まさしく彼はメタトロンそのものへと変じようとしていた。代償として、彼の瞳からは知性の光が薄れ、さながら人形的な動作が目に付くようになる。
しかし、影沼徹が人間性を捨て去ることで戦況は一変した。
現在ショゴスは大樹の形を成している。それは天蓋を覆う程に枝葉を伸ばし、絶望と狂気を散布する。
メタトロンは、その幹を断った。
影沼の意思とは関係なく、縦横無尽に白翼が閃く。結果、一四四本の斬線が悪徳を実らせる巨木を伐採したのだ。
支えを失った樹枝は重力に従って墜落する。ショゴスは再び己の肉体を決死の刃へと変化させ、影沼に向かい殺到した。
もう一度、メタトロンが翼を打ち振るう。効果は斬るだけにとどまらない。メタトロンは神の代行者にして審判者。彼の扱う炎は審判を司る。その火炎は物質を燃やすわけではない。焼灼するのは存在を否定された世界の背理。異常を正常へ還元する作業の中で、炎に巻かれたモノはこの世から抹消される。
影沼に牙を突き立てようとするショゴスの群体は、白翼に触れるや否や炎が伝播し、灰燼へと帰した。
無論。メタトロンは降り掛かる脅威を払っただけであり、周辺被害については考慮していない。そもそも今の影沼には、思慮や配慮といった人間らしさが欠如している。社会性だけは備わっていた彼だが、今はそれすらも捨て去ったのだから。
被害は甚大だった。周囲に聳えていたビルや建造物は、戦闘の余波や巨大な落下物ショゴスによって軒並み崩れてしまっている。そこに居た人たちについては推して知るまでもないことだ。
ほんの数分の間に、活気付いた街は死臭が漂う廃都と化した。
これこそが世界で最も厭われる災害。――神話災害。
上空から俯瞰するメタトロンからは、地に沈むショゴスの体積を一割程削り取れたことが分かる。先程の応酬だけで十分の一。されど、まだ九割残っている。
瓦礫の海となった街中でショゴスは再び蠕動していた。一割削った程度で戦闘不能に陥る神話生物ではない。もう間もなくすれば、ショゴスは新たな策を携えて戦線に復帰するだろう。相変わらず、天笠瑠華の姿は見えない。
そしてメタトロンは、追撃するリスクよりも〈事務局〉局舎の結界を破壊するメリットを取った。今ならば行く手を阻む邪魔者は居ない。メタトロンは一直線に〈事務局〉へ向かって飛翔した。
移動に掛かった時間はほんの十数秒。心象兵装を纏うだけに留まらず、自身が宿神と成りつつある影沼は、物理法則からも解き放たれつつあるのかもしれない。
そんな状態になったとしても、メタトロンにも犯せないルールはある。審判者である彼は境界線を引いた向こう側に手を出すことが出来ないのだ。彼が裁判官ならば、結界内はいわば法廷の外。世界を動かしているルールが違う。故に、審判の炎で一掃するためには邪魔な境界線を取り払わなければならない。
〈事務局〉に上空に着いたメタトロンを迎えたのは、自動小銃の一斉掃射であった。
銃を構えた局員が光り輝く天使に向けて引き金を引く。音よりは速いが、ショゴスには劣る。そんな半端な速度で飛び出した銃弾は、メタトロンの燃え盛る身体に触れた途端、蒸気となる。気化してしまった弾丸がダメージを与えられる筈もなく、メタトロンは上空から局舎を聘睨するばかり。
彼は――手を翳す。
メタトロンの無手に収まるように、虚無から炎槍が生じた。彼は白熱する槍を掴み、局舎を覆う結界を凝視する。結界を突破できる威力を予想し終えたのか、彼は手に持つ槍に膨大な魔力を注ぎ込んだ。
炎槍が膨れ上がる。その長大さは、身の丈の三倍はあろうか。発する光は神々しく、尚も輝度を増していく。
炎槍は、まず闇を裂いた。槍は小さな太陽に見紛うばかりであり、視界に収めれる光量ではない。彼を直視していた局員たちは、皆総じて目を伏せた。
故に、その瞬間の目撃者は一人として居なかった。
変転は劇的に。熱波を抑え込むように――水気が迸る。
「やっぱなー。人間やめちゃった奴に近代兵器は効かないよなー」
昨日の時点で撃ち殺しておくべきだったかー。と、状況にそぐわない、間延びしたコメントが場に流れた。
紅谷弥生であった。
発言とは異なり、彼女が事に臨む姿は正装。軽快な狩袴を履いて狩衣を羽織る姿は陰陽師によく見られる格好だ。付け加えるなら、彼女が着ている狩衣は白色無紋。主に神事に用いられる装束である。膝にまで達するあまりにも長い黒髪は穢れのない白布を用いて一本に結われており、弥生の格好は清廉な気質を醸し出していた。
両手の五指に挟まれた多量の霊符。その全てに、朱を用いて「急々如律令」という文字が綴られていた。
大海を思わせる水気をはらんだ霊符を、弥生は空へ解き放つ。水符は飛翔半ばで水簾へと変じた。
水撃がメタトロンを襲う直前、弥生の背後でトンと身軽な足音が鳴り響く。
音の主は、植月禅蔵。
彼もまた弥生同様に、特異な服装に身を包んでいた。俗に道士と呼ばれる者たちの装束――道袍、である。中国古来の漢服の一種であり、禅蔵はそれを動きやすいように改造している。
彼が地面を蹴る音は九つ。内三歩をワンステップと見なし、三つのステップから成る道家の歩行術。これを――禹歩という。
道教における呪術的歩法。本来は入山の際の蛇避けや氾濫した川の治水に執り行われる呪術。禅蔵はこの技法を以てして、弥生の水符を制したのだ。自身の魔力を上乗せし、より暴力的な魔術へと昇華させる。
巨大な塊に過ぎなかった大飛瀑は、鋭い牙を揃えた顎を持つ龍へ流動した。
神の小さき代理人たるメタトロンと自然災害そのものである暴龍が激突する。
メタトロンが炎槍を振るう。そこに水龍が食らいつく。槍と龍は互いの存在を潰し合い、大量の水蒸気となって消え失せた。水剋火。五行相剋の理を以てしても、攻撃を防ぐだけで精一杯。メタトロンへ影響を与えられなかったことに、二人は思わず臍を噛んだ。
次いで、力ある文言が流れる。
「謹請し、九天応元雷声普化天尊に奉る」
「我雷公旡雷母以威声 五行六甲的兵成 百邪斬断 万精駆逐 急々如律令」
どちらも雷神を拝し、助力を請い願ったスペルである。言い終えると同時に、二人は揃って霊符を放つ。雷気を纏い、神々の為す業を模した一投。空間を断絶する稲妻の刃は、周囲を漂う水蒸気――水素と酸素を巻き込み、大爆発を引き起こした。爆炎と共に雷光が走り、メタトロンを襲う。
しかし、彼の七十二枚の翼が迎撃へ、残り七十二枚が防衛へと回った結果、彼に生じた被害はゼロ。
「やはりあそこまで人間をやめたのが相手では、ただの魔術では厳しいか……」
「みたいだねぇ。宿神には宿神をぶつけるべきなんだろうけど、あたしたちがやっても致命的な問題点があるしなー」
心象兵装は強力だが、宿神の本質が如実に表れるため、宿る神次第では全く戦力にならないこともある。紅谷弥生の宿神は戦神としての一面も持ってはいるが、基本的には知恵の神として崇められている。そして植月禅蔵の宿神は戦えるという伝承すら存在しない。
「未熟だったとしても、火力特化の愛莉君が抜けたのは思いの外響いてくるな」
苦虫を噛み潰した表情で禅蔵は応じた。
「ところで禅の字、覚えてる? メタトロンの伝承」
「そりゃあな。有名所でヤハウェに次ぐ実力者を讃える話なんてそうそう忘れられるかよ」
――曰く、メタトロンの燃え盛る身体からは、絶えず新たな天使の軍団が生まれている。
雑談の他愛ない小ネタならば「へーすごいねー」と適当な相槌を打って話題を変えるところであるが、その光景を実際に目にし、しかも自分の障害になるのかと思えば言葉も無い。辟易する。今後の展開についてのやる気がガリガリと削がれていく。
影沼徹の肉体を今は火炎が覆っている。少なくとも弥生たちからは、覆っているように見えていた。しかし実際は、彼の身体は時間と共にメタトロンへと近付いている最中なのだ。影沼の生命維持活動は天上の業火がそのほとんどを代替していると言っていい。
彼の身体から燐火が舞う。聖火の柱から飛び出した橙色の小さな灯火は、蝶が羽ばたいた軌跡を描いているかのよう。暖かみのある光が散る様は、幻想的であり美しい。
しかし、燐火が風に流されることはない。個々が意思を持っているかのように一所に集まると、一個の生命を形成する。それには胴がある。羽がある。だがそれだけだ。芋虫に変態後の翅を取り付けたような不出来な格好。天使と呼ぶには造形があまりにも歪だった。人ではなく神でもない、現在の影沼の半端さを物語っているようではあるが、その光景は視界の至る所で見受けられる。
数が多い。多過ぎる。第一の個体が生み落とされたばかりだというのに、すでに百に達しようかといった勢いだ。
「いくらなんでも節操無さ過ぎだろーが」
と、終わりの見えない駆逐作業に弥生が苦渋に満ちた表情を見せ、霊符を掲げた。
場に満ちるは水気。先程と同様の手法を用い、下級天使軍を激流によって一掃する心算だ。
そこへ、救いの声が落ちた。
「単純作業が嫌いなら、今だけ肩代わりしてあげてもいいわよ」
ただし、声の主が救い主になるとは限らない。
鈴を鳴らすかのような声音と共に、玉虫色の物体がメタトロンと弥生たちの中間地点に降り注いだ。結果、生まれたばかりの天使軍はショゴスによって圧し潰される。
過分な物量には、圧倒的な質量を。そう言外に語りながら、天笠瑠華は再び前線へと舞い戻ったのだ。
ショゴスの天辺に趣味の悪い椅子があった。玉虫色に輝くソレは、どこかの玉座を模したように豪奢な造りをしている。相応の材料で作成すれば、万人が座ることを躊躇する絢爛な椅子が出来上がるに違いない。しかし、神話生物を素材として制作された家具は、座れば万人が発狂する異彩と狂気を放っていた。
そこに悠然と座る少女が一人。優雅に組んでいた脚を解き、優艷な仕で立ち上がった。少女の視線はメタトロンへと固定され、影沼の洞の如き眼孔を覗き込む。
一方的な視線の交わりは、メタトロンが断ち切った。瑠華の視界に華々しい火炎が咲く。乱入者を正確に見極めたメタトロンは、再び審判の炎でショゴスを灼いた。
だが――
「無駄よ」
瑠華の一言を合図に、ショゴスの伸ばした触肢が審判の炎を打ち払う。ショゴスに代償は無く、細胞の一片すらも焼け焦げてはいない。
その結果に満足するように、くすくすと瑠華は笑い声を上げた。邪悪によって愛でられた花が開花したようで、少女の笑顔は退廃的であり美しい。花弁のような唇から言葉が零れた。
「残念ね。貴方がどんなに厳粛な審判を下そうが、ルールそのものを改変してしまえばそれまでよ」
ついでに、コレを貴方専用に調整してきたのだから、存分に楽しんでいって。と、瑠華は左手を掲げた。闇に融けた異形の腕を、翳す。
するすると、ショゴスが縮む。驚くべき速度でショゴスが体積をなくしていく。物体が霞のように消える光景は、サウナに放置したドライアイスを思わせた。
しかし元々のサイズを述べるなら、上空からショゴスが落ちて来た時点で、サイズは数十分の一になっていた。目測で、精々十メートル程度。これでも十分大きいが、高層建築物と比較することなど出来やしない。
ならば、あの遠大な肉塊はどこへ消えたというのか――?
いよいよ、ショゴスが人とそう変わりないサイズまで小さくなった。体長はおよそ二メートル。その位置から瑠華はショゴスを蹴りつけ、ふわりと地面に降り立つ。彼女が座っていた椅子がどろりと融け、ショゴスは瑠華が望む姿へと形を成した。
シルエットは人の造形を模していた。
玉虫色の影法師。
そう呼ぶに相応しい存在が、瑠華の眼前で聳え立つ。




