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愛想がないと結婚0日目に離縁されたアラサー会計士 ~複式簿記で辺境領地を再建します~  作者: かな


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第5話:市場の理(ことわり)と公正なる天秤

ヴァイス領最大の商業拠点、中央広場。そこは、北の果てとは思えぬほどの熱気に包まれていた。だが、その熱気は健全な商いが生む活気というよりは、互いの無知を食い物にしようとする者たちが放つ、澱んだ執着に近い。

カナリス・ヴァン・ベルクは、領主グロックの数歩後ろを歩きながら、金縁の眼鏡越しにその光景を冷徹に観察していた。

グロック:「どうだ、カナ。あいつらは逞しいだろう? 俺はこの喧騒だけは嫌いじゃない」

グロックは、夜の嵐のような黒髪を乱暴にかき上げ、サファイアブルーの瞳を輝かせて笑った。だが、カナリスの返答は無機質だった。

カナリス:「……いいえ。私には、この市場全体が『目に見えない重税』に喘いでいるように見えます。領主閣下、あそこの麦の取引を見てください」

カナリスが指差したのは、みすぼらしい身なりの農民と、肥え太った中間業者が対峙している一角だった。


業者は、農民が持ち込んだ麦を大きな木のますで豪快に掬い上げ、代価としてわずかな銅貨を放り投げている。一方で、そのすぐ隣では、同じ業者が旅の商人に対し、一回り小さく見える升を使って麦を量り売り、高額な銀貨を受け取っていた。

(……升の大きさを使い分けることで、買う時には多く受け取り、売る時には少なく渡している。農民は自分が騙されていることにすら気づかない。計る道具が人によって違えば、何が正しい量なのか誰も分からなくなる。この市場の価格がでたらめなのは、まさにそれが原因ね)

カナリスは迷いのない足取りで、その業者のもとへ歩み寄った。

業者:「おっと、綺麗な姉ちゃんだ。麦でも買っていくかい?」

カナリス:「……少々、その『一斗いっと』の升を検分させていただけますか。買う時と、売る時で、あなたの手元にある升の底の厚さが違うように見えますが」

業者の顔が、一瞬で強張った。

業者:「な、何をぬかしやがる! これは先祖代々、この市場で使われてきた正当な升だ! 女の腐った算術で口を挟むな!」

カナリスは業者の罵声を無視し、懐から精緻に目盛りが刻まれた自作の「基準尺」を取り出した。彼女は業者が隠そうとした二つの升を素早く手に取ると、周囲の野次馬たちにも見えるように、その内径と深さを測ってみせた。

カナリス:「仕入れに使う升は一斗二升の容量があり、販売に使う升は八升分しか入りません。あなたが農民から『一斗』として受け取っている量は、本来より二割多く、客に『一斗』として売っている量は二割少ない。……この升の底に細工された二インチの厚みが、そのままあなたの不当な利益ということですね」

周囲の農民たちから、怒号に近いどよめきが上がった。

農民:「何だって!? 俺たちが納めた麦は、いつもあの升で量られていたんだぞ!」

業者:「黙れ! この最果ての地で、どこの馬の骨とも知れん女の物差しを信じる奴があるか!」

グロック:「――俺が信じる。文句があるか?」

低く、しかし広場全体に響き渡る声。グロックがカナリスの隣に並び立ち、腰の剣に手をかけた。その圧倒的な覇気に、業者は腰を抜かして座り込んだ。

グロック:「……お前がその升を隠そうとした瞬間、もう答えは出ていた」

カナリスは一度だけグロックに頷き、再び市場の商人たち全員に向けて声を張り上げた。その声には感情こそ乗っていないが、逃れようのないことわりの重みがあった。

カナリス:「商人の方々、聞いてください。単位が曖昧であることは、あなたたちが小銭を盗むための『隠れ蓑』かもしれませんが、同時にこの市場を衰退させる『毒』でもあります」

有力商人の一人:「毒だと? 何を言いやがる。俺たちはこうして長年、上手くやってきたんだ!」

カナリス:「……そうでしょうか。量る道具に信義がない市場を、他領の商人はどう見ていると思いますか? 『あそこは損をさせられる』……そう判断して、彼らはこの街道を避けています。……いいですか、これは感情の話ではありません。単位を統一して、正直な取引を保障すれば、他領からの商流が流れ込み、取引量は今より三倍に増えます。目先の小銭を盗むのと、三倍の商機を得るのと、どちらが商売人として理に合いますか?」

沈黙が市場を支配した。カナリスの言葉は、彼らの「強欲」という名の本能に、直接「合理性」という名の冷徹な計算式を叩き込んだのだ。

カナリス:「本日より、領主閣下の権威において、この領内のすべての単位を統一します。基準となる『原器マスター』は領主館に保管し、それと寸分違わぬ『公認計量器』を全商人に配布します。これに従わぬ者の取引は一切認めず、不正が見つかれば市場から追放、資産を没収します」

カナリスはグロックから預かった「獅子の印章」を高く掲げた。

カナリス:「……感情で数字を動かそうとする時代は、今日で終わりです。これからは、公正なる天秤と、理の数字のみが、この市場の王となります」


その日の夕暮れ。領主館のテラスで、グロックは酒杯を傾けながら、夕日に照らされる市場の様子を眺めていた。

グロック:「三倍、か。お前は平然と言ってのけるが、商人たちがあんなに早く黙るとは思わなかったぞ」

カナリス:「……彼らはバカではありません。損をするか得をするかには、誰でも敏感です。今の不透明なやり方を続けるコストと、単位を統一して得られる商機を天秤にかけさせただけです。……もっとも、彼らが本当に実感するのは、数ヶ月後に懐の銀貨が増えた瞬間でしょうけれど」

カナリスは眼鏡を外し、少しだけ疲れた顔を見せた。

グロック:「カナ、お前は本当に面白いな。誰もが暴力や権力で強引に解決しようとすることを、お前はただの『物差し』と『言葉』だけでひっくり返してしまう」

カナリス:「……特別な力など必要ありません。世界の理は、すでに数字の中に書き込まれています。私はそれを、あるべき場所に整理しているだけですから」

カナリスは視線を帳簿に戻し、指で静かに数字をなぞり始めた。

(さて、市場の計量を統一したら、次は街道の問題ね。関所ごとに通行税の基準がバラバラで、そのせいで荷が動かない。税の仕組みを一本化すれば、物が動き、動けば富が生まれる。……でも、その前に少しだけ、この冷たい夜風を味わってもいいかもしれないわね)

北の夜風が、静かに吹き抜けた。

愛想を捨てた会計士による、理の改革。それは市場という名の戦場において、誰にも否定できない「公正」という名の最強の武器を確立した瞬間であった。

――その頃、王都では。


ヴァイス領から届いた報告書を手に、ロラン・ド・メルシエは眉をひそめていた。

ロラン:「……辺境の廃領に、これほどの商取引が?」

羊皮紙の数字に目を走らせながら、彼の顔に初めて、嘲笑ではなく、別の感情が過ぎった。

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