第1話 風に生まれて
「こんな世界はくそだ」
男は血まみれで地に伏していた。
掲げた剣は、村で唯一のまともな武器だった。
もうその刃を持ち上げる力も残っていない。
「助けを求めた周辺の村も、国も、結局なんの返事もよこさなかった」
かすれた声で吐き捨てる。
「どうせ、こんな小さい村のことなんて、誰も知らないんだろう」
視界の先には、月花原が広がっていた。
この花原は、村の乏しい財を支えてきた。
だが魔物が棲みつき、今では誰も近寄らない。
なんとか立てた村の決起隊も、このざまだ。
すぐそばで、ホーンウルフが内臓を食う音がしていた。
やがて、その音が止む。
獣の気配が近づく。
「……せめて、娘は守りたかった」
男の意識は、そこで途切れた。
◇◇◇
目を覚ました瞬間、俺は飛んだ。
いや、正確には――風にさらわれた。
「ちょっ、待っ、待て待て待てええええっ!?」
体が軽すぎる。
手も足もある感じがしない。いや、あるのか? ないのか?
とにかく、ふわあっと持ち上がったと思ったら、そのまま花の上を流されていく。
青い空。
白い雲。
どこまでも続く森。
その下に、色とりどりの花が咲き乱れていた。
景色はきれいだ。とてもきれいだ。
だがそれどころじゃない。
「落ちる落ちる落ちる! いや落ちてない! 飛んでる! なんで!?」
叫んだつもりだった。
でも実際に出たのは、
「ぽふっ!」
という、あまりにも締まらない音だった。
「……は?」
間抜けな声を出した、つもり。
しかし返ってきたのは、またしても「ぽふぽふっ」みたいな空気音である。
嫌な予感しかしない。
俺はどうにか視線を下げた。
すると、風に乗ってくるくる回る白いものが見えた。
丸い。
小さい。
やたらふわふわしている。
綿毛みたいな、雪玉みたいな、白くてもこっとした何か。
数秒見つめて、気づく。
……それ、俺じゃないか?
「うそだろ!?」
ぽふっ!
「なんでだよ!?」
ぽふぽふっ!
駄目だ。
全然威厳がない。
混乱している俺をよそに、頭の中へ澄んだ鈴みたいな声が響いた。
《個体の覚醒を確認しました》
《名称:未設定》
《種族:綿毛精霊》
《適性:風/癒し/共鳴》
「綿毛精霊?」
《自然魔力の集積によって発生する微小精霊です》
「いや説明が雑!」
《身体は軽量であり、風との親和性が高く、単独戦闘能力は極めて低いです》
「そこはハッキリ言うんだな!?」
極めて低い。
それはつまり、弱いってことだろう。
もう少し言い方というものがあるだろうに。
けど、俺の体はどう見ても人間じゃない。
認めるしかなかった。
――たぶん俺は死んで、転生した。
しかも、綿毛に。
記憶ははっきりしないが、俺は元人間だったはず……
「もっと他になかったのかよ……」
風に乗ってふよふよ漂いながら文句を言う。
せめて猫とか、小鳥とか、もうちょっとこう……あるだろう。
そのとき、俺の体がふわりと下降した。
どうやら風が弱まったらしい。
そのまま、花の咲く地面へぽすんと着地する。
「おお……着地はできるんだな」
目の前には黄色い花。
隣には青い花。
少し離れたところには、小さな白い花が群れている。
近くで見ると、花びらの一枚一枚が信じられないほどきれいだった。
風が草を揺らす音。
どこかで鳥が鳴く声。
森の奥から聞こえる水の音。
静かだった。
目の前の花をなんとなく見た。
すると、しおれ気味だった一輪が目につく。
少し元気がない。
花びらもへにゃっとしている。
「水不足か?」
気になって近づこうとした、そのときだった。
俺の体から、ふわりと白い粉みたいなものが舞った。
ぽふっ。
すると、しおれていた花がぴんっと顔を上げた。
「……え?」
俺は固まった。
さっきまでへなっとしていた花が、明らかに元気になっている。
「今の、俺がやったのか?」
試しにもう一度、力を込めてみる。
ぽふっ。
今度は隣の草がしゃんと伸びた。
その横の小さなつぼみまで、ぷるっと震える。
「おおっ!?」
《スキル【微癒し】が発動しました》
「俺って回復役なの!?」
戦士とか魔法使いじゃないのはちょっと残念だ。
でも、何もないよりずっといい。
少なくとも、ただ流されるだけの綿毛ではないらしい。
俺はその場でぽふっ、ぽふっと何度か試した。
弱っていた草がしゃんとする。
花が少し元気になる。
地味だけど、なんだかちょっと楽しい。
《微小生命体、植物、小型生物への穏やかな回復・安定化効果を確認》
「……なんか、思ったよりちゃんとした能力っぽいな」
そのときだった。
そのときだった。
森の奥から、悲鳴が響いた。
女の声だ。若い。
続いて、獣の低い唸り声。
まずい。
そう思ったときには、もう体が動いていた。
ふわっ、と風をつかむ。
花の上を越え、枝の隙間を抜け、声のしたほうへ飛ぶ。
怖い。
めちゃくちゃ怖い。
それでも、見ないふりはできなかった。
「ぽふっ」
情けない音しか出なかったけど、俺はもう止まっていなかった。
茂みの先で、灰色の影が動く。
その向こうに、片足を引いた人影が見えた。
――まずい。
そう思ったときには、もう俺はそっちへ飛び込んでいた。




