55.寂しいけど
「すまない。今回は同行できそうにない」
「――!」
殿下が私の部屋を訪れて、ベッドの端に座りながら私に頭を下げている。
申し訳なさそうに頭を下げている殿下を見て、一瞬ガッカリして、すぐ我に返った私は慌てて殿下に言う。
「あ、頭を上げてください。私なら大丈夫です」
「そうか?」
「はい。殿下もお忙しいですもんね」
口ではそう言いながら、笑顔を頑張って作ってはみたものの、やっぱりガッカリしている自分は隠せなかった。
表情に見せてしまったのだろう。殿下は気づいて、再び申し訳なさそうに言う。
「本当にすまない。俺も同行したいのは山々なんだが……兄上に止められてしまってな」
「クラウス殿下に?」
意外な人物の名前が出て、思わず驚いてしまった。
ユリウス殿下は小さく頷いて、続きを話す。
「感染症が蔓延している場所に、一国の王子がわざわざ出向くことはありえない。部下たちに任せろと言われてしまった」
「そう……だったんですね」
単に忙しくて同行できない、というわけではなかったらしい。
私は勝手にガッカリして、今は少しホッとしている。殿下も本当は一緒に行きたかったと思っていることに。
「この間のアクリスタの一件があっただろう。あの話は兄上にも伝わっていて、顛末についても知っている。似たような状況、危険とわかっている場所に自ら飛び込むことはない。そう念を押されてしまった」
「クラウス殿下も心配されているのですね」
「ああ。兄上はそういうお方だ。合理的でもある。一国の王子としては、確かにわざわざ危険な場所に向かう必要がない。俺が普通じゃないだけだ」
「殿下もお優しいです」
一国の王子という立場でありながら、身分の低い人間にも礼儀を忘れず、苦しんでいる人々の声を聞けば、じっとしてはいられない。
そういう性格だと知っているから、クラウス殿下も心配されているのだろう。
アクリスタの一件も、もしも運が悪ければ殿下まで毒に侵されていたかもしれない。悪党は行くところまでたどり着くと、手段を選ばないから怖い。
特に殿下のような立場の人間は、多くの人から恨みを買ってしまう。立場がそうさせるのは悲しいけど、仕方がないことだ。
今も、殿下の身体には呪いがかかっている。
落ち着いているとはいえ、完全に解呪が完了したわけじゃない。
自分の立場も、状況も、きっと殿下はわかっている。わかった上で、身体が動いてしまうし、殿下はきっと……。
「殿下、ルーレウトのことは私に任せてください」
「フレア……」
「心配しないでください。すぐに終わらせて戻ってきます」
私のことも、心配してくれている。
危険な場所だからこそ、私を行かせたくないという気持ちがあるのだろう。そうだといいな、なんて勝手に思う。
殿下は優しい人だから、自分のことよりも身近な誰かの不幸で心を痛めるだろう。私のことを大切にしてくれている殿下だから。
そんな殿下のことを、私は好きになったんだ。
「大丈夫です。ガルドさんたちも一緒ですし、ネロ君もいますから」
「そうだな。俺がいるより、よっぽど頼りになるだろうな」
「そ、そういうわけじゃありません」
「ははっ、わかってる。ちょっと意地悪だったな」
殿下は私の隣に近づいた。肩一つ分くらい空いていた隙間がなくなり、お互いの肩が重なり、顔も近くなる。
殿下の手は優しく、私の頬に触れていた。
「殿下……」
「心配だよ。フレアに何かあったらと思うと……胸が苦しくなる」
「……私も同じです」
きっと逆の立場だったら、私も殿下と同じ胸の苦しみを味わっていたはずだ。大切な人を危ない場所に行かせたくない。
当たり前の気持ちを感じて、私は心が温かくなる。
「俺がもっと我儘を通せる王子だったらよかったのにな」
「そんなことありませんよ。殿下は今のままでとても素敵です」
「ありがとう。フレア」
「殿下……」
そっと唇を合わせる。
不安を誤魔化すように、少しでも勇気を貰えるように。
殿下との触れ合いが、弱い私の背中を押してくれる。大丈夫なんていいながら、不安がなくなったわけじゃなかった。
私はまだまだ自分に自信がもてない。
殿下の傍を離れて上手くやれるだろうか、とか。私なんかが行ったところで、何もできないんじゃないかとか。
後ろ向きなことばかり考えてしまう。
そんな私を、殿下の優しさと温もりが包んでくれる。たったそれだけのことで、頼りない自分が好きになる。
「フレアならきっと解決してくれる。俺はそう信じているよ」
「はい」
殿下の期待は私にとっての宝物だ。殿下はそう言いながら、私の肩にそっと腕を回して、自分の胸に抱き寄せる。
「殿下?」
「すまないな。君にばかり無理をさせてしまって」
「そんなことありませんよ。今の私がいるのは、殿下と出会えて、殿下の傍にいさせてもらえるからです」
あの出会いが運命を変えた。
仕事や人間関係に押しつぶされて、心も体も壊れかけていた私を、殿下が救い上げてくれた。
ずっと感謝し続けている。あの日に、殿下の優しさに。
「私だけじゃありません。きっと多くの人が殿下の優しさに助けられていると思います」
「……そうだといいな」
「間違いありませんよ。だって、殿下の周りにいる人は、みんな活き活きして楽しそうです」
親衛隊の皆さんだけじゃない。王城で、外で、殿下と話をしている人たちは皆、とても楽しそうで瞳を輝かせている。
それは紛れもなく、殿下が信頼されている証だ。
大きなことじゃなくてもいい。ただ声をかけられたり、労いの言葉を貰ったり、見てもらえているというだけで、人は頑張れる。
殿下は自然に、人のやる気を引き出している。
「アクリスタのことも、街の人たちに事情を説明して、お医者さんを手配したり、不安がる街の人たちが安心できるように管理体制を一新したり。殿下が迅速に動いてくださったおかげで、今は元の生活に戻っていると聞きます」
「あれも、もとを辿れば俺が早く気づけなかったことが悪いからな」
「そんなこと、街の人たちは思っていませんよ」
きっと感謝しているはずだ。王都から離れたあの地を、殿下が気にかけ、手を差し伸べてくれたことを。
「私が頑張れば、殿下のお力に繋がります。だから頑張ってきますね」
「フレア……」
私は笑顔を見せた。彼を安心させたくて、できるだけ明るい笑顔を。
すると、殿下は私を勢いよく抱きしめる。
「で、殿下!」
「無事に帰ってきてくれ。それだけでいいんだ」
「……はい」
抱きしめられて、心臓がバクバクと激しく鼓動する。
私だけじゃなくて、殿下もドキドキしているのが肌から伝わる。鼓動が重なり、視線を合わせて、もう一度キスをした。






