初めての海、初めての船
アシュリーが金を稼ぐために魔獣狩りをしている間の一週間、ニコラスがライを預かってくれた。
ライはお店の店員の女の子やお客さんに人気で、やたらと可愛がられる。
クリクリの大きな瞳で頬を染めて「ねー」と言われると大体の人は落ちるらしい。
その効果は中々のもので、ライ会いたさに連日訪れる少しお年を召したご婦人から、かなりの宝飾をお買い上げ頂けた、とニコラスがホクホクしている。
「ライ君、もう、うちの子供になっちゃおうか?」
ついニコラスがそんなことを口走ってしまうが、彼は独身。
「……やーよ。ライはじゅじゅといっしょだもん」
「そうかぁ、残念だなぁ」
一週間、アシュリーは毎日森に行っていたのでライは機嫌が悪い。
「ライ君、明日船に乗るからね」
「うん!」
船と聞くとライの瞳がキラキラと輝く。
「海ー!」
「うみー!」
初めての船に初めての海。アシュリーもライも大興奮。
「あまり乗り出さないでよ」
身を乗り出して海を見ている二人にニコラスが声を掛けた。
「はーい」
「はーい」
アシュリーは一週間の間に白金貨二枚を稼いだ。
ニコラスが驚いたのも無理はない。
平民が一週間に稼ぐ金額ではないし、そもそもこんな華奢な女の子が魔獣を狩ってきただなんて、信じることの方が難しい。
それでも、白金貨を目の前にすれば信じるしかない。
つい冗談で、「うちの護衛として働かない?」と声を掛けてしまったが、「お金が無くなったら雇って下さい」と言われると期待してしまう。
何と言ってもアシュリーが居れば、もれなくライも付いてくる。
可愛いマスコット的存在と、若く美しい護衛。うん、悪くない。
「楽しいかい?」
「サイコーです」
「しゃいこーでしっ」
「それは何より」
船は魔石を動力とした小型の幌船。強化加工された船体と高い操舵性が売りで、国交が活発になってきた近年、特に商人に人気の船だ。
とはいえ船での旅は時間が掛かる。
その時間を有効活用するために、忘れてしまったラジャ語を勉強することにした。
ライと二人で本と睨めっこをしていたが、全く思い出せない。いや、そもそも子供の頃、字は読めなかった。
二人でうんうん唸っていたところ、通訳のグラッドが教師を買って出てくれた。ニコラスも彼に教わっているそうだ。
覚えていないが、不思議と耳障りのいい言葉は聞き続けていると、身体に染みこむように記憶されていく。
ニコラスより発音や聞き取りがいいことにグラッドは驚いたが、アシュリーがラジャ王国の生まれであると言うと納得した。
言葉は忘れていたが、身体にラジャの何かが根付いている気がして嬉しい。
ライは、簡単な挨拶を覚え、可愛らしい童謡を覚えた。そして、元気に歌って聴かせるライは船上でも人気者。
アシュリーは時々海に潜って楽しんでいた。初めて海水が口の中に入った時は、あまりのしょっぱさに驚いて溺れそうになった。海がしょっぱいとは聞いていたが、本当にこんなにしょっぱいなんて。
魚はこんなにしょっぱい海の中を、口をパクパクしながら泳いでいて喉が渇かないのか?身体に悪いんじゃない?と真剣に考えたが、誰もそれについて詳しく知っている人は居なかった。ただ、「喉は無いから大丈夫じゃない?」とニコラスが笑っていた。
船の旅は概ね順調だったが、白海蛸に襲われた時は流石に船員の胆が冷えた。
ニュルっと足を伸ばして船体に絡みつくように現れた、全長二十メートル程の烏賊風の蛸で、エンペラのある八本足の蛸。いや、やはり烏賊か?
「これは絶対に旨い!」
アシュリーが跳び上がり、火の玉で動きを止め、続けざまに剣を振り船体に巻き付いた足を切り落とした。
怒った白海蛸が更に足を絡ませようとしたところを、再び跳び上がって剣を振り下ろし、胴体と足を切り離した。
胴体は海に沈んでいったが、船に絡みついた足が暴れて船を激しく揺らし、足の動きが止まるまで、船員は必死に船体にしがみ付いていた。
危機が去った後の船の甲板は海水でビシャビシャだったが、ライは楽しそうに海水を蹴って遊んでいる。水遊びは初めてだと大喜び。
白海蛸を見たかったとブーブー言っていたが、「見たら泣いていただろうな」と皆が溜息を吐く。ライは随分と好奇心が旺盛なようだ。
船体に残った白海蛸の足は、焼いて香味と塩で味付けをし美味しく頂いた。
弾力はあるが、焼き過ぎに気を付ければ、磯の香りと香味が合ってなかなか美味い。
ニコラス曰く、白ワインがとても合うらしい。
ライは一度口に入れ暫く噛み続けてから吐き出した。ライには硬すぎたようだ。
「ライ、いろいろ食べないと大きくなれないよ」
「ライ、たこいや」
そういうとライの為に用意されたバナナを食べて、さっさと部屋に戻って行った。
今、ライを夢中にしているのはお絵描き。初めてペンと紙を触って、とても気に入ってしまった。
ライの絵は殆どがグルグル。イヤ、全部グルグルしている。とても良く描けているのか、ライは毎回描き上がる度にニコニコしながら誰かれ構わず捕まえて、沢山のグルグルについて一生懸命説明する。
アシュリーには全部同じグルグルに見えるのだが、全部違うグルグルらしく、曖昧に返事をするととても不満そうな顔をする。でも、一番大きなグルグルがアシュリーだと教えてくれた時は、嬉しくてライの頭を一生懸命撫でた。
「それにしても、ジュジュちゃんは本当に強いんだね」
ニコラスはアシュリーの戦闘を目の当たりにして、漸く本気で納得してくれた。
「傭兵とかしてたの?ああ、無理して答えなくていいよ。ただの興味だから」
「いえ」
ここまで良くしてもらって、自分のことは何も言わないのは卑怯だと思う。
「とある貴族の騎士団に居ました」
「なるほどね。それは、強いわけだ」
フーンと言いながら、ニコラスはワインを含む。
「……仕事で魔獣討伐に向かった時に、仲間とはぐれてしまって」
「うん」
「戻ろうか戻るまいか考えていたんですけど、ここに居ます」
「え、いいの?それ」
「どうでしょう。仲間は心配してくれているかもしれないけど、家の人は私が居なくなった方が喜ぶと思います」
アシュリーの言葉にニコラスは言葉を詰まらせた。
「……そうか。それは寂しいね」
「……」
「でも、心配してくれる人が居るんでしょ?」
「多分、心配していると思います」
「連絡はしなかったの?」
「……」
アシュリーはコクンと頷いた。それを見てニコラスは盛大に溜息を吐く。
「それはダメだ」
「……」
「君のことを心配をしている人が、毎日どれだけ苦しい思いをしているか考えたことがあるかい?」
「……いえ」
「心配で心配で眠れない人や、自分を責めている人もいるかもしれない。そういうことを考えなかった?」
そこまでのことを考えなかった。会いたいなぁとは思っていたが、自分が居なくなる方がいいはずだと、思い込んでいたから。
「深く考えずに来ちゃいました」
「……」
アシュリーは背中を丸めて小さくなっている。何かに気が付いてくれればいい。ニコラスもこれ以上余計なことは言わない。
「でも一つだけ」
「え?」
「手紙を書きなさい。大切な人だけでいいから。元気だと教えてあげないと可哀そうだ」
「はい。書きます」
「あれ?じゃ、ラジャに家族が居るわけではないの?」
生まれた場所がラジャだと言うから、てっきり家族にでも会いに行くのかと思っていた。
「居ます。母が、……多分」
何やら複雑なようだ。
「そうか。お母さんに会いに行くの?」
ニコラスが聞くと、アシュリーは少し頬を染めた。
「はい」
直ぐに会えるかは分からないけど、時間はいくらでもある。きっと捜し出す。
「会えるといいね」
「はい」
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