今を生きる者② 時の旅人
/香乃視点/
地鳴りにも似た咆哮が鼓膜の奥を揺らす。
天空に聳える大地が、ゆっくりと。
しかし確実に傾いていく。
木々はざわめくように微かに震え水面には無数の波紋が広がる。
夜を照らす無数の灯りが揺れる。
遠くでは建造物が崩れ落ち、粉塵が宙を舞っていた。
その時が。
避けようのない終末が。
遂に訪れたから――――
幾度もの剣戟。
刃と刃が噛み合う度、火花が夜を裂き、石畳に刻まれる傷が、戦いの激しさを物語る。
増え続ける雑兵を躱し、大きく距離を取る。
息を整える暇など、もうない。
「はぁ……はぁ……」
呼吸が、思った以上に早く乱れる。
視線を落とす。
月明かりが、手の平を透かしていた。
それは錯覚ではない。
指先から、確かに輪郭が薄れていく。
徐々に消え始めている。
私という存在を形作っていた因子。
それが音も、痛みもなく、ただ霧散していく。
後のことなど考えていない。
「ここが私の終着点。旅の終わりだ」
不思議と声は震えなかった。
惜しげもなく使う。
躊躇ははない。
なぜなら―――
既に、私自身に残る魔力など、ほとんど残っていないからだ。
この世界に、留まるため。
時の狭間に縫い止めるために残しておいた、最後の力。
それは魔術師と戦うより前に、既に使い切っていた。
「……夜明けまでは持たないな」
自嘲気味に笑う。
口元だけが、わずかに歪んだ。
「別れの挨拶ぐらい……したかったのだがな」
だが安心しろ。
私の責務は済ませている。
そう心の中で呟く。
「最後の賭けとやらに……私も一枚乗っているのでな」
悪態を吐き、前傾姿勢を取る。
石畳を強く蹴り、夜の闇を切り裂いて加速する。
視界が狭まる。
意識が研ぎ澄まされていく。
眼前へ。
魔術師に迫る。
深淵のごとき魔術師。
彼は身の丈はあろうかという魔杖を天へとなぞる。
その軌跡が天空に巨大な魔法陣が描き出す。
「ハッ!」
放つ一閃。
切っ先が魔術師の背を捉える。
空間を削り取る最高出力の一撃。
同時に。
身体を構成する因子がさらに消えていく。
文字通り身を削る一打。
だが――――それは届かない。
剣閃は引き寄せられるように逸れ、巨大な盾を構えたイガリへと吸い込まれた。
鈍い衝撃音。
イガリの巨体が崩れ落ちる。
私は、その光景を生涯忘れぬように目に焼き付けた。
鉄が軋む音が残響すると、地を駆けた。
何度も斬撃を飛ばす余力はない。
ならば―――
「白兵戦に持ち込むまで」
砕けた石畳に水が溜まり、跳ね上がる水飛沫が月光を反射した。
「ムジナッ!」
叫ぶ間もなく、火花が散る。
死槍が振るわれ、私の剣閃がそれに応える。
在りし日の仲間の顔をした『何か』達。
彼らは生気の失せた瞳で行く手を阻む。
「アレックス……フィリオ……アラゴン……イガリ……」
名を呼ぶと……
まるで走馬灯のように。
昨日の事のように鮮明に記憶が蘇る。
ムジナは――
綺麗な顔をしている美女だったが、誰よりも男らしかった。
アレックスは――
誰に対しても気さくで気持ちの良い男だった。
フィリオは――
臆病なくせに、肝心な時は決して逃げない勇気を持っていた。
アラゴンは――
冷静を装いながら、誰よりも熱い心を持っていた。
イガリは――
誰よりも気丈に振る舞い、誰よりも、戦いを恐れていた。
「ああ……楽しい旅だったさ」
焚き火を囲んだ夜。
くだらない口論。
剣を交え、背中を預けた戦場。
「本当に……」
だが、頭を振った。
「感傷に浸るのは、まだ早い……な」
冷静に状況を見据える。
そんな彼らの顔をした者が立ち塞がる。
数は5では足りない。
10、20、30……
この場だけで100は超えるかもしれない。
一騎当千を誇る英傑の紛い物。
剣を握る手に、力を込める。
「今の私がすべきこと―――」
風が吹き……
崩れゆく天空都市の塵を運んでいく。
「―――貴様らを、我が仲間の魂を……誇りを、元の時代へ帰すことだ」




