今を生きる者① All Delete
/3人称視点/
星を喰らう竜。
万物を喰らう大蛇は、物語を否定する。
それは破壊ではない。
蹂躙でもない。
滅亡ですら、ない。
―――否定だ。
物語が歩んできた価値を。
積み重ねられた意味を。
登場人物が流した血と涙を。
読者が費やした時間を。
すべて等しく、無意味だと断じる存在。
万物―――
それは、目に見えるものだけを奪い取るわけではない。
記憶。
経験。
歴史。
あるいは―――
ゲームデータ。
ログ。
セーブデータ。
とも言えるもの。
世界に刻まれた到達点、人々の歩みとも言えるそれら。
そのものを、すべてを根こそぎ喰らい尽くす。
どれほどレベルを上げようとも。
どれほどスキルを、アーツを積み上げようとも。
到達したという事実が、存在しなかったことになる。
歴史を改変するのではない。
奪うのでもない。
―――消す。
最初から、何もなかったかのように。
白紙に戻すのだ。
必死に書きなぐった物語を。
無慈悲な消しゴムで、跡形もなく消し去る。
消化されたものは、不可逆。
仮に大蛇を討とうとも。
喰われたものが、戻ることはない。
それは世界に「セーブデータそのものを消去する権能」 を与えられた魔物とも言えるだろう。
文字通り、システムそのものを破壊するために生み出されたバグ。
超級などという言葉では足りない。
それは「物語を続ける意思」への、処刑装置。
狂乱者は、あとがきを偽装し、物語を欺いた。
フィーニスは、物語にピリオドを打つ存在だ。
ならば。
星喰いの竜は――
物語が歩んできた“軌跡”そのものを否定する。
深淵の魔術師が持つ切り札の一枚。
最大級の配下。
徹底的に『現在』を殺すための虎の子。
それが、星喰いの竜。
過去回帰を望む深淵は、未来を許さない。
現在も、許さない。
徹底的に否定する。
物語を進める意思を。
極光の騎士が積み上げた歴史を。
彼の騎士に与した者たちを。
未来へ進む者が起こす、奇跡全てを。
そして―――今。
世界が、息を止めた。
不敵に、ほほ笑むユラ。
その笑みは勝者のものではない。
すべてを呑み込み、なお満ち足りぬ捕食者の微笑。
その前に立つのは、風音。
この時代の勇者。
聖剣は、ない。
力の象徴は奪われ、手元にあるのは単なる鉄刀。
それでも――
彼は一歩も退かず、真っ直ぐにユラを見据えていた。
相対する二人。
現在を否定する者。
現在を歩み続ける者。
交わる視線は火花を散らし衝突していた。
「返してもらう」
風音の静かな声だった。
だが、その一言には揺るぎがない。
「―――現在を……みんなを」
奪われたものは多い。
だが、意志までは、誰にも奪えない。
風音の瞳には、絶望に屈しない闘志が、確かに宿っているのだから。
・
・
・
「……この時を以って、我が悲願は成就する」
天空都市の一角。
天高く。
雲間から差し込む月明かりは、あまりにも穏やかで、これから起こる『物語の終わり』を祝福しているかのようだった。
フードを目深に被った影が、月光に切り取られ、石畳へと長く伸びる。
影の先に立つのは、稀代の魔術師。
瓦礫の山と化した、かつての魔法学園。
そこはすでに学び舎ではない。
祈りの場でもない。
巨大な祭壇へと変貌していた。
世界を書き換えるための、処刑台。
大儀式が、今まさに執り行われようとしていた。
大魔導書――
魔導原典書フィーニス。
またの名を。
終末の騎士「死」。
あらゆる魔法の起源。
あらゆる終わりの原点。
世界の終着点。
それを炉心とし、世界そのものを巻き戻す大魔法。
未来を否定し、時計の秒針を、強引に巻き直す儀式。
それ即ち――
過去が、未来となり。
現在は、過去へと堕ち。
未来は、存在そのものを否定される。
巻き戻された秒針の中で。
死者は、生者となる。
確定した過去の悲劇は、『これから必ず起こる未来』 へと姿を変える。
大いなる矛盾。
星の原理原則を踏みにじる、因果逆転。
魔術師はローブの内から、銀時計を取り出した。
秒針は、わずかに震えながら、不気味な未来を映し出している。
彼はそれを覗き込み、確信をもって口を開いた。
「終末の時計。秒針はこれ以上……歴史を刻むことはない」
それは虚空へ向けた独白。
否。
すべてを見通す眼を持つ魔術師が、この時空で最後に立ちはだかる存在へと告げた勝利の宣告だった。
「ようやく会えたな。カノン」
―――月明かりが差し込み。
ふたりの視線が、静かに交わる。
彼女は無言で鉄剣を抜いていた。
「……やはりかつての……その目の色。貴様……何者だ?」
深淵の魔術師は答えない。
会話を楽しむ気など、最初からない。
ただ、ほんの僅かに――
微笑んだ。
それは落胆にも似た感情。
彼は首を横に振る。
否定ではない。
諦観と、失望の混じった仕草。
―――結局。
『選ばれし者であった彼女』ですら、自分の正体には辿り着けなかった。
そのあまりにも傲慢な考えの仕草であった。
「期待しすぎたか」
「なに?」
「やはり紛い物の亡霊であった、ということだ」
それが、仮初の身体を持ち、『現在を生きているつもりでいる』香乃への評価。
魔術師は淡々と言葉を続ける。
「最後に立ちはだかることは、見越していた」
「……見越していた、だと?」
香乃は眉を顰める。
「終局における最後の番人が君だと、最初から分かっていたという事さ。そう――初めからだ」
これ以上の会話は、無意味。
香乃は悟る。
この男とは、言葉が交わることはない。
「話にならんな。どこかの誰かと同じだ」
そして、静かに告げる。
「……いや、いい。こちらも世迷言に付き合う気もない。ただ確認したかっただけだ。私自身すでに覚悟を決めていたかどうかをな」
香乃は少しだけ口角を上げた。
一呼吸。次の瞬間。
香乃の手元から放たれる―――――横薙ぎ一閃。
空間そのものを削り取る斬撃。
技名はない。
勇者が、勇者であった頃の純粋な力。
それが、深淵の魔術師の眼に映る。
―――すべてを、学習し。
すべてを、盗み取るために。




