03
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私たちは二人、大木の太い枝に座り、眼下の景色を眺めていた。
――もうすぐ、日が暮れる。ひぐらしの鳴き声が、一日の終わりを告げる。
先ほどまでの暑さが嘘のように、辺りは森のひんやりとした澄んだ空気で満たされて、森も、草原も――街も、少しずつ紅に染まっていく。
私は、隣に座る彼を見つめた。
「ねぇ、どうしてさっき……」
「……ん?」
彼の澄んだ瞳が私を見つめる。彼の瞳も、薄いオレンジ色に染まっていく。
「なんで……“ごめん“って、言ったの?」
「……え?――あ、あぁ」
彼は一瞬考えたあと、恥ずかしそうに顔をそらした。
「だって、かっこ悪いだろ?本当は……僕の方から言うべきだったのに」
「――っ」
先ほどのことを思い出したのか、耳まで赤くする彼。それが本当に嬉しくて、愛しくて、私は彼の肩に頭をもたれる。
「――もう、本当に……あなたって人は……」
どこまでも――本当に素敵なんだから……。
そう思って、はっとする。そう言えば……。
「ねぇ?」
私は再び彼をじっと見つめる。
「ど、どうしたの?」
「あなた――いつの間に背、伸びたの?ちょっと前まで、私の方が高かったじゃない」
そう、今日ずっと感じていた違和感。なんだか彼が知らないうちに、別人になってしまったような……そんな違和感。
けれど彼は、そんな私の言葉に一瞬目を丸くすると――ぷはっ、と吹き出した。
「ははははっ!何言ってるのユリア!もうずっと前から僕の方が大きかったでしょ?」
「……え?――え?」
――あれ?そうだった、かしら?
「僕たちもうすぐ十四歳になるんだよ?忘れちゃった?」
彼は笑いながら、私の顔を見つめる。
――あれ、でも……。
でも――確かに、目の前の彼は、確かにもう……逞しい男の人になりかけていて……。
「ほら、見てよ!最近筋肉もついてきたんだよ!」
そう言って二の腕に力を込めてみせる彼。確かに、私とは比べものにならない筋肉質な腕に、ぽっこりとした力こぶ。
「――……本当、ね」
「――でしょ?それに――君だって……その」
言いかけて、彼は再び顔を赤くする。
「……?」
「君だって……とても、綺麗になったよ。昔からずっと可愛かったけど……最近は、もっとずっと――綺麗になった」
「――っ」
熱を帯びた彼の瞳。そんな瞳に見つめられると――堪らなく、恥ずかしい。
彼は言う。
「あぁーもう、ユリア、君本当に可愛いすぎるよ!僕、今、夢を見てる気分だよ」
そして、手をぎゅっと握られた。――少し角張ってきた、大きな……温かい、手で。
私はそれが……やっぱりまだ恥ずかしくて、彼の顔を見れなくて……少しうつむいて、呟く。
「ゆ……夢じゃ、困る……わ」
「うん、そうだよね!僕も困る!」
そう言って、彼は笑う。
「――ふふっ、なに、それ」
私も――笑う。
そうやって、私たちは、日の暮れるギリギリまで――二人きりで過ごした。
***
強い日差しが照りつける。
王都エターニアから馬車で約一時間の場所に広がる森と湖。その湖から少し放れたところには一本の川が流れていた。川は森の途中で二つに分かれ、一方はそのまま森の深くへ、そしてもう一方は森を抜けて街道沿いに流れていく。
その森と街道が丁度ぶつかる辺りを、一人の青年を乗せた逞しい馬が、軽快に走っていた。少し癖のある短めの赤い髪が風にそよぎ、その優しげな顔立ちには、焦げたような深い茶色の瞳がきらりと光る。彼の温かな目元には、この暑さにもかかわらず涼やかな色が映し出しされていた。
青年は、森から流れ出てくる川に差し掛かると、いつものように速度を落として馬から降りる。森の澄んだ涼しい空気の恩恵を受けられるそこは、彼のいつもの休憩場所であった。生い茂る木々のおかげで日陰が多く、透き通った水の流れる川もあり、馬を休ませるのにも打ってつけである。
「さ、ちょっと休憩しようか、スバル」
青年は自分の愛馬に声をかけて、手綱を引きながらゆっくりと土手を降りて行った。そして川岸に寄ると、馬の手綱を放す。
「いいよ、好きに飲んでおいで」
青年は愛馬――スバルにそう言って、自分は手近な岩に腰掛けようとする。
しかし――彼は何かに気付いて、目を凝らした。
「――……あれは」
彼の視線の先、少し放れた小石だらけの川岸には、下半身が水に浸かったまま仰向けで倒れている女性の姿――。
「――ッ!」
彼はサッと顔色を変えると、打たれたように走り出した。すぐに女性に近寄り、その冷えた身体を抱き上げる。
その女性は、おそらく歳は彼と同じくらいの、金色の長い髪を持った美しい少女だった。
「ねぇ、君!大丈夫!?返事をして!」
彼は腕の中の少女に声をかけるが、返事はない。――どこか上流で川に落ちて、流されてきたのだろうか。どうやら息はありそうだが、身体は冷え切ってしまっている。――このままでは……。
彼は、決意する。
「――スバルッ!!」
彼は愛馬を呼ぶと、少女を抱きかかえたまま一気に土手を駆け上がった。スバルも主人について土手を上がる。
「ごめんね、スバル。疲れてると思うけど、急ぎなんだ。――頼む」
青年の言葉に応えるように、愛馬はひと鳴きした。同時に、青年の表情が凛としたものに変わる。
そして彼は少女を抱えたまま鞍に跨がると、慣れた手付きで手綱を左手に持ち、駆け抜ける様に一気に馬を走らせた。
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今し方アメリアが倒れていた川岸に、ルイスは一足遅れて辿り着いた。
「――アメリア様!アメリア様!」
彼は声を張り上げる。その表情には何時もの彼らしくなく、焦りと不安が色濃く浮かんでいた。
「アメリア様!――聞こえますか!?」
ルイスは川岸をくまなく探す。――けれど、アメリアの姿は何処にもない。
「……おかしい」
ルイスはぎりりと歯を噛み締める。
彼の頭には王都周辺の地形が全て叩き込まれていた。それは勿論この森も例外ではない。彼は、アメリアが流れつくならこの川岸だと確信していた。川はここに辿り着く途中で二手に分かれているのに――である。
「――……っく」
ルイスの足元がぐらつく。その顔は苦しげに歪み、額には滝の様な汗が浮かんでいた。
「……は……、――流石に、きついか」
彼は呟いて、自分の足に力を込める。――その覚束ない足取りを、立て直そうとすべく。
「――」
彼はなんとか身体のバランスを立て直し、大きく息を吐いた。
「……しっかりしろ」
そう、自分に言い聞かせるように呟いて――。
彼は辺りを見回す。何か、何か手掛かりがあるはずだ。彼女は確実に――先程までここにいた筈。
そして、ルイスは――見つけた。
「――……濡れてる」
川岸から土手の上まで続いている水跡。そして――。
「……蹄?……――馬か!」
彼は蹄の跡を追い、土手を駆け上がった。そこには確かに、まだ真新しい馬の蹄の跡が、ずっと先まで続いている。
「この先は――」
王都エターニアに次ぐ都、アルデバラン――。
「……全く、あなたという人は――」
ルイスは、真っ直ぐに続く街道のその先を鋭い眼光で睨むように見つめ、焦燥感に駆られた様子で――小さくそう呟いた。




