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 子供の頃、何度か訪れたことのあるその部屋は、相変わらず物が少なくて、薄暗い部屋の奥に天蓋に覆われたベッドが見えた。

 クラウスは私の腕を掴んでベッドに向かうと、天蓋を開け放ち、私の肩をとんと押した。私は受け身を取ることも忘れ、月明かりに照らされたベッドの上に倒れ込んだ。


 一体何が起こっているのか、私にはまったくわからなかった。夜会の主役のクラウスが、どうしてこんなところに私とふたりでいるのか。どうして彼がこんなに憤っているのか、その理由がわからない。

「ねぇクラウス、会場に戻ろ? パーティーの主役がいなくなっただなんて、きっとみんな心配してるよ」

 私は彼を見上げて言った。けれども彼は無言のままで、もう一度私の腕を掴み、今度はレースの長手袋を強引に奪い取った。

「なっ、なに? なんなの……?」

 私は怖くなって、ベッドの奥に後ずさった。

 さすが王族なだけあって、クラウスのベッドはとても広かった。クラウスは興味なさそうに手袋をぽいと投げ捨てると、私を追い詰めるようにベッドに上がってきた。

 ぎし、ぎし、と寝台が軋む。衣擦れの音が耳を掠める。クラウスがぐんと腕を伸ばし、私の肩を覆うショールを剥ぎ取った。橄欖石(ペリドット)に似た瞳を細め、月明かりに晒された私の肩を凝視して。彼は怯える私の腕を掴むと、今度は私をうつ伏せにしてベッドの上に押さえつけた。

「や、やだっ……やめて!」

 私は精一杯声を張り上げた。

 

 怖かった。まるで知らない男に組み敷かれているみたいで、全身が恐怖でぞわぞわと粟立っていた。

 だって、クラウスは幼馴染みで、王子様で。やんちゃだけど優しくて。

 だから、こんなクラウス、私は知らない。

 

 しゅるしゅると紐がほどける音がする。背中の締め付けが緩くなって、クラウスがドレスの編み紐を解いていることに気が付いた。

 冷たい空気が肌に触れる。私は慌てて両腕で身体を抱いて、ちいさくなって身をまるめた。

 けれど、クラウスの手は止まらなかった。無理矢理私を転がして仰向けにすると、彼は怯える私に構うことなくドレスの裾を捲り上げた。


 やだ、やだやだ、こわいこわいこわい……!


 魔女としては未熟すぎる私だけど、この状況で何をされるのかがわからないほど子供じゃなかった。

 原因はわからないけれど、きっと私はクラウスを怒らせてしまったんだ。だから、これは仕方がないことなんだ。

 そう自分に言い聞かせて、私は震えながら、ぎゅっと固く目を瞑った。


 けれども、何も起こらなかった。

 すでに私は酷いことをされるのだと覚悟を決めていたけれど、クラウスはそれ以上、私に手を触れたりはしなかった。

 何が起きているのかわからなくて、私が恐る恐る目を開けて、クラウスがいるほうに——脚のほうに目を向けると、彼は酷く傷ついた表情で、私の太腿を見下ろしていた。

 白い肌に浮かぶ真新しい一筋の傷痕は、昨日、剣の手入れに失敗してクラウスが負った切り傷だ。ドレスを着ても傷痕が見えないようにと考えて、私が太腿に貰い受けたのだった。


「なにこれ」

「け、怪我したの。庭園で、植え込みの小枝に引っかかって」

「うそつき」

 私が慌てて太腿を隠すと、クラウスは声を荒げ、ずずいと私に詰め寄った。

「どうみたって刃物で切れてんじゃん。それ、昨日の俺の怪我だろ」

「な、何言ってるの、そんなわけないじゃない」

「くだらねぇ嘘つくな。バレバレなんだよ」

 吐き捨てるようにそう言って、クラウスはベッドの上にどっかりと腰をおろした。

「子供のころ、お前しょっちゅう俺の怪我治してたけど、俺が大怪我したあとは、必ずすぐに遊ぶの切り上げて、それから数日は決まって部屋に閉じ篭もってた。あんなことが続いていれば馬鹿でもわかる。お前が俺の怪我を肩代わりしていたんだって」

 クラウスは淡々とつぶやいて、苦々しく眉を顰めた。


 私は何も言い返せなかった。ただドレスの膝を両手でぎゅうっと握り締めた。

 クラウスは全部わかっていたんだ。傷を癒せるだなんて嘘をついて、私がずっと、彼のそばにいたことを。


「……そっか、ごめん。気付いてないと思ってた」

 幼かったふたりが交わしたあの約束は、なかったことにされるのだろう。嘘つきで愚かで、立派な魔女にもなれなかった私は、もう二度と彼に信用してもらえない。契約なんてできっこない。

 目の前の彼の顔がじわりと滲む。うつむいた私の頬を、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

 ややあって、すすり泣く私の肩に、ふわりとショールが掛けられた。

「ドレスの着せ方わかんねーから……悪いけど、部屋まで送るから着替えろよ。その脚じゃ、夜会に戻ったってどうせ踊れないだろ」

 顔をあげると、クラウスが気まずそうに窓の外をみつめていた。その頬が、薄っすらと紅く染まっている。

 私は二、三度目を瞬かせて、それから彼に訊ねた。

「……しないの?」

「は?」

 くるりとクラウスが振り返る。半裸の私と目が合うと、彼は瞬時に顔を背けた。

「無理矢理部屋に連れ込んでドレスを脱がしたりするから……その、えっちなこと、したいのかなって思ってた」

「……はぁ!? ばっ、ばっかじゃねぇの!? 誰がそんなことするかよ!」

「だ、だってクラウス、夜会のたびに綺麗な女の子を侍らせてたんでしょ? だから、どうせそういうこともしてるんだろうなって思って」

「し、してねーよバカ! バカ! お前、本ッ当にバカなんじゃねーの!? 俺は昔っからおま——」

 勢いよく捲し立てて、彼は慌てて口を噤んだ。


 ——昔っから、クラウスは。

 その先に続く言葉は、目の前の彼の態度からなんとなく想像できた。もしも、この想像が正解ならと考えるだけで、私はもう、嬉しくて嬉しくて。

 きっと私は、とてつもなくにやにやしていたのだと思う。クラウスはわしわしと後ろ髪を掻くと、ぶっきらぼうに私に言った。

「もう、いいから部屋に戻れよ。変な噂立てられる前に」


 *


 クラウスは何も言わずに私を部屋まで送ってくれた。扉の前で立ち止まり、それから少し躊躇って、私に訊ねた。

「……お前さ、あいつのこと好きなの?」

「え?」

「あいつ……あの、お前が懐いてる騎士、いるじゃん」

 首の後ろに手を回して、ちょっぴり不貞腐れて。ちらりと向けられた橄欖石の瞳が私を映す。

 答えは簡単に口にすることができた。

「好きだよ。憧れてる。恋とかそういうのとは違うけど」

「え、違うの?!」

「違うよ。だってあの人、若く見えるけど既婚で子持ちだし、十五も歳が離れてるんだよ?」

 ギュンターさんの奥さんはお子さんとふたりで街で暮らしている。今夜のパーティーには夫婦揃って招かれていたから、だから私は、この機会に奥さんにご挨拶をさせてもらおうと思っていたのだ。

 クラウスの謎行動のせいで、またしばらく延期になってしまったけど。


「……そっか、そうだったのか……」

 クラウスのつぶやく声が聞こえた。その横顔がとても嬉しそうで、なんだかこっちまで嬉しくなって。

 私は思いきって彼の手を取った。

「ねぇクラウス、私にダンスを教えてよ。得意でしょう?」

「……はぁ? なんで俺が」

 彼は露骨に面倒そうな顔をしたけれど、私は怯まなかった。もっと彼と一緒にいたい——その気持ちが伝わるように、彼の瞳をじっとみつめる。

 クラウスはちょっぴり困った顔をして、ぽりぽりと頬を掻いて、それからそっと、私の指先に触れてくれた。

「……仕方ねぇな。お前みたいな一庶民が俺様にダンスを教えて貰えるなんて本来なら有り得ないことなんだからな。光栄に思えよ」

 王宮のあちこちを一緒に駆け回ったあの頃のような、優しくて、少しだけ高慢な笑顔でそう言って。

 彼は私を、夜の中庭へと連れ出した。


 *

 

 私たちのあいだには壁がある。

 それは目に見えない大きな壁で、簡単に壊すことができない強固なものだ。

 その壁を乗り越えるちからが自分にあるのかどうかすら、私にはわからない。


 でもね、クラウス。

 その先に続く道がたとえ困難なものだとしても、私はやっぱり、貴方の契約の魔女になりたいよ。





読了ありがとうございました。



ムーンライトノベルズのほうにその後のふたりのお話を追加したR18版を投稿しています。

ちょっと頭ゆるゆるな感じでアレなお話になってますが、18歳以上の方で興味を持っていただけましたら探してみていただけると嬉しいです(笑)

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