第一話 笑えた日
梅雨が明けない、じめじめと蒸せる空気は、背負うリュックを更に重くした。
高校一年の一学期もあと僅か。
テストが終わり周りは浮かれてたが、俺にとってそんな事はどうでも良かった。
一分、いや一秒でも……もう学校に居たくなかった。
「おい、俊! お前、今日掃除当番だろ」
「え? 違っ……」
「俺の分もやっとけよ~!」
「俺の分も~」
嫌な笑い声が教室に響く。
(またか……。何で、いつも俺なんだ……)
「俊、あと現国のノートも写しておいてくれないかなぁ?」
「あと、ジュース買ってきてくんね?」
「ちょいっ! 神田、成沢!!」
「げ、早川だ」
「逃げ逃げ!!」
「待ちな!!」
神田と成沢が逃げるように教室を出ようとすると、出入り口に長い黒髪のポニーテールを揺らした早川 朝霞が立ち塞がる。
「どけよ!!」
「どけじゃねぇ。掃除しな!」
朝霞は小柄なのに、どこか威圧感がある。
「なんだよ」
「お前ら、また俊一人に掃除押し付けてただろ?」
「そんなことねーよ、なぁ?」
「そ、そうだよ! あいつが、代わりにやってくれるって言うからさ」
「へぇ~。そうなの……って、んな訳あるかぁ!」
「ちっ、面倒くせぇのに捕まったぜ」
神田と成沢は、ぶちぶち言いながら箒を持ち掃除を始める。
「ねぇ?」
箒でゴミを集めていた俺の顔を、朝霞が覗き込む。
「な、なに?」
「ほら、塵取り」
「え?……あ、ありがとう」
朝霞が膝を着いてしゃがみ、塵取りを抑えてくれている。
俺は俯くようにして黙々と、箒でゴミを集める。
「俊、優しすぎ。もっと、ハッキリいってやんな」
「……」
「何も悪い事してないんだからさ」
朝霞は塵取りで集めたゴミをゴミ箱に捨てると、振り返る。
「俊、焼却炉まで付き合って」
「あ……うん」
俺は、言われるまま朝霞とゴミ箱を片方ずつ掴んで持つ。
階段を降りて、人気がない廊下で朝霞が口を開く。
「俊、明日学校来なよ?」
「え?」
まるで見透かされていたかの様な言葉に、俺は驚いた。
「俺は、待ってるから」
「ふっ」
朝霞が自分のことを俺という言葉に、思わず笑った。
「な、何だよ?」
「いや、俺っていう割に優しいなって」
「良いだろ、別に」
「良いけど……」
「てか、普通に笑えるんじゃん」
俊は言われるまで、自然に自分の口角が上がっていることに気が付かなかった。
そして、朝霞は俺がずっと笑っていないことを知ってた……?
まさかな……。
「俊の家って、どの辺なの?」
「え? 俺ん家?……花坂町の本屋の隣」
「へぇ~。あそこか、俺もいつも通るよ。本屋が隣っていいね」
「そうか?」
「漫画の発売日とかさ」
「あぁ、確かに」
朝霞との他愛もない会話は、俺の心をゆっくりと解いていった。
焼却にゴミを入れた後、教室へ戻ると早川を待ってたクラスの女子達が集まって来る。
「朝霞、遅~い」
「あぁ、ごめん。ゴミ焼却に出してた」
「えぇ? 朝霞、今日掃除当番じゃないのに?」
「ボランティア」
「ふーん」
俺は神田と成沢が言っていた事を思いだし、リュックから現国のノートを取り出す。
「俊、やんなくていい」
「え?」
「何々? どうしたの?」と周りに人が集まる。
「大丈夫、ジュースも買うなよ?」
「でも……」
「気にすんな! ほら、リュック持って」
俺はリュックを手渡され、背負い直す。
どこかでまた、呼び止められるんじゃないかとビクビクしながらも、昇降口の下駄箱へ向かった。
靴を履き替えた所で、朝霞達がやって来た。
「俊、お疲れ! また明日な!」
「お、おぅ......」
正直、帰り際まで声を掛けられると思わなかったから俺は驚いた。
「朝霞〜速く〜! 部活遅れる〜」
「今行くー!」
彼女の声は心地よく、響き帰りの足取りを軽くさせた。
* * *
翌日――
朝から冷たい雨が、窓を打ち付ける。
俺は布団の中で、葛藤していた。
学校へ行ったら、また神田や成沢に何かされそうだ。
こんな嫌な思いをしてまで、学校へ行く意味はあるんだろうか。
でも……。
昨日の朝霞の言葉が、頭をよぎる。
*
「俺は、待ってるから」
「俊、お疲れ! また明日な!」
*
「はぁ……」
胸の奥から溜息を吐き出す。
「俊~? 起きてる? そろそろ時間だよ~?」
階段の下から、母さんが呼が呼んでいる。
「起きてる!」
あぁ……体が重い。
――ピンポーン♪
朝早くから、誰かが家に来たらしい。
一階で母さんの声が、ワントーン高く騒々しい。
俺は寝間着のまま階段を降りると――。
「俊、おはよ」
「ええ? お、おはよ……う。って何で朝霞がここに?」
「学校行くだろ? 一緒に行こうぜ」
「俊ったら早川さんが迎えに来るなら、ひとこと言ってくれればいいのに……ヤダこの子まだ寝間着じゃない」
「あ……」
「早く、着替えてきなさい」
えええ? 一体どうなってるんだよ!
「ごめんね、早川さん。まだ準備できてなくて」
「いえ、私のほうこそ朝早くに、すみません」
「良かったら、上がってちょうだい」
「ありがとうございます」
そう言って、母さんは朝霞をリビングに通した。
その間俺は慌てて着替え、顔を洗った後、ダイニングの席に座る。
「ほら、俊、ちゃんと朝食食べて」
「そうそう、朝はしっかり食べないと力が出ないぞ」
「はいはい……」
俺は、母さんと朝霞に言われるがまま朝食を取った。
* * *
「いってきまーす」
「いってらっしゃい。早川さん、よろしくね」
「はい! 任せてください」
「赤ん坊じゃあるまいし」
俺は、頭をかく。
この時の俺は、この先彼女と毎日登校するようになるなど思いもよらなかった。




