第30話 異議あり! ソノ競売!
ガベルが競売台に突き刺さった瞬間、それまで怒号と歓声で揺れていた会場が、水を打ったように静まり返った。
何百という視線が、一斉に俺たちへ突き刺さる。
……やっちまった。
頭より先に身体が動いた結果がこれだ。
頬が熱い。
今さら「人違いでした」なんて顔をして帰れたら、どれだけ楽だろう。
そんな情けない考えが頭を過る。
けれど、俺の背中にはミリスがいる。
傷だらけになりながら、それでも笑って俺たちを送り出してくれた少女がいる。
あの笑顔を見た後で、アルベリオに背中を向けるなんて、できるはずがなかった。
「……残念です」
アルベリオは本当に残念そうに息を吐いた。
怒っているわけじゃない。
むしろ、「どうして分からないんですか」とでも言いたげな顔だった。
その穏やかさが、余計に腹立たしい。
「膝を撃ち抜けば、十分だと思っていたのですがねえ」
白い手袋を嵌めた指が、静かに俺を指す。
「痛みは優秀な教師です。一度教えれば、大抵の子供は二度と同じ失敗を繰り返さない」
まるで当たり前の真理でも説くような口調だった。
その声音には、人を撃った罪悪感なんて欠片もない。
「ですが、どうやら私も買い被っていたようだ」
黄金色の瞳が、ゆっくりと細くなる。
「ヴェルカの弟子が、ここまで聞き分けの悪い子だったとは」
「……言ってくれるな」
膝の痛みより先に、胸の奥がじりじりと熱を帯びていく。
思わず言い返しかけた、その時だった。
「違う。それは教育なんかじゃない」
カグヤの声は震えていた。
それでも彼女は一歩も退かず、アルベリオを真っ直ぐ見据えて言い放った。
「ただの脅しだ!」
「結果が同じなら、過程はどうだっていいでしょう?」
アルベリオは眉一つ動かさない。
牧師のような穏やかさで、ゆっくりと言葉を重ねていく。
「商売だって同じですよ。利益を得るためなら、手段は何だっていい」
その笑みが、僅かに深まる。
「たとえ命を奪うことになったとしても、ね」
「腐ってやがる……!」
思わず吐き捨てた俺を見ても、アルベリオは肩を竦めるだけだった。
「だから、残念ですが愚かな君にはここで死んでいただきます」
白い手袋を嵌めた人差し指が、静かに俺へ向く。
その何気ない仕草に、背筋を這い上がるような悪寒が走った。
「さようなら、クラド君――」
指先が動く。
――来る!
「つまらねえ演説が終わったと思えば、今度はガキの公開処刑か?」
豪快な声が会場を斬り裂く。
観客達が一斉にどよめき、その視線が客席の中央へ吸い寄せられた。
「いつから夜天競売会は、悪趣味な殺戮ショーになったんだ? ええ、アルベリオ」
「何?」
アルベリオの笑みが、その時初めて崩れ去った。
「生憎ウチは放任主義でやってんだ。余所の野郎が出しゃばってんじゃねえよ」
赤い影が客席を蹴った。
真紅の長いスカートを大きく翻し、海を揺蕩うクラゲのように宙を舞う。
そして、轟音と共にステージへ降り立ったヴェルカは、砕けた石片を踏み砕く。
「ヴェルカ!」
「待たせたなテメェら。それで、ミリスはどうしたんだ?」
ふとヴェルカは一人居ないことに首を傾げる。
ミリスは……。俺たちが言葉を詰まらせていると、ヴェルカは小さく頷いた。
「ま、ミリスも結構タフな奴だ。心配しなくても大丈夫だろ」
「ですが、彼女は今――」
「心配すんな、私の弟子がそう簡単に死ぬタマかよ」
言いながら、ヴェルカは俺へ視線を送る。
俺を参考例にされても困るんだが。
「困りましたねえ。まさか予期せぬ乱入者が三人も現れるとは……」
「いいや、あとからもう一人来るぜ?」
「増えようが同じこと。ゼロと対峙して生還したものは誰一人としていませんから」
アルベリオは得意げに口角を上げて、裏口側を見やった。
やっぱりミリスを置いて行くべきじゃなかったか?
いや、ミリスならきっと大丈夫だ。俺は心の奥底で、そう信じることにした。
「さて、聞くまでもないと思いますが。降参する気は?」
両方の腕を広げながら、アルベリオが訊く。
俺は倉庫から持ってきた番号札を構えながら、アルベリオを睨み返す。
「言うまでもない。断る!」
「ならば、私が直々に始末するまでですッ!」
アルベリオが懐へ手を差し入れた。
反射的に体が動く。
あの時と同じ、魔道銃を撃つつもりだ。
だが、そうはさせない!
「カグヤ!」
「はいッ!」
返事と同時に、木札がスポットライトを裂いた。
《穿》
一直線にアルベリオの喉元を狙う。
その隙を縫うように、俺も番号札を投げ放った。
《番号札:50G → 投擲鋼札:1,200G》
紙切れほどの重さだった札が、手を離れた瞬間には鋼鉄の刃へと変わる。
二方向からの挟撃。
避けるなら、どちらかは当たる。
そう踏んだ。
だが――。
「……なに?」
思わず声が漏れた。
鋼札が、曲がった。
軌道が、目に見えない何かに弾かれたように横へ折れ、そのまま客席の柱へ深々と突き刺さる。
同時に、カグヤの術もアルベリオの鼻先でふわりと向きを変え、誰もいない天井へ吸い込まれていった。
避けた?
いや、違う。
あいつは一歩も動いていない。
「へぇ」
ヴェルカだけが、口元を吊り上げた。
「やっぱり面白ぇ能力使うじゃねえか」
言うなり床を蹴る。
赤が一瞬でアルベリオとの間合いを潰した。
踏み込みからの正拳。
空気が爆ぜるほど鋭い一撃だった。
だが、その拳さえ届かない。
「んぁっ?」
アルベリオの目前まで伸びた拳が、不自然な軌道を描いて逸れたのだ。
――ドゴォォォンッ!
砕けたのはアルベリオではなく、その背後にあった競売台だった。
大理石が爆ぜ、木片が雨みたいに降り注ぐ。
「チッ……」
ヴェルカが舌打ちする。
その横を、砕けた破片が飛び抜けた。
俺は咄嗟に上着のポケットを探る。
掴んだのは、カジノで拝借した高級トランプだった。
《高級トランプ:2,000G → 魔断刃札:12,000G》
指先に吸い付く感触が変わる。
紙じゃない。薄い刃物に変わった。
「これなら、どうだッ!」
十数枚を一気に扇状に散らす。
切り裂くというより、逃げ場そのものを潰すように。
これなら――。
そう思った瞬間だった。
刃札はアルベリオを囲む直前で、一斉に軌道を変えた。
何枚かは壁へ。
何枚かは天井へ。
刃札は俺たちの頭上を掠め、赤い緞帳を紙吹雪みたいに裂きながら飛び去っていく。
ぞわり、と背中が粟立った。
避けられたんじゃない。
俺たちの攻撃の軌道そのものが、途中で捻じ曲げられた。
「面白ぇ」
そんな異様な光景を前にしても、ヴェルカだけは口の端を吊り上げる。
「なら、力づくでぶち抜くだけだ!」
次の瞬間には床を蹴っていた。
赤いスカートを翻しながら一直線にアルベリオとの間合いを潰す。
その踏み込みはあまりにも速く、俺の目には赤い残像しか映らなかった。
――入った。
そう確信した拳は、しかしアルベリオの真横を素通りするだけだった。
鈍い衝撃音とともに、床が砕け散る。
「……チッ」
舌打ちしたヴェルカが身を引いた、その時だった。
頭上で何かが光る。
見上げた俺の背筋が凍り付いた。
「ヴェルカ! 危ないッ!」
さっき俺が放ったトランプだ。
壁や柱に突き刺さっていたトランプが、一斉に向きを変え、獲物を見付けた鳥の群れみたいにヴェルカへ殺到した。
ヴェルカは拳で二枚叩き落とし、残りも紙一重で躱していく。
それでも一枚だけは避け切れず、頬を浅く裂いて鮮血が宙に散った。
「クソッ……テメェ、何しやがった?」
アルベリオは肩を竦め、わざとらしく首を傾げる。
「人のせいにするのは感心しませんねえ。私は何もしていませんよ?」
嘘だ。
そんなはずがあるか。
俺のトランプも、ヴェルカの拳も、狙った場所に届かなかったじゃないか。
ただ外れたんじゃあない。
途中で"何か"に進路を書き換えられている。
その違和感に触れた瞬間、不意に彼女の姿が脳裏を過った。
――ミリス。
瓦礫も武器も人間も、重力で自在に操るあの能力が。
いや、違う。
似ているだけだ。
アルベリオの力は引き寄せるだけじゃあない。
最初から決まっていた進路を、途中で捻じ曲げている――。
「ようやく、お気付きですか」
その一言で、思考を断ち切られた。
アルベリオは静かに微笑み、人差し指をゆっくりと持ち上げる。
その顔には、勝負を終えた者だけが浮かべる余裕しか残っていなかった。
「《偏向報道》」
低く響く声が、静まり返った会場を満たす。
「あらゆるものの"方向"を偏向する能力」
その宣言を境に、空気が変わった。
壁に突き刺さった木片がひとりでに震え、黒服が落としたナイフが音もなく向きを変える。
天井のシャンデリアまでもが、不気味な軋みを上げながらゆっくり揺れ始めた。
「飛ぶものも、落ちるものも、斬るものも、撃つものも」
アルベリオは穏やかに笑う。
「この会場では、すべて私の望む方向へ進むのですよ」
ニヤリと笑みを浮かべ、アルベリオは真っ直ぐ俺たちを指さした。
次の瞬間、その合図を待っていたと言わんばかりに、逆風が巻き起こる。
いや、風なんて吹いちゃいない。
まるで風に流されるように、木片が、トランプが、ガラス片が、ナイフが。
アルベリオを狙っていた凶器たちが、俺たちに襲いかかってきた。
「皆さん、伏せてください!」
カグヤが咄嗟に俺たちの前へ滑り込み、札に自らの血を走らせる。
《硬》
紫紺の光が幾重にも重なり、半透明の障壁が展開される。
直後、耳を劈くような金属音が連続して鳴り響く。
無数の凶器たちが障壁に叩き付けられ、砕け散っていく。
けれど――
「くっ……!」
障壁に亀裂が走る。
一箇所だけじゃない。
二箇所、三箇所と亀裂が増え、蜘蛛の巣のような白線が全体に広がっていく。
「まずい、カグヤ! それ以上は――」
気付けば叫んでいた。だがそれより早く、甲高い破砕音が響いた。
――パリィィィンッ!
「おや、思ったより脆い? まあ、私にとっては好都合」
飛び散った紫光の向こうで、アルベリオが右手を客席へ向けた。
次の瞬間、老紳士が握っていた杖が、見えない糸に引かれるように飛び出した。
それを掴み、引き抜きながら肉薄する。
杖の中から覗いた細身の白刃が、スポットライトの光を跳ね返す。
「――ッ!」
速い。
俺が認識した時にはもう、アルベリオはカグヤの懐へ潜り込んでいた。
白い刃が横一文字に走る。
「カグヤ!」
反射的に、考えるより先に床を蹴っていた。
右脚に力を集中させて、価値を書き換える。
《革靴:3,800G → 神速跳躍靴:52,000G》
踏み込んだ瞬間、景色が弾けた。
身体が矢みたいに前へ飛ぶ。
狙うのは顔じゃあない。
白刃を握る、その右手だ。
「むっ」
アルベリオも咄嗟に反応した。
刀を引いて、俺の蹴りを受け止めるつもりだ。
だが、速度は俺が一枚上手だった。
俺の蹴りが白刃の柄に叩き込まれ、衝撃で白刃が僅かに軌道を逸らす。
「カグヤ! 今だッ!」
その隙を逃さず、カグヤが身を捻る。
本来なら首を刎ねていた一閃が、肩口を浅く裂くだけで通り過ぎた。
鮮血が舞う。
だが、生きている。その事実だけで十分だった。
「チッ、外しましたか」
初めて、アルベリオの口から舌打ちが漏れる。
俺はそのまま勢いを殺さず、もう一度踏み込んだ。
右脚へ、残った力を全て乗せて、
「ドラァッ!」
放つッ!
渾身の蹴りが横薙ぎに走る。
――ギィンッ!
今度は間に合った。
アルベリオは刀身を横に構え、その一撃を真正面から受け止める。
火花が散る。
次の瞬間、ミシッ、と乾いた音が響く。
細身の刀身に一本の亀裂が走り、そのまま根元から真っ二つに折れ飛んだ。
同時に、俺の靴も限界を迎える。
革が裂け、底が砕け、砂粒が風に攫われるように崩れ去った。
床に着地した俺は、右だけ裸足のまま息を整える。
アルベリオは折れた刀身を眺め、小さく肩を竦めた。
「困りましたねえ」
どこか本気で残念そうな口調だった。
「仕込み杖は携帯には便利ですが、強度がまるでオモチャ並ですね」
「オモチャごときで、私らを殺せると思っていたのか?」
「残念ながら、子供の決闘ごっこに付き合うほど暇じゃないもので」
折れた仕込み杖を無造作に放り棄てると、アルベリオは興味を失ったように薄く笑った。
その声音には余裕しかない。
まるで俺たちとの戦いが、それ以下だと言っているようだ。
……悔しい。
奥歯を噛み締めるたび、血の味が広がる。
何もできない。
能力の正体は分かった。理屈もなんとなく理解できる。
けれど、攻略の糸口が見えない。
「では、遊びはこの辺りで終わりにしましょう」
アルベリオが懐から魔道銃を抜く。
本気だ。今度こそ、殺すつもりだ。
そう覚悟したのとそれは、同時だった。
――轟ッ!
「ッ⁉」
巨大な影が、砲弾みたいな勢いでステージを横切っていく。
アルベリオは咄嗟に身を翻し、紙一重でそれを躱す。
耳を劈く轟音と共に石床が砕け、舞い上がった土埃が会場を覆い尽くす。
「な、何だ……?」
飛び込んで来たそれを見て、俺は思わず目を疑った。
果たしてそれは、女神を象った黄金像だった。
価格を見ずとも、果てしない額の商品だと一目で分かる……。
「おお、こりゃあ随分と贅沢な砲弾じゃねえか」
ヴェルカが口笛を吹く。
その向こう側で、アルベリオだけが眉をひそめていた。
「……誰です?」
その問いに答えるように、土煙の奥から一つの影が姿を現した。
ドレスに付いた汚れを払いながら、影がにっこりと微笑む。
「みんな、お待たせ」
聞き慣れた声がした瞬間、胸につかえていたものが一気にほどける。
「ミリス!」
「ミリス殿! よくぞご無事で!」
気付けば俺もカグヤも、同時にその名を叫んでいた。
ヴェルカだけは、腕を組んで口の端を吊り上げていた。
「だから言ったろ? 私の愛弟子は、そう簡単にくたばるタマじゃねえのよ」
その時初めて、アルベリオの貌から余裕が消えた。
黄金の瞳が、小槌に打たれたように小刻みに震える。
「まさか……貴女……」
震えた声が、静まりかえった会場に落ちる。
「ゼロを……倒したというのですか?」




