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土曜日:那須宮の歌声

『夜の街は危険がいっぱい(一杯!)』


 氷室は業務時間の休憩中、桔梗から教わった美月と思われる人物が歌っているであろう動画を小さな音量で流し続けていた。

 氷室はイヤホンを使えない。

  何かあった際、イヤホンを耳に嵌めれば、イヤリングの録音機能に聞こえてはいけない音声が録音されてしまうからだ。

 ずっと美月のことを気にして渋谷区夜の就労サービスが作成したと思われる宣伝車の動画をエンドレスリピートしていたなど知られたら、桔梗がまた泣いてしまう。


「働きたいなら~。スカウトからの声かけ要注意!」


 氷室が何度も何度もエンドレスリピート再生をしていたせいだろうか。

 昼食の冷凍食品を休憩室で食べていた那須宮が、動画の続きを口ずさみはじめた。

 氷室は動画を停止させるが、那須宮は動画が停止していることに気づくことなく続きを歌い続ける。


「警察が見ていなくとも、お月さまが見ているわ。困ったことがあったなら、0120-000-0101に連絡よ。電話してね。力になるわ……じゃんじゃかじゃん」


 那須宮はきっちりと歌い終わりの音までを再現して見せた。


(下手ではないな)


 電波ソングを口ずさむ那須宮は、音程の上下が激しい電波ソングを歌いこなしている。

 桔梗はプロの歌手だ。

 当然那須宮では足元にも及ばないが、素人にしてはうまい方だと思う。

 氷室が那須宮の歌声を内心評価しながら凝視していることに、気づいた彼女は、歌を聞かれたのが恥ずかしかったのか。

 カッと頬を赤らめて、もじもじ両手を動かした。


「あわわっ。これは、ちが……っ。違うんです……!」

「この動画で使われている歌には、続きがあるのか」

「い、いえ……これは、そのぅ……。私が勝手に作っただけで……っ」

「勝手に作った?」


 那須宮はあわあわと声にならない悲鳴を上げるが、氷室の問いかけには一向に答える様子がない。

 歯切れの悪い自供を、全面的に信じていいのだろうか。

 氷室は何か裏があるのではないかと、那須宮へ問いただす。


「歌の続きを勝手に作るほど、思い入れがある歌なのか」

「あ、あわわわ。若者の中では流行りの歌でして……っ」

「今まで那須宮が歌っている姿など、俺は見たことなどない。思い入れのある歌なら、俺が動画を流す前から、無意識的に口ずさんでもおかしくないはずだ」

「む、無意識的に口ずさむほど、馴染みのある歌ではないですから……っ」

「……那須宮……」

「ひゃ、ひゃい!」


 この歌には、那須宮が素直に思い入れのある歌だと伝えられない何かがある。

 そう確信した氷室は、那須宮を可哀想なものを見る目で見つめた。


「この歌を歌っている歌手の名前は」

「へっ!?み……ビューティムーンさんですよね」

「……今、美月と言いかけただろ」

「きっ。きききき、聞き間違いではないですかぁ……!?」


 那須宮は自分が悪いことをしていなくても(ども)る。

 隠し事があるのか、ただ単に緊張しているのかの違いがわかりにくい。


(これは黒だな)


 那須宮と同僚として働き続けた期間は、10年近い。

 それだけ長い時間同僚として同じ職場で働いていれば、那須宮が後ろめたいことがあって(ども)っているのか、緊張しているから奇声を上げているかの違いくらい、よく理解している。


 氷室は、那須宮の態度を確認した時点で確信していた。


(美月に聞くまでもない……)


 那須宮の口を割らせるのは簡単なことだが、彼女の口からビューティムーンと名乗る人物が美月であると聞き出した所で、美月がなぜ渋谷の街でビューティムーンを名乗るようになったのかまでは聞き出せないだろう。


 東京から沖縄までのフェリーは、どんなに急いでも三日掛かる。

 早ければ今日、美月がこの診療所に顔を出すはずだ。

 那須宮から無理に情報を引き出す必要はないと考えた氷室は、彼女にある指示を出す。


「那須宮」

「わ、わたしは知りません……っ!」

「フェリーの時刻表。調べてくれないか。三日前の夕方に、東京を出る便だ」

「へ?フェリー……?」


 那須宮は不思議そうな顔をすると、スマートフォンを取り出して時刻表を調べ始めた。


(自分で調べてくださいとは、言わないんだな……)


 彼女は看護師として、医者である氷室へ尽くすことが板についている。

 同僚として働くようになって10年近く経つのだから、命令に背いたって氷室が怒ることなどないと理解しているだろうに。

 いつになったら那須宮は、人の顔色を覗うことなく生活できるのだろうか。

 那須宮の存在は、氷室にとってはとてもありがたい存在である一方で、氷室は内心彼女の将来を案じていた。


「ええと……。有明から18時に出発……。どこも経由せず那覇の港へ、15時に到着する便があるようです……」

「俺の手に負えない患者がフェリーに乗って来るかもしれない。心の準備をしておけ」

「こっ、心の準備ですか……!?」


 那須宮はとんでもない患者がきたらどうしようかと大慌てし始めた。

 とんでもない医者であることは間違いないが、氷室が天門総合病院に勤務する前パートナーとして働いていた美月が戻ってくることになると知れば、那須宮も安心するだろう。

 バタバタと急いで温めた冷凍食品を口に詰め込んだ那須宮は、休憩室を去っていった。


(そんなに慌てなくたっていいだろ)


 海の状況は、刻一刻と変化する。

 予定時刻きっかりに到着することなどほぼないだろうに。


(居残りだな……)


 美月が本当に紗雪と一緒にフェリーへ乗り込み、氷室の元へやってきたのだとしたら。

 事前にお伺いを立ててくるかどうかは、微妙な所だ。


(美月はサプライズが大好きだった。おそらく、事前の連絡はないだろう)


 氷室が沖縄の小さな診療所で働いていることは、ドキュメンタリー番組によって全国へ報道されている。


 だが、その診療所がどこにあるかまでは。近隣住民に話を聞かなければ判断のしようがなかった。


 那覇新港から車で約1時間の海沿いに位置する小さな診療所を知る人間が、都合よく港にいるはずもないだろう。

 事前に連絡がないのは構わないが、無事に診療所まで辿り着けるのだろうか……。

 受付事務には、氷室を訪ねに来た女性が現れたら診療中でもなんでもいいから最優先で氷室を呼びに来いと伝えてある。

 7年近く前に行方不明になった女と、謎の男に銃で撃たれ負傷したと思われる天門紗雪のコンビだ。

 現在ニュースでは天門紗雪と連絡が取れないと、悪魔の子がマスコミに訴えかける映像が出回っている。

 マスコミや警察に見つかることなく氷室の働く診療所までやってくるのは、至難の技だ。

 外来にやってきた患者に通報されるのを防ぐためにも、真正面から氷室を訪ねてくるとは到底思えないが──一刻も早く合流する必要がある以上あらゆる可能性を考慮するべきだった。

*注略 作中のフェリーは、数年前廃止になった航路の時刻表を参考にしています

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