渋谷区の宣伝車から聞こえる声
「氷室先生!お帰りなさ……っ。あ!ボン・ボン・パーティのケーキ……!」
取手の付いた四角い箱だけで、販売している店の名前を当てるとは……。
桔梗の観察眼が素晴らしいのか、ケーキ屋の箱が一目でわかるほど有名なのかは、氷室の知る所ではない。
ブランドロゴこそ書かれていないものの、四角い箱は店名の通りパーティをイメージしているのだろう。7色のガーランドクラッカー、ろうそくと誕生日プレート付きのホールケーキが描かれている。
何かと騒がしい絵柄であることから、ブランド名が書いてなくとも、人通りの多い都会では通行人がこの箱を持っているだけでかなりの宣伝効果が望めそうだった。
「有名なのか」
「若者の間で大人気のケーキ屋さんよ。イートインだと、なんでもない日を祝福してくれるの」
「イートインスペースはなかったぞ」
「期間限定のお店だと、テイクアウトのみかな……。イートインスペースがあったら、私にケーキ。買ってきてくれなかったでしょ」
桔梗は氷室からケーキの箱を受け取ると、テーブルの上に箱をおいてからスマートフォンを取り出し、氷室にある動画を見せてくれる。
『アンハッピーバースデイ!ボン・ボン・パーティ・バースデイ!なんでもない日、おめでとう!』
3方向から店員に囲まれた客が撮影したと思われる動画を見た氷室は、目を丸くした。
真っ先に思い浮かべるのは、チアリーダーの応援風景だろうか。
貼り付けた作り物の笑みを浮かべ、甲高い声でなんでもない日を祝う店員達の声を聞いた氷室は、動画越しでも辟易していた。
「ほらね。氷室先生、楽しくもないのにどうして笑う必要があるのかと問いかけてくるタイプだもの。受け入れ難いでしょ」
「……この声が聞こえてきたら、商品を買おうとは思わないな」
「テイクアウト専門店でよかった!」
桔梗はキッチンの流し台で手をよく洗うと、蛍光色の派手な四角い箱を開ける。
中に収納されているケーキを見ると、歓声を上げた。
「わぁ……!いちごのショートケーキだ!」
珍しいものを買って食べられないと断られるよりはマシだろうと、ポピュラーなものを買ってきたつもりだ。
桔梗はどうやら、お気に召したらしい。
勝手知ったる他人の家とばかりに、氷室の許可を得て取皿を取り出した桔梗は、自身の前に置いた皿へいちごのショートケーキを乗せる。
その後、氷室の前に置かれた皿へチョコケーキを置いて、椅子に座った。
「デザートから先に食べるのか」
「だって!ご飯食べた後だと、うまく調節が利かないもの……っ」
腹八分目に調節するのは無理だと氷室告げた桔梗は、キラキラと瞳を輝かせてフォークを握る。
「今日の夕飯はケーキだけでいい……!」
桔梗は足りるかもしれないが、一切れのケーキだけでは食べた気などしない。
氷室は夕飯を食べない気かと、桔梗に問いかけた。
「本当にいらないのか」
「せっかく食べたケーキが、夕飯の味に侵食されてしまうもの」
「……夜にお腹が空いたと言われても、俺は作らないからな」
「むぅ。腹ペコガールになど、ならないのに……」
氷室は、桔梗の言葉を信じることにした。
キッチンの下部、収納にストックしてあるカップラーメンを手に取った氷室は、桔梗へ先に食べていろと伝えてからカップラーメンを作り始める。
「私にはお昼、毎日カップラーメンを食べていると身体を壊すと言うくせに。カップラーメン、食べるの?」
「一人分作るのがめんどくさい」
「二人分だったら作ってた?」
「そうだな」
「氷室先生の手料理が食べたいと言うべきだった……」
今更後悔しても遅い。
ケーキだけで満足と、氷室へ告げたのは桔梗だ。
既にカップラーメンへお湯を入れてしまった以上、桔梗がその気になったとしても、今更2人分の料理を作ろうとは思えなかった。
「氷室先生と同じくらい、美味しい……」
氷室の作った料理と、市販品のケーキを比べるならば。
当然、ケーキの方が美味しいに決まっている。
桔梗の百面相を見つめながら、氷室は3分後に出来上がったカップラーメンを流し込んだ。
「あのね、氷室先生がお仕事の間。さーちゃんが私に送信してくれた音声を聞いてみたの」
ケーキに舌鼓を打ち、ご機嫌な様子の桔梗は、カップラーメンをずるずると啜りながら飲み込んでいる氷室を横目に、明るい表情で重い話を話題に出す。
紗雪が銃で撃たれたと思われる音声をリアルタイムで聞き、取り乱していたのだ。
明るく振る舞っているだけで、相当無理をしているのではないかと心配した氷室は、桔梗の様子を窺っている。
「無理するな」
「無理ではないよ。あのね、美月先生の声……艶があるから……氷室先生は、好きだと勘違いしたの……?」
てっきり紗雪を心配したり、犯人が誰かについて話をするとばかり考えていた氷室は面食らってしまう。
現行、好意を持っている桔梗に、美月の声が妖艶だから好きになったのかと聞かれた氷室は、どう反応していいのか分からず困惑している。
「違う?」
待てども暮せども氷室から言葉が出てこないと知った桔梗は、ダメ押しとばかりにもう一度氷室へ問いかけた。
羞恥プレイもいい所だ。
「美月の声を気にした覚えはない」
「声優さんみたいに、綺麗な声をしているのに?」
「その根拠はどこから来るんだ……」
「氷室先生、聞いたことない?夜の渋谷で、ピカピカ光る電飾のトラックが、歌を流しているの」
桔梗はスマートフォンを操作し、ある動画を表示させる。
動画のタイトルは、ビューティームーンにお任せ。
直訳すれば美しい月だ。
どこかで聞いたことのある単語に氷室は疑問を抱きながら、再生ボタンを押した桔梗と共に画面を覗き込む。
『夜の街には危険がいっぱい(一杯!)
働きたいなら(スカウトからの声かけ要注意!)
警察が見ていなくとも お月さまが見ているわ(困ったことがあったなら!0120-000-0101に連絡よ!)
しーぶやく、渋谷区、夜の街就労サービス』
トラックが夜の渋谷を走る姿を永遠と撮影し続けた動画は、歌と台詞が混じり合った強烈な電波ソングを流し続けている。
たった40秒聞いただけでも、インパクトのある歌詞と、一度聞いたら忘れない声だ。
「この声……」
桔梗はこの声が美月とよく似ていると指摘したが、指摘されてみれば確かに、切羽詰まっている時に美月が出す声と一致しているような気がする。
(渋谷区夜の街就労サービスってどこの会社だよ……)
氷室が怖いもの見たさで自身のスマートフォンを利用し、インターネットで検索を掛けた所──ある企業のホームページがヒットする。
『夜の街で働きたいなら ビューティムーンにお任せよ!』
どこかで聞いたことのあるような変身魔法少女の決め台詞と共に、長い髪の女性と思われるシルエットが画面いっぱいに映し出されていた。
「ビューティムーン……」
「美月先生の名前って、美しい月と書くでしょ。本人である可能性は高いよね。夜の街で困っている人だと偽って、問い合わせてみようと考えたことがあるの」
「やめておけ。個人情報が流出すれば面倒なことになる」
「そう思ってやめたの。機会があれば、聞いてみて」
「……機会があればな」
美月が渋谷の街をふらふらと彷徨い歩き、行き場を求める少女達に怪しい仕事を紹介しているようには見えないが──どう見ても堅気ではなさそうなホームページを眺めた氷室は、美月に話をするときすぐそのページが開けるようにブックマークすると、スマートフォンから顔を上げた。




