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金曜日:吉更が弟でよかった

『仕事終わり、桔梗抜きで話せません?』


 氷室は昼の休憩時間に、吉更からメールが届いていることに気づく。

 桔梗抜きで話がしたいと吉更から連絡があるならば、交際はできないが、桔梗に好意を抱いていると告白した件が漏れ伝わっている可能性があった。

 美月から一方的に手紙で別れを告げられたが、正式に破局をしていない今の状況で、桔梗に期待を持たせる発言をした氷室を、糾弾(きゅうだん)しようとしてもおかしくはない。

 できれば吉更と会話をしたくないが、桔梗と吉更は、天門紗雪の体験したことをリアルタイムで盗聴していた。放置しておくわけにはいかないだろう。


 氷室は仕方なく、了承の言葉を返す。


(桔梗には帰りが遅くなることを連絡しておけばいいか……)


 念のため桔梗にメールで連絡してから、吉更へ電話を掛ける。


『どうも』

「どうした」

『桔梗の様子、どうですか。色々あってから、一度もあいつ連絡してこないんで……』

「一度も?」


 氷室はてっきり、仕事中の間に吉更へ連絡をしているとばかり思っていた。

 どうやら、吉更は何の連絡も受けていないらしい。

 桔梗の性格ならば、真っ先に氷室と精神的に結ばれたと吉更に報告してもおかしくなかったのだが──どうやら、勘違いのようだ。

 予測が外れた氷室は、身構えて損したと吉更の紡ぐ言葉が聞こえてくるのを待つ。


『思いを伝えるより先に、手を出したとは言わせないですよ』

「俺をなんだと思っている」

『精神的に未熟なオッサン』

「精神的に未熟なのは桔梗だろ……」


 吉更はすぐに氷室が桔梗を「あいつ」ではなく、名前で呼んでいることに気づいた。

 桔梗を呼ぶ声音が優しいことを知った吉更は、このやりとりだけで氷室と桔梗の関係性が変化していると認識したようだ。


『桔梗とうまくやっているなら、いいですけど……』

「はっきり言え」

『氷室先生は元カノを前にしても、(ないがし)ろにすることなく桔梗を選べるのかよ』

「まだ正式には別れていないからな。美月へ思いが残っていれば、俺は美月を優先するべきだ」

『気持ちが桔梗に向いていたら?』

「揺らぐはずがない」


 面と向かって吉更が氷室と顔を合わせていたならば、まっすぐ彼の目を見つめて力強く宣言していたことだろう。

 生半可な気持ちを抱いている状態ならば、()()()()()()()()()()()と告白することすら避けるべきだ。

 氷室は我慢して、我慢し続け──結局美月との関係を終わらせる前に、桔梗がこれ以上氷室を思って泣かないようにと願い、手を伸ばしてしまった。

 氷室は桔梗の泣き顔に弱いのだ。

 そのことを知らない吉更は、感慨(かんがい)深そうな声音で言葉を紡ぐ。


『断言するとか……。氷室先生も変わったな』

「そうだな。もう、美月を目標とするのはやめたんだ」


 氷室はずっと、美月の見えなくなってしまった背中を追い続けていた。

 一心不乱に追いかけて、追い続けて。

 歩みを止めた氷室の背中に手を伸ばし続けていた桔梗の手が、氷室に触れた。

 いつ戻ってくるかすらもわからない美月の幻影を追いかけるより、桔梗のことを愛するようになれば、氷室は一人ではなくなる。

 桔梗で妥協した氷室は、美月の背中を追いかけることをやめた。


『ふーん』


 吉更は、あまりピンと来ないのだろう。

 興味なさそうな声を出している吉更に、氷室は興味本位で聞いてみたかったことを聞く。


「お前は、運命の赤い糸を信じるか」

『運命の赤い糸?信じるわけ無いだろ。両親が占いにのめり込んだせいで、桔梗は自由を奪われた。あるわけねぇよ。運命の赤い糸なんざ……』


 吉更は桔梗と似たような発言をした。

 両親が占いにハマった結果酷い目を見たから、占いや運命の赤い糸は信じない。

 ただ……吉更の言葉は、歯切れが悪かった。


(運命の赤い糸にこだわっている桔梗とは、考え方が異なるのか)


 氷室が問いかけようとすれば、吉更は明るい声で氷室に答えた。


「そうか。お前は……」

『……なんて、言うと思ったかよ。俺たちは双子だぜ。あの人に出会うまで、俺は運命の赤い糸なんざ、絶対に信じるもんかと意地を張っていたんだ』


 吉更が思い浮かべるあの人が誰であるかは、他人にあまり興味のない氷室も想像が付く。

 愛知桔梗が白雪氷室を運命の赤い糸で結ばれた伴侶であると認めるように。

 愛知吉更もまた、彼女と運命の赤い糸で結ばれていると信じているのだろう。


『あれもこれも全部運命の一言で片付けられるなら、そういうことにしといてやる』

「……そうか。流石は以心伝心の双子だ」

『伊達に天使や悪魔と、生まれた瞬間から両親に囁かれ続けて生きてきたわけじゃねぇよ』


 忌々しい過去を思い出したせいだろう。

 口調を荒らげた吉更は、吐き捨てるように呟くと、バツの悪そうな声音で氷室に問いかけた。


『俺からも質問、いいか』

「構わない」

『どうも。あの女が氷室先生の所に運ばれて来たとして。どの程度力になれそうなわけ』


 桔梗には予め説明してあるが、天門紗雪にしてやれることなどない。

 なぜ美月が天門紗雪を助けたのかを聞くために、彼女たちの到着を待っているだけだ。

 内科医である氷室は、銃弾による損傷の治療など専門外。

 傷口の治療だけを最優先に考えるならば、別の病院へ紗雪を運び込むべきなのだから。


「力になれることはない」

『あんたの元カノ、あいつの危機を予想していたみたいだった。その辺り、うまく聞きだせんの?』

「善処はする」


 美月と離れていた約7年間、美月がどこで何をしていたのかすらもわからないのだ。

 この状態で天門紗雪の危機を救った理由を聞き出せるかと聞かれても、微妙な所だろう。

 美月は隠し事などしない。

 問題は、氷室の方にある。

 桔梗に思いを寄せる氷室が、美月に対して今まで通りの態度で接せるかどうかに掛かっていた。


『うまいこと聞き出せよ。俺はあいつが死のうがどうでもいいけど、桔梗は泣くだろうから。平気なフリするのは得意だけど、意外と繊細(せんさい)なんだ。桔梗の外面を真に受けて、キツく当たったりすんなよ。爆発したら、めちゃくちゃめんどくせぇから』


 ()()()()()()()()()()を垣間見たせいで、運命の赤い糸を隔てる壁を破壊してしまったと告げれば──吉更は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をすることだろう。

 氷室は小さく頷くと、吉更との通話を終える。

 たとえ長い間離れて暮らしていたとしても、桔梗と吉更は双子なのだ。

 桔梗が「きーちゃん」と弟を呼び、頼りにする姿を見ても。

 吉更が桔梗にベタベタするような所を見た覚えのない氷室は、母親のお腹にいる頃から半身と共に暮らすのは、一体どんな気持ちなのだろうかと思いを馳せる。

 吉更が女であれば、氷室を好きになることだってあったのかもしれない。


(桔梗は桔梗、弟は弟だ)


 二人の違いと言えば、話し方や性別、運動神経くらいだろうか。

 吉更が女で、桔梗とまったく同じ感情を抱いて氷室に迫ったならば。

 面倒なことこの上ない。

 氷室は吉更が男でよかったと強く思いながら、桔梗に遅くなったお詫びとしてケーキを買ってやることにした。

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