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上目遣いの破壊力

 半年前に顔を合わせた際、焔華を怒らせた時に吉更から「許さない」と呪いの言葉を受け取っている氷室は、桔梗経由で吉更から復讐される危険性があったことを今更ながらに思い出したのだ。

 表情の曇った氷室の姿を見て、桔梗は自分が優位に立ったのだと勘違いしているのだろう。

 くすくすと口元に手をやり優雅に笑みを浮かべた彼女は、弟の名を口にした。


「ふふ。氷室先生はきーちゃんが怖いのね。焔華さんを泣かせたせいで、きーちゃんが怒っていたから」

「弟から聞いたのか」

「きーちゃん、感謝していたよ。氷室先生のアシストで、焔華さんとの距離が縮まったって」


 怪我の功名(こうみょう)だねと桔梗は笑うが、有名なことわざに合致する状況なのかは首を傾げてしまう。

 災難や過失と思っているのは氷室だけだ。

 思いがけない結果をもたらしたことにより、得をしたのは吉更だけだった。

 このことわざに当てはめるなら、怒鳴られるべきは吉更である。

 氷室が怒鳴られている以上、思いがけないよい結果を氷室が得られなければならないのだが……。


(まさかこいつ、神奈川焔華に逆ギレされたことで同棲することになったのを怪我の功名(こうみょう)だと言うんじゃないだろうな……)


 神奈川焔華に逆ギレをされなくたって、桔梗は氷室の元へと押しかけてきただろう。

 確信犯だ。

 桔梗の印象操作には負けないと、氷室は彼女を警戒した。


「焔華さんには、大好きな人がいたんだって。その人を、他の女に取られてしまったことがあったみたいで……。焔華さん、私に自分みたいな悔しい思いはしてほしくないって私の代わりに泣いてくれたの。優しいよね」


 氷室は焔華を優しいとは思わない。

 氷室とそう変わらない年齢で涙を流すなど、恥の上塗(うわぬ)りだ。


(いい大人なんだから、泣いて同情を引くようなことするなよ……)


 氷室は焔華が涙を浮かべた際うんざりとした様子を見せていたが、桔梗は氷室とは異なる観点で焔華を見ているようだった。

 氷室は苛立ちを隠すことなく、桔梗に告げる。


「お前は奪う側だろうが」

「そうね。焔華さんの立場は、美月先生かな」

「同情されるべきは美月だ。お前ではない」

「でも、焔華さんは私を奪う側だと知った上で泣いてくれたのよ。焔華さんは性格悪くて怒りん坊だと言われることが多いけれど、Imitation Queenで一番まともな感性を持っているの」


 まともな感性を持っていれば、浮気を試みようとする女とは縁を切る。

 保護者として氷室との恋を応援している時点で、まともではない。

 氷室は肩を竦めると、小さな声で呟いた。


「世も末だな」

「焔華さんは炎上アイドルとして、悪い意味で有名だった。私、よく天門総合病院の件をすっぱ抜かれることなく円満卒業できたと思うでしょ。たくさん努力したの。さーちゃんとは面と向かって顔を合わせないようにしたし……」

天門紗雪(あまかどさゆき)と、まだ交流があるのか」

「あるよ。イヤリング、交換し直したの。さーちゃんも第一線で活動しているから、交換したままだと疑われちゃう」


 天門紗雪は天門総合病院で院長を勤めていた男の娘だ。

 当然、桔梗のように芸能人として輝けるわけがない。

 臓器売買により臓器を提供された患者──通称「悪魔の子」を支援するNPO法人を立ち上げ、この世の理不尽をテレビに向かって訴えかけている。

 何かと事件の件についてコメントを求められ、テレビで取り上げられることが多いので、念の為イヤリングは交換したようだ。

 Imitation Queenのアイドルとして活動するようになった愛知桔梗の耳元には、雪の結晶と桔梗の花弁を象ったイヤリングが初ステージの時から輝いている。

 見る人が見れば、お互いの両耳に輝くアクセサリーがおそろいのものであることは簡単にわかるだろう。


「大丈夫なのか」

「今は生産終了しているけれど、昔は普通に流通していたから。問題ないよ。偶然同じ時期に買ったアクセサリーを大事にしているんだってファンから言われるだけで済んでいるの」


 ファンが桔梗に向けて「天門紗雪とおそろいのイヤリングをつけているのか」とコメントされているなら、紗雪との関係はファンに筒抜けだ。

 もっと危機感を持つべきなのだが──。

 桔梗は全く警戒心を抱く様子がなかった。あっけらかんと氷室へファンからの言葉を口にするくらいだ。

 ことの重要性を理解していないとは思えないので、何らかの打算ありきなのだろう。


(こいつの狙いはなんだ?)


 氷室に心配してほしいからわざと笑顔を浮かべているのだとしたら、大物にも程がある。

 氷室はこれ以上桔梗と会話をしても疲れるだけだと認識したのだろう。

 徐ろにリビングから立ち上がり冷蔵庫の中身を確認し始めた氷室は、夕食の準備を始めた。


「先生、お料理するの?私も手伝う!」


 氷室の様子を窺っていた桔梗は、キッチンシンクに食材を広げ始めた彼の姿を見て、キッチンまで追いかけてきた。

 ワンルームのキッチンは二人並んで調理するのがやっとなスペースしかない。


「座っていろ。邪魔だ」

「私も氷室先生とお料理したい」

「……お前、一週間ここで暮らすんだろ」

「うん」

「時間はたっぷりあると思わないか」

「……じゃあ、次は私と一緒にお料理してくれる?」


 桔梗と氷室には身長差があった。

 女性の平均身長よりもやや低い桔梗と、標準身長の氷室とでは頭一つ分は高低差がある。

 段差がない場所で桔梗は、どうしても氷室を上目遣いで見つめてしまうのだ。


『氷室先生』


 悪夢にうなされる氷室は散々夢の中で桔梗の上目遣いを見てきたが──。

 氷室の手が触れる距離にいる桔梗の上目遣いは、破壊力がとんでもなかった。


(くそ……っ)


 拳を握りしめ爪を立てていなければ、今すぐにでも桔梗に手を出してしまいそうだ。

 氷室が右手を強く握り、爪を立てていることに気づいたのだろう。


「ねぇ、氷室先生。聞いているの?」


 桔梗は両手に手を当てぷんすかと怒りをあらわにしている。

 このまま桔梗の誘惑に負けるわけには行かないと判断した氷室は、桔梗から距離を取り視線を反らして小さく頷いた。


「ああ」

「もう、氷室先生。ちゃんと目を見て言わないとだめよ」


 桔梗はくすりと妖艶に微笑み、満足したのかリビングへと戻って行く。


(俺の心臓、一つじゃ足りねえだろ……)


 氷室はドキドキと高鳴る胸を抑えながら、これは驚いただけだと必死に言い訳を心の中ではしながら料理に熱中した。

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