1週間のお試し同棲
「お前、どこのホテルを取ったんだよ」
「今日から私は、氷室先生のお部屋で暮らす」
いつまでも外で込み入った話をするわけにもいかなければ、桔梗が宿泊予定のホテルで二人きりになるべきでもないだろう。
守秘義務があるとはいえ、ホテルスタッフからの情報漏洩など、一般人では防げない。
氷室が仕方なく桔梗を自宅に連れ帰れば、衝撃的な事実が発覚した。
「仕事はどうする」
「私、例の事件が終わってからずっと、長期休暇なく働き詰めだったの。今日のPV撮影が終わったら、氷室先生のことを骨抜きにするまで、帰ってこなくていいと焔華さんから許可を貰った」
「あのな……。芸能活動を無期限休止するつもりか」
「うーん、1週間は確定でお世話になるスケジュールよ。ほら、見て。私のスケジュール帳。まっさらでしょ」
12月と1月の手帳にはカラフルな文字で彩られているが、2月のスケジュール帳には不自然なほど何も書かれていない。
何度見てもまっさらなスケジュール帳を見た氷室は、頭を抱えた。
「1DKで二人暮らしなど、できると思うな」
「私と先生が一緒に過ごす時間は、休日と平日の夜だけ。私の顔が見たくないほどストレスが溜まった日があれば、お風呂場で生活するから問題ない」
「風呂場で生活だと?できるわけがないだろう」
「洗い場にマット敷いて、じっとしていればいいでしょう。私、狭いところは慣れているから平気よ」
「あのな……。このマンションは単身者向けだ。同棲は認められていない」
「管理人さんに電話で確認を取ったら、静かにしていれば問題ないですって太鼓判を押して貰った」
流石は氷室を自分のものにするためならば手段を選ばない女だ。
(もちろん、褒めてなどいないが……)
氷室と同棲するためならば、抜かりなく逃げ道を塞いでくる。
「静かにって……同棲すると騒ぐようなことがあるのか」
「ほら。壁が薄いとよ──」
「年頃の娘が男の前で出す話題じゃないだろ。口を慎め」
「理由を聞いてきたのは氷室先生なのに……。私を怒るの?酷い」
桔梗は目を潤ませると泣き真似をした。
これからいちいち「自分は悪くない」と主張する為だけに、泣き真似をするような女と生活を共にするなど考えられない。
氷室は桔梗の首元を掴むと、自宅から叩き出そうとした。
「ま、まって!氷室先生、ごめんなさいっ。嫌がるようなことはもうしないから、一緒に暮らして」
「……荷物はどうする」
「宅急便で送ってくれるの」
「言っておくが、お前の私物を置くスペースはないぞ」
「本棚の上。ダンボール一箱分だけ私物を置くスペースがあればいいの。置いてもいい?」
一ヶ月生活する為に必要な私物がダンボール一箱分とは、本気なのだろうか。
女子はなにかと荷物が多い。
美月と旅行に行った時だって、二泊三日の旅行にスーツケースを持ってやってきた美月の姿を見ている氷室は、半信半疑な様子で桔梗を見つめている。
「本当にダンボール一箱で収まるのかよ」
「私が外に出たら、マスコミに嗅ぎつけられちゃう。洋服は洗濯して着回せばいいし、消耗品は通販で買うでしょ。子どもの頃は毎日入院着で過ごしていたのだから。着たきり雀でも問題ない」
桔梗は自慢げに「ダンボール一箱分だけでも多いくらいだ」と宣言し、堂々と引きこもり宣言をした。
どうやら氷室の部屋で24時間365日、優雅な引きこもりライフを送るつもりでいるらしい。
(こいつは引きこもることに慣れているからな……)
天門総合病院に入院する必要がないにもかかわらず、長年監禁されるようにして病室で寝泊まりを繰り返していた桔梗は、いわば引きこもりのプロだ。
氷室が心配するべきことは、桔梗が優雅な引きこもりライフを送れるかどうかではなく──。
二人きりでワンルームに期間限定とはいえ同棲し、男女の関係に進展しないようにすることだけだ。
「……浮気の提案は、お前の願望を口にしただけだからな」
氷室は桔梗を一時的に寝泊りをすることは了承する様子を見せたが、彼女との一時的な同棲を受け入れたから、彼女の思いを受け入れるわけではないと念を押した。
氷室の言葉に納得がいかない桔梗は、呆れる様子を見せる彼へ堂々と発言をする。
「氷室先生は美月先生と自然消滅しているもの。私とお付き合いすることになっても、それは浮気ではない」
「俺は美月に手紙で別れを告げられただけで、まだ交際している。自然用滅などしていない。お前と交際すれば浮気だ」
「氷室先生。それは屁理屈。大人なのだから認めてほしいな。氷室先生は美月先生に振られたの。幸せになってと書かれていたのだから……」
「俺の幸せは、お前と恋に落ちることではない」
「なら、先生の幸せってなに?」
氷室の幸せは美月と共に生きることだ。
時には命を賭けてでも助けを求める見ず知らずの人々を助け、社会に貢献することこそが氷室の生きる道だ。
桔梗を愛し、添い遂げることは氷室の幸せではない。
「美月先生と幸せになる以外の道は、氷室先生には用意されていないの?」
「……そうだ」
「美月先生と幸せになる道が絶たれていたとしても?」
「……俺は寸断された道の前に立ち尽くし続ける」
「なら、私が美月先生に繋がる寸断した道を、私と幸せになる道へ繋げれば解決ね」
桔梗は名案だと手を叩いて微笑んだ。
子どもらしい柔軟な発想には関心すらするが、氷室が簡単に美月以外の女を好きになれるわけがない。
桔梗の作戦が実を結ぶことなどありえないと、氷室は鼻で笑った。
「この一週間を使って、私は氷室先生を骨抜きにするから。覚悟してね」
「……どんなに誘惑されたとしても、俺がお前を好きになることもなければ手を出すことなどない。諦めろ」
合意なく口づけをしただけで、彼女面されるよりはマシだが──。
どんどんと桔梗のペースに流され、一週間ほど1DKの部屋で同棲することが決定してしまったのは問題だ。
(同姓ならともかく。年頃の娘が好きな男の元に押しかけてきて、同棲したいと口にするなど相当だぞ)
氷室にその気がなくたって、桔梗にその気があればいくらでも既成事実は作れるだろう。
氷室は基本、自宅には寝に帰っているだけだった。
桔梗との同棲を了承してしまった以上、生きた心地のしない一週間を過ごすことが確定しまったのだ。
心中穏やかではいられない氷室は、桔梗からの言葉を聞いてますます眉をひそめた。
「そんな悠長なことはすぐに言ってもいられなくなるよ。男の人は、欲望には抗い切れないものだと聞いたもの」
「誰情報だ」
「きーちゃん」
(弟の情報を真に受けるなよ……)
呆れた氷室は、吉更と女性の趣味が完全に一致していた場合の可能性を脳裏に描く。
(いくら双子だからって、異性に相談するようなことか?)
同性の双子ならともかく。
桔梗は氷室の気持ちを……いや、男の気持ちを知ろうとした。
もしも吉更と氷室の趣味が一致していた場合。
吉更の忠告通り、間違いが起きる可能性は数パーセント残されているが──。
大人になったばかりの吉更とは異なり、氷室は何十年と大人を経験してきている。
一時の欲望に流されるほど、精神的に未熟なつもりはなかった。
(男の欲望なんざ、生理現象だからな……)
いくら成熟した大人であろうとも、100%我慢できると言い切れるものなら生理現象とは呼べないだろう。
氷室は桔梗に吉更がしてきた余計な入れ知恵が、まともであるように祈るしかない。
(あいつは俺たちの関係性に、それほど興味を抱いている様子がなかった)
吉更は警戒心が強く、桔梗と氷室が交際するしないはどちらでも構わないと告げた。
だが、恐らく。
桔梗が傷つくようなことが起こるともなれば、話は別だろう。
無理難題をふっかけて、氷室がもっと桔梗を嫌いになるような入れ知恵をしていてもおかしくはない。
「弟に男心をリサーチしているのは深く追求しないが……いつ頃、アドバイスを貰ったんだ」
「毎日」
氷室は頭を抱えた。




