第三十二話 褐色の襲撃者
記録者の朝は早い。
旅に向けての身支度。昨夜洗濯した衣服の回収。そして朝食作りなどなど。
己のことを全て、それも何処とも知れない土地であろうとこなさねばならないからだ。やることは山のようにある。
故に記録者の朝は早い。そう。それが、普通の記録者であれば。
「こーら! いい加減に起きてよジーク! もう朝はとっくに過ぎてるよ! もうお天道様もてっぺんになるよ! ほーら! おーきーてー!!」
晴天の申し分ない日和の中、少女の絶叫が辺りに響き渡る。
「……うるさい。耳元でギャーギャー騒ぐな」
一方の青年は眠たげな声を隠そうともせず、少女の声を全身で撥ね退けて眠りの体勢を保っていた。
「そんなこと言ったって、まだ身支度も済ませてないじゃん!」
「やった。昨日の夜。洗濯も、朝食の用意も、荷物の整理も、全部だ」
素っ気ない返答だった。言われるがままテント内に目を配ると、確かに彼の荷物は綺麗に整頓されていた。もしやと思って振り返ってみると、自分のテントの前には小さな包みが慎ましく置いてあった。
あれが今日の朝食だと合点がいくと、自然とアイラの口元から本能のままに雫が垂れてきた。
しかし、だからと言って簡単に引き下がるアイラではない。口元をやや大げさに拭い、再び少女は寝坊助へと挑む。
「で、でも! 王都に行くんでしょ! 今からの出発じゃあ日が暮れちゃうよ!」
「もう直ぐ魔人を送らせたウルが帰ってくる。そしたらアイツの転移魔法でひとっ飛びだ」
その話は昨日の晩にも聞いていた。
同じく転移の魔法ならサラも扱えるのだが、しかし先日の消耗が酷いらしくまだ大規模な魔法は使えないらしい。彼が保有するもう一体の精霊ノーグは、そもそもが小難しい魔法に不得手だと言っていた。
現在位置からの見立てで、アイラ達が早急に王都へ向かおうと、結局ウルの帰りを待って転移した方が早く到着するとジークは予測を立てた。
ではウルは今何処に居るのかと言うと、手際が良いというべきか、そそっかしいと言うべきか。
なんと避難所でアイラが寝ている間に既に王都へ出立していたらしく、現在は王城の騎士達に魔人とイグニスの身柄を受け渡し中とのことだ。
つまりアイラ達一行は、少々の自由時間を与えられてる状態だった。
アイラが回想に思考をやっていると、「だいたいなあ」とぶっきらぼうに呟きながら姿勢を変え、青年がこの日初めての一瞥をくれる。その氷点下の視線に、たまらずアイラの背筋は凍り付いた。
「俺はもう四日も寝てないんだ。魔人討伐の時は俺が勝手にやっていただけだが、今日の場合は違うだろ」
アイラの縮こまった双肩がビクリと震えた。
今だ現と微睡を行き来するそこの青年。自らをジークと名乗る記録者は、魔人の脅威に晒されていたアイラを救った恩人だ。大精霊を幾体も使役し、当人も破格の実力を持つ腕利きの彼なのだが、如何せんその言動が極端なのだ。
先の弁こそその象徴だ。なんとこの青年、アイラを保護していた三日間で一睡も取っていないのだと言う。当人曰くいつ敵の襲撃があっても対応出来るようにとのことだったが、それにしたって限度というものがあるだろう。
魔人を倒し終えた後も、避難所への報告や魔人の身柄の確保、そして王国へ送還する手続き等をこなしていたためまたも睡眠が取れず。
そして四日目にあたる昨日に至っては、初めての旅で浮足立つアイラに怠い絡み方をされ続け、結果的に四徹目になってしまったというわけだ。
ちなみにトドメ打ちをしたアイラは早朝頃に糸が切れたように爆睡を決めていた。ジークも同じように眠ればよかったのだが、現在の拠点はまだ魔物の生息区。休息時の護衛役は必須だった。
そういう経緯があって彼は数分前、アイラが惰眠から覚めるまでその充血した瞳をかっ開いて待っていたのだ。
そうして得た待望の睡眠時間を、たった数分で戦犯に叩き起こされたのだ。流石に温和なジークも、今回ばかりは露骨に不機嫌気味だった。
「うっ……で、でも……」
「今日は昨日捕らえたライムとかいうクソガキの処遇を聞きに城へ行く。記録者登録をするのはどうせ明日だ。だからそう焦るな」
早口で捲し立て、今度こそジークは寝袋の中に引っ込んでしまった。
自分の話に全く取り合わない姿勢と、そのなんでも見透かしたような言い回しに、アイラはガクリと肩を落とした。
しかし彼の言うことはごもっともで、実際アイラも自分の身勝手さを理解していた。だが、どうしてもそれが上手く制御出来ないでいたのだ。
彼女にとって記録者とは目標であり、夢であった。それにもう直ぐ手が届くという事実は今この時も、どうしようもない程彼女を浮き足立たせている。
「……そうだよね。慌てても仕方ないもんね」
一つ間を置き、思考を落ち着かせる。アイラは自らの両頬をピシャリと叩き、気持ちを入れ直した。
現状、アイラがここまでケガ一つなくやってこれたのはジークのお守りがあってこそだ。そのジークを無下にして駄々を捏ねていては、それこそなんのために旅に出たのかも分からない。
アイラはいそいそと自分のテントへ戻り、ウルがいつ帰ってきてもいいようにと出立する準備を始めた。このテントは以前とは違い、列記としたアイラ自身の所有物だ。こういった自分だけの野営具というのも、英雄譚に憧れる彼女の心を擽る要因の一つだったりする。何事も、形というのは大切なのだ。
「あっ、そういえば朝ごはんがあったんだよね」
一頻り荷物を詰め終えたところで、アイラはジークが寝る間際に言った言葉を思い出していた。朝ごはんとは言ったが現時刻は昼間。若干生活が乱れてきていることに危機感を覚えながら、アイラが小さな包みを手に取った、その時だった。
ドォォオオオオオオンッ!! となにやら爆発じみた炸裂音が響き渡る。大慌てで獲物を拾い上げ、テントから転がるように外へ出ると……
「ジーク!?」
青年のテントが跡形もなく爆散していた。吹き上がり、散り散りになった破片が砂煙と共に宙に舞い、その中を一つの物体が落下してくる。
ドサリと地面に叩き付けられたそれは、間違いなく先ほどジークが飲まれて行った寝袋だった。
「い、いったい何が……ッ!?」
爆発の原因を探ろうと砂塵に視線を戻した直後、立ち込める煙の中からにゅるりと褐色の腕が伸び、寝袋ごとジークを摘まみ上げた。
「おうおうマスター。こげな真っ昼間から昼寝たあいい御身分になったじゃねーか」
大仰な声で砂塵を割って、現れたのは褐色の美女。その出で立ちは非常に蠱惑的で、服というよりは肌着に近い布を帯びていた。
砂塵から抜け出たと思うと、肩でバッサリと切られた灰色の短髪を、動物のようにブンブンと振って絡み付いた砂を払っている。そして驚嘆するアイラには目もくれず、芋虫のように蠢く寝袋を宙に掲げた。
「なんじゃあマスター。そうつれんことしんで、喋る時くらい顔出しぃや」
と、言うが早いか。その女性はあろうことか掴み上げた箇所を基点にビリっと寝袋を破り捨てた。
ギュウギュウに詰まった真っ白な綿が解き放たれ、飛び散る綿の中心で本当に眠たそうなジークの顔がひょこりと生えていた。
なんとも豪快な女性の言動に、アイラは終始圧倒されていた。
「おいテメェ。毎回毎回物ぶっ壊しやがって。ほんっとうにいい加減にしろよ」
未だ隈の取れぬ瞳を細め、ジークは怒りを隠そうともせず口調を荒げる。だがその一瞥を一蹴し、褐色の女性はニッと破顔した。
「そうかっかっかしんと! 折角の快気祝いじゃ、ちゃっと一発ヤり合おうぜっ!」
非常に気さくな声音だったのだが、ジークは一切取り合わない。どころか瞳に宿す冷気を更に濃くした。
「それについては飯の献立で話が付いたはずだ」
「あのよー、あんなでっけぇ獲物をお預けされた鬱憤が、たかだか飯如きで収まるかってんだ。あ、いーやマスターの飯がマズイって意味じゃないぜ? んでも、やっぱりワシは闘うのが好きじゃ。特に、御主とヤる時が一番心が躍る!」
どうやらこの女性はジークと闘いたいようだ。
しかし改めて観察すると、この女性かなりの長身だ。ジークを摘まみ上げた段階で気付くべきであったのだろうが、身長は優に180CMを超えている。もしかしたら190CMだってあるかもしれない。
はあああぁぁぁぁ……っと。快活な笑顔を崩さない女性に、とうとうジークが根負けだと言わんばかりに盛大な溜息を吐く。
そしてどうやってか寝袋の中から外へ飛び出して、着地と共に身体をほぐし始めた。
「そこまで言うならやってやる。初めから、全力でな」
女性の灰の相貌が、まるでプレゼントを貰った子どものようにキラキラと輝いた。しかしその喜びは見当違いだと、ジークは右手を突き出して待ったをかける。
「別にお前の意を組んでやったわけじゃない。速攻で片を付けて、ウルが来るまでの間で少しでも睡眠を摂る。俺の意図はそれだけだ」
「全くマスターは素直じゃねーなあ。でもそういう優しいところ、ワシは結構好きだぜ!」
飽くまでも発言を肯定的に受け取る女性に、もうジークからは溜息すら出ない。もう言葉を返すのも面倒だと言わんばかりに、ジークはせっせと固まった身体をほぐしている。
そこで生まれた会話の隙を突いて、アイラは意を決して二人に声を掛けた。
「あのう……その人はいったい……」
「おお? 誰じゃあ御主は。もしや先客か? いやあそりゃ悪いことをした! まさかマスターがこんな人気があったとは思わなんだ!」
額に手を当てカーッと唸る女性に、アイラは大慌てで静止の声を掛ける。
このまま勘違いされたままでは本当に自分がジークと闘う羽目になりそうで、それだけはなんとしても回避しなくてはならないからだ。
現にアイラの全身は、軽く想像しただけで鳥肌が気持ち悪いくらいに立っていた。
ちなみに名を呼ばれたジークは、こちらには一切の関心を払わず準備を続けている。
「なんじゃ違うのか。ワシの早合点じゃったようだのう。ではなんじゃ、御主は観客か?」
「──ッ! はい! そう、そうです!」
反射的にアイラは女性の助け舟に乗っていた。
なにが気に入ったのか、女性はそのままその大きな手のひらをアイラに差し出した。それに倣うように、アイラも自らの右手を差し出す。
「ほう。御主もそれなりに鍛えているようだのう。だが、確かに。見どころはあるが、ワシやマスターとヤり合うにはまだまだ青い」
握った手のひらを興味深そうに見つめ、女性は端的にアイラの実力を測っていた。対するアイラも同様に。その岩のように固い手のひらから、彼女が尋常ならざる使い手であることを理解していた。
「さて、ワシのことじゃったな」
切り替えだと言うように、話題を強引に戻しながら、言葉と共に女性は手のひらからアイラの瞳へと視線を戻す。そして人懐っこい笑みを浮かべながら、相変わらずの大きな声で言葉を続けた。
「ワシはノームのノーグと言う。よろしくな、エルフの子」
「わたしはアイラ。アイラ・テンペスト……って……えっ?」
その名前を聞いて、アイラは再び硬直する。
次に間もなくして。少女から驚愕の絶叫が上がることは、彼女を知る者であれば誰もが想像出来たであろう。
たった一人。アイラの砲声を間近で受け、目を剥いて両耳を塞ぐ土妖精を除いて。




