第二十七話 ただいま
「よっ……おおおっとぉ!?」
間の抜けた声が夜闇に響く。それが静止したのは俺とウルが立つ丁度真上だ。
驚愕のあまりぎこちなくなった動作で、俺はゆっくりと頭上を見上げた。
そこにはこちらを見やる、一人の少女の姿があった。
「やっほーッ! ただいま、ジーク!」
解けた薄桃色の髪を暴風に揺らしながら、魔物群れの真ん中で少女は快活に笑っていた。
「ただいまって……お前なに言って──」
「なにって、ジークが言ったんじゃない。もう私のやることなくなったから帰っていいよ~って」
したり顔で言い放ち、少女はゆったりと加護の力を解いた。
「だからこうして帰ってきたの! ここは、私の村だから!」
両手を広げ、震えた声で、矮小な少女は蛮勇を吠える。
本当に、勝手なことを言いやがる。
サラ、ウル、シルフィードに加えてこいつと来た。
今日は自分勝手な奴が多すぎだ。
立てた計画もここまで来ると最早機能しない。
順調に進んでいた、今に至るまでの全てが、台無しだった。
「お前になにが出来る。上げ足とって浮かれる前に現状を理解しろ。敵は大精霊クラスに肥大化したイグニス、五匹の恐剣狼と変化した魔人。たった一度生き残ったからといっていい気になるんじゃない。お前はまだ、奴らと戦うには弱過ぎる」
ウルの回復魔法でバカになっていた魔力回路も修復された。
魔力の戻った今の俺ならば、もう一度ウルを子守りに出しても充分この場を凌げるだろう。
こんな阿呆に付き合う筋合いはない。
突き放して二度と関わらないのが賢明だろう。
だが──
「知ってる……分かってる……! 私じゃこの場を生き残れない。私じゃあの中の誰にも勝てない。でも……私たちなら、あいつに勝てる!」
満月の如く輝く黄金の双眸が、蠢く巨狼の奥で燃え盛る炎柱を指さす。
同時に件の膨大な魔力が、暴風を伴って膨れ上がった。
近くで受けると、改めてその異質さが分かる。
それは素人が放つにはあまりに練度が高く、それは人間が放つにはあまりに猛々しい魔力だったから。
「シルフィード、お前の仕業か」
この魔力には覚えがあった。
俺の使う『付与』とも、憑依とも違う。
理屈は分からないが、彼女らは一時的な融合状態にあるのだろう。
寄り添うように溶けあった二人の魔力が、眼前の少女から放たれていた。
「確かに私は弱い。この力だって限定的なもので、そんなに長くは使えない。だから……お願いします! 私に……私たちに力を貸してください!」
深々としたお辞儀を前に、俺はただただ呆然とするしかなかった。
分からない。
コイツの意図が分からない。
目の前の少女から戦意の類は欠片も感じない。
どころか、彼女の震えた声は今すぐにこの場を逃げ出したいと吠えている。
それがどうして今の言動に繋がるのかが、俺にはどうしても理解が出来なかった。
生き残りたいのであれば逃げればいい。
震える程に恐ろしいのなら瞳を閉ざせばいい。
それはなにも恥じることではない。
己を認め、弱さを受け入れるのは決して敗北などではないのだから。
まさか、恐怖に不信感が勝ったのだろうか?
俺が負ければ次はない。そしてアイラは、奴らと渡り合う術を手に入れている。だから、自ら戦場に飛び込んだのか?
──何処か遠くで『カチリ』という硬質な音が聞こえた気がした。
「俺は、そんなに信用できないか?」
口を衝いて零れた言葉は、ひどく弱々しいものだった。
一体こいつは何を言っているのだろうと、俺自身も思う。
散々人のことを騙しておいて、今更信用なんて出来るわけがないだろう。
そう、思っていた。
「そんなことない!」
少女は俺の瞳を一心に、その瞳で射抜いた。
どこか怒ったような面に輝く双眸は、夜空に浮かぶ満月を連想させる。
お辞儀を解いたアイラは、一心にといった面持ちで俺の手を力強く取った。
強い声だった。
迷いも憂いもない、純粋に心を照らした真っすぐな声。
その声を、俺は以前にも聞いたことがあった。
その声の持ち主は決まって傲慢で、頑固で、見栄っ張りで、泣き虫で──
「私はジークの強さを知ってるよ。私はジークの優しさもいっぱい知ってるよ。だから、だから……っ! 私はあなたにお願いをしてるの!」
──そして、一切の淀みのない瞳で俺を見るんだ。
「お願いします。私と、私たちを助けてください……私たちが生き残るために、あなたの力を貸してください……!」
少女は両手で握った俺の右手を包み、祈るように額に当てた。
大声の出しすぎで掠れ始めた声も少し濡れている。
……ああ、とことん思惑通りに行かないな。
俺は一度少女から視線を切り、敵の様子を確認した。
狼の群れと獣精霊はひっきりなしに結界を引っ掻き、噛み付き、斬り付けて破ろうと試みている。
それをウルが決死の形相で防いでいた。
「あれを見ろ」
俺はアイラを促し、視線をウルへ向けたまま言葉を重ねる。
「あれが今からお前が戦う相手だ。よく見て、そして答えろ。あれと戦うのが、お前が生きるために必要なことなんだな?」
もう一度、アイラへと視線を戻す。
戻した視線の先で待つ瞳は、先と変わらぬ強い輝きを帯びていた。
「──うん」
アイラは握っていた俺の手を放し、この場に似つかわしくない朗らかな笑顔で、短く答えた。
即答……か。
「そうか。お前がそう思うなら、そうなんだろうな……」
額を右手で覆い、空を仰ぐ。
しかしそれだけでは湧き出る苛立ちを抑えきれなくて、俺は空いた左手でアイラの小さな頭をくしゃくしゃと掻きまわした。
「わっ……ちょっ……やーめーてー!」
ジタバタと動転する姿が可笑しくて、俺は気付けば小さく笑っていた。
最後に一際強く薄桃の髪を梳いて、俺は深くため息を吐き、顔を覆っていた右手を離した。
「俺は恐剣狼の群れと魔人をやる。アイラ、お前はイグニス担当だ」
「……え?」
現状の戦力を見てもそれが妥当だろう。
イグニスは確かに強大な敵だが、今はその魔力の大半を使い果たしている。
比べて狼の群れは未だ健在だ。
「アレを倒すんだろ? だったら、お前ら姉妹の力、見せてみろよ」
「うん! 任せといて……って、あれジークなんで──」
その言葉を遮るようにして、俺はウルへと大声で指示を出した。
何故ならそれを語るべきなのは今ではなく、奴らを倒したその後なのだから。
「ウル、結界を解け!」
同時に創成魔法、『武具生成』で剣を生成し、構える。
数舜遅れてアイラも背負っていた刀を抜き、低く構えた。
「オっそイ! なにをチンタラしてたノ!? 言われナクてモ、イい加減持タないわヨ!」
目を凝らしてみると、確かに幾度となく攻撃を受けた結界は今にも崩れてしまいそうだった。
結界の維持を解いたウルが俺の隣、アイラの反対側へと舞い降りる。
その表情はとても朗らかで、これから起こるなにかに期待を馳せていた。
「デも、いよいよ反撃開始っテコとヨね!」
「……そんな大したモンじゃない」
ドームの天井から崩れるようにして、結界が解かれていく。
全身に馴染ませるように魔力を高め、俺は喉の奥に焼き付いていた鬱憤を吐露した。
「こんなのは……ただの八つ当たりだよ」
行動を開始したのは言葉の後だったか途中だったか、はたまたその後だかはよく覚えていない。
己に対する怒りと、計画を完遂間近で崩壊させられた鬱憤で既に脳みそがはち切れそうだったのだ。
「まずは一体」
爆発した魔力の絶叫が、認知を超えた速度をもたらす。
その言葉を口にした時には、胴を真っ二つに切り裂かれた恐剣狼が、声を上げる間もなく絶命していた。
少し無茶をし過ぎたのだろう。
突進斬りの軸に使った右足が、ふくらはぎ半ばでへし折れている。
骨折の痛みは慣れているため些細なものだが、姿勢を維持するには違和感を拭えない。
だがその違和感が、蒸発しかけた理性を取り戻してくれる。
それを意識した時には、もう俺の右足は完治していた。
「散々コケにしやがって……よく見とけリィヴェン。これが、剣技ってやつだ」
魔力を廻す。強く、太く、巡っていく。
──上段に直剣を構え、残り四つになった巨狼を睨む。
「|朧々流剣技・閃ノ型……奥義」
魔力を磨ぐ。鋭く、武く、研ぎ澄まされていく。
──狙うはその四肢……そして脳から溢れんばかりに想像する。これから訪れる、奴らの悲劇を。
「創現閃」
そうして剣を振り下ろす。
虚空に向けて、何戟も。
この閃ノ型に措いて、剣は敵の肉を斬らない。
斬るのは、現実に投影出来る程に研ぎ澄まされた想像の敵だ。
故に閃ノ型に措いて間合いは存在しない。
ただひたすらに創造するのだ。
奴らの四肢を断ち、痛みにのたうつ無様な醜態を。
「久々に使ってみたが、やっぱり呆気ないもんだな」
朧々流には様々な型があるのだが、この閃ノ型はその中でも異彩を放つ技だった。
考案者はこの技について、『わざわざ敵に近づいて斬るのって怠いだろ? だから、近付かなくても敵を斬れる技を考えたのだ』と眠た気に語っていた。
閃きを現に映し、閃きの間に敵の一切を斬り殺す。
それが閃ノ型のモットーだった。
四肢の支えを失い、崩れ落ちる巨狼の群れを眺める。
鮮血の柱が幾つも噴き上がり、辺りに血の雨を降らす。
現状を理解出来ないまま、突如として訪れた激痛によりその内半数が絶命していた。
残り二体は……どうやらまだ意識を保っているようだ。
この技は、言うなれば未来の先取りのようなものだ。
確実に敵を斬り殺せるだけの実力差が明確にあって、頭の内にハッキリとその情景を投影できなければ、技は起動しない。
相手の戦力を完全に把握し、抜け出た魔力が戻って体調が回復している今の俺でなければ、ただ虚空に剣を幾閃も振り下ろしただけとなっていた筈だ。
「グォォオオ──」
耳障りな悲鳴を上げ、苦しみ踠く巨狼のうち一体の脳天に直剣を投げ、その息の根を止める。
そうして残った最後の一体。
変化が解け、人間の姿に戻った魔人へと歩み寄った。
「よう肉達磨。気分はどうだ?」
「──ァ……」
今にも消え入りそうなか細い声だった。
なんと言ったか聞き返そうかと思ったが、特別返答を求めて疑問を投げたわけでもない。
俺は更に魔人の枕元へと行き、その虚ろな瞳を覗き込んだ。
「殺して欲しいって顔だが……断る。お前に死なれると俺が困るんだ」
肩越しにウルを呼び付け、魔人に癒しの術を掛けさせる。
勿論手足を再生させるようなことはしない。
この処置はあくまで出血死を防ぐためのものだ。
「後でたっぷりと話し合おう。その中身がお前にとって有意義になるかどうかは……そうだな。お前の誠意次第だ」
魔人がなにかを喋った気がしたが、またもその言葉は俺の耳には届かなかった。
『ラァァァイィィイイイイムゥゥァァアアアアアアア──ッ!』
悲鳴のような吼え声が轟く。
見れば怒りに震えたイグニスが、一心腐乱に駆けていた。
目指す先は勿論、主を沈めたこの俺だ。
しかし、今のは名前か?
"ライム"というのがこの少年の本当の名前、ということだろうか。後で拷問をかける時に聞いてみるとしよう。
迫り来るイグニスは、まるで最愛の者を奪われた伴侶のようだ。
燃える双眸はまるで仇を見るように揺れ、ピンと立っていた耳も情けなく垂れている。
「あー、お怒りのところ悪いんだが」
今まで見せた攻撃のどれよりも素早く、鋭い炎爪が眼前に迫る。
だがそれが直撃するより疾く、その一撃は放たれた。
『ギャ──』
間抜けな悲鳴を上げて、イグニスの巨大な体躯が揺らぐ。
巨体の胴を撃ち抜いたのは風の弾丸、その導線を目だけで追う。
人差し指を地と水平に掲げたままの姿勢で、アイラは吠えた。
「お前の相手はその人じゃない──私たちだ……ッ!!」
♢
刀を構えながら、アイラは己の内を駆け回る膨大な加護の力と格闘していた。
イーレに与えられたこの力の由来は、村人全員の加護を集めたものだ。
つまり何十という人数に均等に与えられていた加護が、一個人に集中するわけだ。
それによって掛かる不可は相当なものとなる。
故にイーレはアイラに一つ制約を与えた。
その内容はこの力を使うのは五分きっかり、それ以上は強制的に加護の力を剥奪するというものだった。
故にアイラに許される戦法は速攻のみ。
瞬発力の乱打で敵を圧倒しなくては、アイラの勝ち筋は酷く薄いものになってしまう。
勝ちを得る状況とはつまり、アイラが初撃で決着を付けることを前提としていた。
「最初から全力で行くよ! イーレ!」
『おう! 衰えているとはいえ、吾輩は大精霊だ。安心して身を委ねるがよい!』
それでもアイラは剣を取る。かつて自分が生きたいと願った、その大望を叶えるために。
左手で握っていた刀を両手で握り直し、力を込めてしっかりと握り締める。
ふっと深く息を吐き、加護の力を解き放って、自身の周りに風の結界を形成した。
それが開戦の合図だった。
『ガ──ァァアアアッ!!』
標的をジークからアイラへと移したイグニスが、巨腕の炎爪を以ってアイラの矮小な体躯に迫る。
イグニスとの距離はそう遠くはない。
魔人が痛みを堪えて小さく呻く。
ジークが傍観を決め足を組む。
そして、アイラが刀を上段に構えるその一瞬の間に──両者の得物は交わった。
「ぐぅううう……こんなもの──!」
刀が纏う風の奔流がイグニスの放つ劫火を割って、己を喰らわんとする鋭爪を真正面から受け止めた。
イグニスはその巨大な見た目に反して体重はそれ程ない個体が多い。
何故なら彼ら精霊は魔力の粒子の集合体であり、決して肉体を持った生物などではないからだ。
拮抗していた力のぶつかり合いは、噴き上がる瓢風と共に、崩れていく。
「あんたは、私の大事なものを全部壊した。それでもまだ、あんたが壊すっていうんなら」
巻き上がる旋風は黄緑色を伴って、アイラの感情に呼応するように天高く伸びていく。
精霊の加護とは村人の魂の具現。
この風は、村民全ての加護を束ねた結束の風だ。
この緑の輝きは、皆がアイラを守らんと思う慈しみの煌めきだ。
一人の少女の元に、村民全ての思い力が集っているのだ。
「私が……私たち家族が……っ! あんたを止めてやる!!」
故に、この風が止むことはない。
大きく一歩、震える細足で。
前へ──前へ。
徐々に勢力を増す風は削り取るようにイグニスの炎を散らし、その巨体は肥大したその巨躯を萎ませ始めた。
燃え盛る炎爪はジリジリとアイラの細腕に押し返され、アイラが一歩、また一歩とイグニスに向けて前進を開始した。
本能的に危機を悟ったイグニスは慌てて後退を試みる……が、黄緑の風がその退路を閉ざした。
「私にはあんたに勝てる強大な力はないし、あんたと渡り合える技量だってない。だから、この一撃を──」
──確実に当てる。
風で結界を施したとはいえ、イグニスの纏う炎を全て遮断できるわけではない。
アイラの身体は至る箇所が黒く煤け、最もイグニスに切迫している両手は皮が爛れ、赤く腫れる肉を剥き出していた。
纏う衣服もその端々から燃え上がり、アイラの消耗を加速させていく。
痛みと恐怖で今にも取り落としそうな刀の柄を、アイラは奥歯を砕かんばかりに噛み締めて、握り直す。
全身を駆け巡る激痛の中、煌々と輝く相貌だけが、冷静に業火の縮小を観察していた。
気を失いそうな痛みを受け、尚もアイラの戦意は萎えていない。
今のアイラの思考には、そんな逃げ腰の感情が介入する余地はなかった。
砕けそうな四肢を突き動かしているのは、彼女が秘める英雄たちへの憧憬だ。
幼い頃から彼らに憧れ、模倣をし、そこに至らんと励んできた。
伝説と謳われる大英雄、"ローラン・ヴァン・デュランダル"。
彼女のように生きたいと、そう願って鍛錬に臨んでいた。
憧憬の景色が、陽炎に揺れる。
その熱が今、物語の英雄の勇士を想起させ。
懸命に命を守ろうとした剣聖の虚像を映し。
そして、決して折れぬ強者の背中を見て。
アイラの内で今再び──吹き消えぬ灯火と成って燃え上がった。
『キュア……アアアァァッ!!』
巨体を削り、炎を削り、霊力を削り。
最初の半分にまでその身を萎ませた。
これだけ削ったのならば、これからアイラが放つ一撃は間違いなく致命傷となるだろう。
つまりは、頃合いだということだ。
──新緑の瞳が映す刀身の向こうに、純白の鎧を纏う騎士が陽炎のように揺れていた。
「私も……あの人たちみたいに──ッ!!」
未だ押し潰さんとする巨大な爪を、アイラは刀身に滑らして後方へ流し、その懐へと潜り込んだ。
『キュア──!?』
その間抜けな悲鳴よりも疾く、アイラの刀はイグニスの腹へと深々と突き刺さっていた。
「ハアァ──ァアアアアッ……!!」
砲声。
刀身を舐めるように加護の風は疾駆し、収縮したイグニスはまるで風船のように膨れ上がった。
『──────ッ!!』
悲鳴など上げる暇もない。
その事実をイグニスが認識したころには、アイラの放った暴風は外側から、そして刀を通して大量に送り込んだ風の刃が、内側からもイグニスを斬り裂いていた。
その次の瞬間──
──ドンッ!! っと。天へと突き抜ける剣戟の残滓が駆け昇っていった。
張り裂けた猛炎の精霊は爆弾へと変貌し、アイラ諸共村一体は膨張する炎の渦に掻き消えた。




