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デュランダル・レコード ~ある記録者の言行録~  作者: 鬼灯 守人/ホオズキ カミト
第一章 動き出した英雄譚
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第二十六話 恐剣狼の魔人

 これは……なにが起こったんだ?


 炎が消えるまで予兆すら無かった。

 溢れるような魔力の供給も、今は完全に止まっている。

 異常事態を正確に把握するため一度イグニスの上から飛び降り、理解の及ばないまま、俺は反射的にサラへ問いかけた。


「サラ……おいサラ! これは一体──」

『──すまぬ……あやつの……あやつの魔力が……』


 その声に先までの力はない。

 もしや、吸収した魔力の中になにか仕込まれたのか?

 俺への害が無かったためその線は消していたのだが、精霊にだけ効く毒のようなものを混ぜられていたのかもしれない。

 大慌てでサラの容態を確認しようとしたその直後、俺の全身を凍り付かせる言葉が、サラの口から発せられた。


『あやつの魔力が……信じられんくらいクソ不味くて……』


 ……は?


『もうダメ……吐きそう……ウエッ』

「は、吐くって……えっ!? ()()でか!?」


 余りの衝撃発言にただ狼狽し、悲鳴のような情けない抗議の声を上げる。

 現在サラは俺に『付与(エンチャット)』された状態、つまり俺の体内に居る。


 そんなところでモノを吐いたら、俺の身体がどうなるのか知れたものではない。

 最悪の事態だけでも避けようと、再び大声を荒げた。


「クソッ……おいサラ! 吐くなら責めて実体化し──」

『主よ……どうか……どうか我を……ぶたないで……ウップ』

「やめ……やめろサラッ!!」


 ──オエエエエエェェェェ……ッ!!


 身体の奥底から、未だかつて感じたことのない熱と違和感が押し寄せる。

 嘔吐特有の灼熱感とは違う、魔力が逆流するような異常な嫌悪感が全身を瞬く間に駆け抜けた。

 血管を這うようにして暴れ回る魔力の奔流を、痛みを堪えながらどうにか外へと逃がす。

 逃がすことには成功したが、全身に熱が籠るような感覚と共に、強い脱力感が俺の四肢に残っている。


「ぐっ……ううっ……畜生……本当にゲロりやがったな……」


 辛うじて迫り来る痛みを堪え、俺は身体に異変がないか素早く探った。

 幸いにも身体の健康状態に異常は見られない。だがサラが容赦なく吐き戻したおかげで、魔力回路がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられてしまった。

 加えてサラが吐き出した魔力を逃がす際に、俺自身の魔力まで吐き出されてしまったようだ。

 身体のあちらこちらから高濃度の魔力が零れているのを目視する。

 先の脱力感の正体は、魔力の消失によるもので間違いない。


 この状態では『付与(エンチャット)』も使えないどころか、魔法だって碌に扱うことが出来ないだろう。


「ああ~スッキリした!」


 俺の様子などお構いなしに、隣に実体化したサラは大きく伸びを始めた。

 その快活とした表情は、あれだ。

 飲み過ぎた中年が胃の中身を全て吐き出した時のそれと同じだ。


 恨めし気に睨む俺に視線に気付くことなく、サラは明るい声音で言葉を続ける。


「全く主には敵わんわ! クソ不味い魔力を次から次へと食わせられるから一時はどうしたものかと──ギャッ!?」


 お願いはされたが、俺はそれに対して一言も同意をしていない。

 取り敢えず一発ぶん殴り、腑抜けた四肢を奮わせた。


「これだけで済んだことを有難く思え大馬鹿精霊。流石に、この状況はマズいぞ……」


 痛みに唸るサラから目を切り、視線で指すのは前方。

 魔人が横たわっていた場所だ。


「薄々感じてはいたが……あの精霊、狂化なんてしてないぞ。しっかり理性を保ってやがる」


 俺達が問答しているその束の間に、イグニスは宿主の回復を図っていた。

 狂化された精霊が、眼前の敵より主人の安否を優先するとは到底考えられない。

 しかしサラの検分が間違っているとも考え難い。

 サラはこんなだが、腐っても大精霊のサラマンドラである。


 であれば、考えられるのは一つだけ。


「されてないんじゃくて、狂化を受けて尚自我を保っているのか……」


 正直に言って、俺はあの精霊を侮っていた。

 自我のない精霊など、ただの動く巨大な的だと思っていた。


 それが狂化を受けてまだ自我が健在だって?

 そんなのはただの過剰強化(オーバーブースト)だ。

 流石に先の猛攻を受けて健全、とはいかないだろうが、胸の大穴が塞がっているのを見ると未だ戦闘は可能なのだろう。


 加えて……


「理由は分からねェが、いい様だな記録者」


 しっかりとした足取りで、魔人(リィヴェン)がイグニスの足元から現れた。

 先程与えたダメージも全快したのだろう。


 その表情には開戦前の余裕と、一層深まった憎悪が伺えた。


「テメェは殺す。絶対に、オレが殺す」


 明らかに先とは雰囲気が違う。

 感情の昂ぶりや意志の奮励ではない。

 もっと根本的に……そう、身体の作りから変わっている。


「サラ、戦えるか?」

「ふむ……ちと厳しいのう。我の魔力ももうすっからかんじゃ。折角回復しつつあったというのに、これではまたイチからやり直しであろうなぁ……」


 暢気に項垂れて見せるが、それはつまり彼女はもうこの場に於いて戦力にはならないということを示す。

 いよいよ以って状況が悪化し始めた。

 責めて俺自身が戦える身であったなら話は違ったのだが……ないモノをねだっても劣勢は好転しない。


「テメェが邪魔だ、記録者。邪魔で邪魔で……殺したくて仕方ねェんだよ。だから……だからよォ……」


 魔人の魔力が一気に膨張し始めた。

 それは全てを飲み込まんとする程の、これまでの魔人とは数段格上の魔力だった。


 いいや……魔力だけではない。

 魔人自身の身体もまた、膨れ上がる魔力に呼応してその造形を異形へと変えていく。

 変化は骨を砕き、肉を肥大させながら進む。


 時折悲鳴に似た獣の声が、どす黒い肉塊から呻いていた。


「変化だと……!?」


 魔人には大きく分けて二つの種類が存在する。

 一つは肉体の一部をその魔物の性質に変質させ、己の武器として扱う種類。

 こちらは基本的に人間の形を留めており、肉体もそう大きくは変化しない。


 そしてもう一種が、変化系だ。

 こちらは力を解き放つことによって、宿す魔物その物に変化する種類の魔人だ。

 基本的に魔人はそのどちらかの種類に分類される。

 複合の魔人なんて見たことも聞いたこともない。


 ……つまりこいつが噂に聞く、研究室の新作ということか。


『アウォォォオオオオオオオオン───』


 もうそこに少年の面影はない。

 在るのは通常よりも一回り大きい、黒い恐剣狼(テラーウルフ)の姿だった。


 黒と紅蓮、巨大な対の獣が俺を睨む。

 嫌な汗が、首筋を伝った。


「マズいな、今ので他の恐剣狼が寄ってきやがった」


 魔人の遠吠えに応えるように、村の周囲に幾つもの気配が現れた。

 その数合計五匹。普段ならば軽くあしらえる数だ……だが。


「やっぱり、魔法は使えないか」


 魔力が空になった上に、魔力回路までがボロボロに焼き焦がされてしまった。

 こんな状態でよく動けるな、俺。


 しかし、野生の恐剣狼とも連携が取れるのは完全に想定外の事象だった。

 テンペスト村を埋め尽くさんばかりの巨剣狼の群れが、逃走はさせんと言わんばかりに俺とサラの周囲を取り囲む。


 そんなことしなくたって、今の俺にはあの二体を掻い潜ることだって難しいというのに……全く周到なこった。

 敵が臨戦態勢に入ったのを見るや、サラは即座に霊体化し俺の中へと戻っていった。

 サラは魔法の扱いには長けるが、肉弾戦はそこらの子どもと大差ない実力だ。

 言葉にこそしなかったが、正直サラを庇いながら戦うのは今の俺には厳しいを通り越して到底解決不可能な無理難題だった。


 意地っ張りのサラが自ら退却を選んだことに心の隅で安堵しつつ、取り囲む巨影を流し目で見やる。


 魔物の群れは未だ襲う様子を見せない。

 俺がまだ奥の手を隠し持っていないかを危惧して攻めあぐねているのだろうか?

 なんにせよ、時間を与えられたのならそれは好機だ。


 ウルが戻るまでの時間を稼ぐ。現在の俺に出来ることと言ったらその程度のことだった。

 魔力が全く扱えない以上、身体能力を強化することだって儘ならないのだ。


 生身で立ち向かったところで勝機は限りなく薄い。


「あれから大分時間が経ったが、ウルは一体何処でなにをしてるんだ?」

『さあのう。あの阿呆のことじゃし、まさか道にでも迷ったのではあるまいな……ムッ!?』


 群れの中の一体がとうとう痺れを切らして地を蹴った。

 そのまま繰り出される剣と足を駆使した猛攻を掻い潜る中、俺は次の手を考えるべく思考を巡らせた。

 敵の身体が巨大であるが故に、回避することはそれほど難しくない。


 だがこのまま避けてばかり居たら、相手にこちらにもう手がないことを悟られてしまう。

 しかし生身の肉体で攻撃を仕掛けようものなら、殴った拳は砕け、蹴り抜いた足は千切れ、振り抜いた剣は触れた途端に砕け散るだろう。


 俺は基本的に魔力で精製した武器を扱うため、今の俺は素手(ステゴロ)だ。

 全く、こんなことなら実剣の一本でも持ってくるべきだった。

 魔法を付与するために唯一持ってきた投擲用の短刀も、先の段階で全て使ってしまっている。


 まさか機能性を重視したその結果がこのような形で仇になるとは。


『キュァァアアアアアア──!!』


 魔物の壁の向こうで、イグニスの一際鋭い咆哮が轟く。

 明確な殺意を感じ、咄嗟にその場を飛び退いた。

 直後炎渦が巻き起こり、俺が先程まで立っていた場所は黒く焼けただれていた。

 反応が少しでも遅れていれば、俺もあのように黒焦げになっていただろう。


『ワウオォォォオオオオオン───ッ!!』


 再び、魔人が夜空に向けて吠えた。

 それを引き金に、周囲を取り囲んでいた巨剣狼達が一斉に行動を開始した。


 そしてそれは、こちらにもう打つ手がないことが相手に知れてしまったことを意味している。


 所詮は連携の取れていない即席の軍隊だが、如何せん個々の力が強大すぎる。

 誘導し巨体同士をぶつけてみても、粉砕覚悟で片足をへし折ってみても、生命力にあふれる恐剣狼には一向に致命傷とはならない。

 唯一柔らかい腹を突く、内臓を直接叩く攻撃だけは通用したが、しかし奴らの再生力の方が上だ。


 迫り来る無数の巨腕と大剣、それに加えて時折巻き起こる火渦。

 それらは時折身体を掠めながら視界を揺らし、じわりじわりと俺の体力を奪っていった。

 恐剣狼はそれ単体ではBにランク付けされる魔物だが、ひとたび群れればそのランクはSにまで跳ね上がる。


 彼らはそれぞれ自意識を確立し、連携を行うことが出来るからだ。


『コロ……ス……コロスコロスコロスコロスコロス──』


 まるで機械が発しているかのような呪詛だ。

 そこにはもう少年の面影はなく、ただ己の殺意を満たすための獣が獰猛に笑っていた。


「ダメだ、もう持たない……! サラ、念のため『魔言(ストラ)』の準備をしておいてくれ」


 魔言。

 それは文字通り言葉に魔力を乗せて発する、精霊に有効な強制命令権だ。

 これを使えば、契約した精霊はその意思に関わらず魔言に従わなければならない。

 サラにそれを頼んだのは、現在俺は魔力の操作が不可能で、現在サラが俺の魔力と同化しているから。

 そうすれば小規模ではあるが、魔法の行使も可能となる……筈だ。


 つまり魔言を使ってウルに帰還するよう命令すれば、ウルは瞬時にこの戦場へ降り立てるという算段だ。

 だがそうなった場合、森へ逃がしたアイラは一人になってしまう。

 ウルに多少回復はされただろうが、生命力の衰えている今の彼女にたった一人で魔物と渡り合うのは不可能だろう。

 しかし、ここで俺が死ねば魔人の脅威がアイラへ及ぶこととなる。


 この選択は慎重に選ばなければならなかった。


『キュウウウゥゥゥ──』


 もう幾度目か分からない、イグニスの声が辺りに響く。

 その気配に気を配り、火渦の発生タイミングを探ろうとして、俺は己の浅薄を呪った。


『──ァァァアアアアアアア!!』


 巨狼の群れが一斉に左右へ飛び退いた。

 そうして開けた視界の向こうから、煌々と燃え盛る業火の奔流が、一直線に飛来した。


 完全にしてやられた。

 まさか今の戦いの間で、ここまで精密な連携が取れる程まで成長するとは欠片も考えていなかった。

 冷静さを欠いていたとはいえ、今日はこの手の見落としが多すぎる。


 などと脳裏で言い訳のような思考を展開する間も、火球は俺に死を運ぶ。

 孕んだ熱量は相当なもので、まだ当たっても居ないのに俺の肌は火にあぶられたようにひりついている。

 もう魔言を唱える暇もない。

 一か八か、もう一度吸収(ドレイン)が成功すればまだ時間を稼ぐことが可能となる。

 少なくとも、ウルを呼ぶだけの時間は生み出せるだろう。


 俺は両腕を顔の前で交差させ、火球を正面から迎え撃つ。

 そしていよいよ火球が直撃するかといった、まさにその瞬間だった。


「『バリア……!』」


 俺と火球の間に一枚の壁が突如生成された。

 水の障壁は火球をすんなりと受け止め、あれだけの熱量を誇っていたにも関わらず、火球は辺りに霧散した。

 間髪入れず、俺を中心とした半円形の結界が生成される。

 水の薄膜を数多の爪が引き裂こうと躍起になっているが、結界が崩れる様子は全く見受けられない。


 あの物量をものともしないとは……全く、精霊という生き物は何処までも出鱈目に作られているのだろう。


「チョっと! ワタシが居ナイ間になに死にかけテるのよ!」


 俺の直ぐ左脇に、例によって青の霊子が舞う。

 数秒と経たずそれは人の形を取り、ウルは全身傷だらけの俺に激怒した。

 しかし怒りたいのはこちらも同じだ。


 怒りに任せて、俺はウルを怒鳴り散らした。


「お前こそ時間を掛け過ぎだ! アイラを森の外に送るだけのことに一体どんだけ時間を──」


 これからちょっとした説教でも始めようかと考え始めたその時、遠方で膨れ上がる魔力の波を完治した。

 それに弾かれたように、俺は遠方を見上げる。

 大雑把にその魔力の元を探ると、森の奥から怒涛の勢いでこちらへ邁進する一つの謎の気配があった。


 その正体を詳しく確かめるより早く、気付けば俺は今の状況も忘れてウルの胸倉を掴み上げていた。


「なんで連れてきた!! まさかお前、あいつに絆されたんじゃないだろうな!?」


「ナニナニ、嫉妬シてるの? アー怖い怖イ」


 飄々としたその返答に、何処か遠くでプツリとなにかが千切れる音がした。


「ふざけんのもいい加減にしろッ! これは遊びじゃないんだぞ! あいつを無駄死にさせたいのか!?」


 怒りに任せてウルに怒鳴り散らす。

 その間にも森からの気配はどんどんこの場に近付いていた。

 もう気配との距離は目と鼻の先だ。完全に手遅れになってしまう前に、もう一度ウルを使って安全な所へ──


「バぁ~~か! アンタこそ頭ニ血が上って感覚がオカしくなってるんじゃナイの?」


 罵声と同時に、ウルの魔法によって頭の上から冷水が降り注いだ。

 文字通り頭を冷やされた訳だが、今の俺には逆効果だ。

 冷水もお構いなしに、俺は胸倉を掴む手に更に力を込める。


「いい加減にしろよウル。あいつが、アイラがここに来てなにが出来る? 恐剣狼一匹に苦戦するような奴じゃ、この場に居たところで噛み千切られてそれでお終いだ」

「アイラにナニが出来る……ネェ。やっぱリ、もウ一度頭を冷ヤシた方がイイのかしら?」

「お道化るのもいい加減にしろよ。それじゃまるでアイラにこいつらと渡り合う術が──えっ?」


 ウルに言われるがまま、もう一度接近する気配、アイラの気配を探った。


 だが、違う。

 これは、これはなんだ?


 なんだ、この膨大な魔力は。

 なんだ、この尋常ならざる速度は。


 これは一体誰だ……?

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