第二十一話 その笑顔は満月を照らす
この村でのことは、正直言ってあまり覚えていない。
憶えている光景は、助けを求めて泣きじゃくる、髪と頬を薄桃に染めた女の子と、獣の群れの中で赤に染まる新緑の髪をした少女。
覚えている感触は、守れなかった己の無力さと、無念と、虚言を吐いた自分への嫌悪感。
いい思い出がないというわけではない。だがそれらを上塗りするように、暗雲が記憶を覆っている。こんな思いは二度と御免だと思っていた。
だから今度は間違えない。今度こそは何も取りこぼさない。
そう、決意したんだ。
だから……だから──!
「う……おおおおっ!!」
『キュゥゥウウウウウウアアアアアアア──』
巨爪と炎剣がぶつかり、爆発に似た剣戟が幾度となく繰り返される。衝突の度に火花が散り、空気を、大地を焦がす。
「絶対にあいつを守り抜く──!」
太腿に巻いたベルトから投擲用のナイフを両手に四本ずつ抜き取る。
間髪入れずそれらにサラの炎を付与し、魔力を呼び起こして詠唱を開始する。
「『猛き灼熱を纏いし火精よ 我が怒りを体現し 其の灼熱を以て敵を喰らえ』」
迫り来る腕を搔い潜り、狐の懐へと滑るようにして潜り込む。
そして計八つのナイフを等間隔で頭から尾に駆けて投擲し、詠唱を終えた。
「『爆裂の劫火』」
魔法が起動する。
設置したナイフを起点に連鎖的に爆発が発生し、瞬く間にイグニスは『爆裂の劫火』によって、その巨体を霧散させた。
だが、即座にイグニスは再生を開始し、再び炎渦を生成する。
再生を阻もうと追撃を試みたが、その足は踏み出す前に留まった。
炎渦の向こう側から、炎の合間を縫って無数の棘が飛来する。それを魔力で生成した火剣で纏めて薙ぎ払い、俺は渦の向こう側を見据えた。
陽炎に揺れる視界の中、巻き上がる炎を切ってローブの男、リィヴェンと呼ばれた少年が突進を仕掛ける。少年は『遠見の鏡』で見た通り、剣に変形させた腕を振るい、声高々に笑い声をあげた。
「あははははははは──! どうした記録者! あんな程度の魔法じャ、オレのイグニスは消えねェぞ……っ!!」
出鱈目に右腕が振り回され、同時に左腕から件の棘が射出される。最早彼に人間の面影はなく、身体の半分以上が魔物の物へと変質してた。
俺の見立てが正しければ、コイツは恐剣狼の『魔人』だ。
棘を焼き落とし、腕剣を弾く。
即座にがら空きになった胴体に蹴りを打ち込み、吹き飛ばす。
だが、その感触が先と違い硬質だ。
恐らく奴は今、全身を恐剣狼の剣毛で覆い、鎧の代わりとしているのだろう。
俺は一度形成を立て直すべく奴らから距離を取った。
少年を吹き飛ばしたその後方に目をやれば、先ほど弾けたイグニスは完全に再生を終えて、こちらを睨んでいる。
予感はあったが、やはり致命傷には程遠いか。
「畜生。やっぱり火力不足か」
先ほどの魔法、『爆裂の劫火』は、炎のマナを膨張させて爆発を起こす、炎系統の魔法のかなり上位に位置する魔法だ。
それを連続八つ。
通常の敵なら有り余る火力な筈だったのだが、この相手にはやはり効果が薄い。
俺自身がアイラに何度も言って聞かせたように、精霊相手に定石は通用しない。例えサラが本調子だったとしても、同系統の属性の精霊を倒すのは困難を極めるだろう。
『これでも現状の全力じゃ! 主の足りない頭を使ってどうにかせんか!』
「黙ってろドチビ! じゃあ足りない俺の代わりにお前が打開策を考えたらどうなんだ!?」
『だぁれがドチビか貴様! いくら我が身を預けた主と言えど、その発言は聞き捨てならんぞ! 訂正を要求する!!』
頭の中で甲高い声がガンガン響く。
それをどうにか聞き流しながら、俺は現状を打破するべく全力で思考を回転させた。
あの精霊。イグニス・ファトゥスは狂化の影響か、元々高かった蘇生能力が更に強化されているようだ。
断続的な爆発でダメなら、恐らく一撃で跡形もなく消し飛ばさなければ奴の息の根を止めることは不可能だろう。
「だがそれには火力が……くそっ、これじゃあ堂々巡りだ」
「おいおい、一人で喋ってないでさァ……オレも混ぜてくれよォ!」
悪態を吐いた直後、炎を纏って、復帰した少年が腕剣を振りかざして現れる。
逃げてばかりいても埒が明かない。
せめてイグニスの攻撃を止めてやろうと、俺は少年の剣を正面から受け、強引に鍔迫り合いの状況へ持っていく。
主人を巻き添えにするような攻撃は、幾ら狂化されていようと不可能なのだろう。
視界の奥で攻めあぐねてるイグニスを見て、俺は唇の端を吊り上げた。
「ハハッ! 結局この程度かよ! 俺の剣技に手も足も出てねェじャねェか! お前もこの村の住人と同じように、いやそれ以上の苦痛を以て殺してやるッ!!」
残虐な声と共に、剣を押す力に更なる圧がかかる。
嗜虐的な笑みで口元を歪め、少年は嘲笑を含んだ声音で凄んだ。
だが……
「くっ……ふふふ……」
「あァ? 何がおかしいんだテメェ。イカれてんのか?」
俺はそんな彼の様子にとうとう笑いを抑えることが出来なかった。
俺は笑う、奴の愚鈍さを、浅薄さを、そして、偽善に満ちた俺自身を。
「村人が死んだ? なにを馬鹿なことを言っているんだ。そう思ってるのはお前だけだぜ?」
「何を言ってやがる……ここに居た村人はさっきの小娘を除いて全員、オレが焼き払った! その結果がこの村の惨状だ! 適当なことを言うのも大概に──」
「じゃあ、質問だ」
リィヴェンの咆哮を遮り、俺は言葉を続ける。
「何故、人が大勢死んだこの場所で……腐臭が一切しないんだ?」
「腐臭……だと?」
少年は弾かれたように顔を上げ、しきりに鼻をひく付かせた。
その慌てた様子が滑稽で、哀れで、全てが上手く進んだことへの安堵を、否が応でも俺に実感させた。
「彼らは全員生きている。ちゃんと避難させてあるんだよ」
「いい加減なことを……! 見ろ! この村の惨状をよォ!!」
少年は俺から視線を切り、自らが燃やし尽くした廃村を指さして吠えた。
全く、余りにも浅薄だ。
「ほら、よそ見してる場合じゃないだろ……っ!」
「ガッ──!?」
剣を大きく弾き、再び腹へと蹴りを見舞う。
先の攻防で凡その感覚は掴んだ。
だから今度は、気絶しそうな程痛く、しかし気絶出来ないくらいの絶妙な加減で。
『キュウァァアアアアア!!』
少年を蹴り飛ばした直後、イグニスが絶叫を上げて突進を開始する。
狂化を受けていたとしても、主を守ろうという意思は消えないということか。
「お前の相手は後でしてやる。『劫火の堅檻』」
猛進するイグニスの眼前に炎の格子が生成され、巨大な衝突音が鳴り響いた。
もちろん炎の格子はびくともせず、対して頭から激突したイグニスは昏倒する素振りを見せてる。
その隙に、俺は手早く魔法を展開した。
現れたのは燃え盛る炎の檻。先の『爆裂の劫火』とは違い、今度は詠唱はなしだ。
基本的に魔法を発動させるには詠唱は必要不可欠なのだが、ある一定の域に至るとそれを無視して魔法を行使することが出来る。それが所謂、無詠唱と呼ばれる技だ。
当然過程を省略するに辺り、幾分か魔法の威力は完全詠唱の魔法には劣る。先の魔法は攻撃であり、同属性の奴を払うために詠唱を挟んだ。だが俺の攻撃が奴に通りにくいのと同じように、当然奴の攻撃も通りにくい。
例え無詠唱でも、これは同属性のイグニスではまず突破不可能な魔法だった。
始めからこうして動きを封じていればよかったと、俺は己の浅慮を恥じた。
「グッ……ガッ……アアアァァ……」
今度こそ狙い通りだ。
魔人は全身を痙攣させて仰向けに倒れ伏している。
俺の目的はコイツの殺害ではなく、捕縛による情報収集だ。それを遂行するためにも、コイツを殺すことは出来ない。
意識を奪い、王国に持ち帰ってからゆっくりと拷問に掛けてやってもいいが、それでは俺が個人的に聞き出したいことを聞き出せなくなってしまう。
だから、拷問はこの場で行う必要があった。
「お前には聞きたいことが山ほどある。さて、なにから話してもらおうか……」
「ハッ! 誰がてめェみたいな奴に話すことがあるかよ……ガハ……ッ!?」
今度は顔面を蹴り抜いた。それによって魔人の被っていたフードが剥がれ、素顔が顕わになる。
やはりこいつはまだ幼い。見たところ年齢も未だ十二、十三といったところだろう。戦闘能力は確かに高いが、言動や駆け引きに幼さが隠しきれていない。
ずっと見ていたが、コイツの行動原理は癇癪を上げる子供のそれと相違ないのだ。魔人となり、不相応な力を得たために天狗になっているのだろう。
こういう人間はただ痛めつけるよりも、心を先に折ってしまった方がことが早く進む。
ならば予定を変更だ。
ただの賊であったならとっとと片をつけていたのだが、コイツは村を燃やした精霊使いで、加えて研究室の魔人だ。
研究室の場所、精霊と契約した経緯、狂化をどんな手段で施したのか。どれも普通に生きていて得られる知識ではない。
二百十七番のことを抜きにしても、コイツに聞き出さなければならない情報は山ほどある。
この少年は恐らくまだ立ち上がるだろう。
だから、その度に半殺しにする。
それを繰り返し、苦しんで苦しんで苦しんだ果てに、絶望を与えて戦意を削がせる。
それが確実だと教わったから。
実際に、そうした方が確実だったから。
痛めつけるだけでは意味がない。
殺してしまっては意味がない。
心を壊さねば、意味がないのだ。
「暫くそこで転がってろ」
痛みのあまり痙攣を始めた魔人を半眼で睨み、踵を返してイグニスと向き合った。
「さて、待たせたなイグニス。大事な主人なんだろ? だったら、死ぬ気で護ってみろよ」
拘束魔法を解き、狂精霊を開放する。
あの魔人の心の大部分を支えているのがこの精霊の存在だ。だからこそ、コイツだけは正面から打ち倒す必要がある。
サラの炎がどこまで通じるかは分からないが、少なくともウルが戻るまでの時間稼ぎは可能だろう。
『キュゥゥウウウウウウ──!!』
言葉が通じたのだろうか。
咆哮と共に、イグニスは先のとは比べ物にならない速度の業火を繰り出した。
大きく渦を巻いて伸びるブレスは速度だけではなく、明らかにその威力も飛躍している。
奴の全てを知らぬ故定かではないが、今までの戦闘と精霊のスペックから考えると、この攻撃はイグニスの持つ魔法の中で三本の指には入るだろう。
避けることは簡単だった。
だがそれでは意味がない。
イグニスを正面から打ち倒して初めて、この戦闘に意味が生まれるのだ。
加えて、今回の依頼主からは森への被害を出すなと指示されている。
精霊相手だぞ、いい加減にしろと怒鳴り散らしたくなる無理難題だが、そうしなければあの心配性どもがこの場に駆けつけてしまう可能性が高い。
そうなれば俺が好き勝手に出来る機会は著しく減ってしまうだろう。
それだけは、絶対に避けねばならなかった。
「だからこれは──」
──全て、俺が喰らう。
両手を迫り来る炎に向けて突き出し、俺は極大のブレスを正面から受け止めた。
♢
「私が戦うって……でもどうやって?」
遠くで繰り広げられる激闘は今も激しさを増している。ぶつかり合う劫火と猛火の熱気は、遠く離れたこの場所まで届いていた。
今はまだ森が燃えたりはしていないが、きっとそれも時間の問題だろう。それ程激しい戦いの中に、自分が割って入る姿が見えない。
いや、それだけでは足りないのだ。
あの炎に打ち勝つ力が無ければ、向かったところで現状となにも変わらないのだ。
痛い程それを理解していた。
逃げろと心が訴える。
だが、踏み出そうとも足が進まない。精霊の言葉を受けてから、アイラはその場に縫い付けられたように動けないでいた。
『勿論それには危険を伴う。最悪の場合……』
躊躇う精霊を首を縦に振って促す。しかし、言葉は続かなかった。
──アイラは自らが望む事をしておった。それを何故吾輩が止めねばならんのだ?
無意識のうちに、今朝の精霊の言葉を思い出していた。
この精霊は、なにをするにおいても私の意志を優先してきた。
提案をするにしても、先に私の意志を問うてきた筈なのだ。
その精霊が躊躇っているという事実が、焦るアイラの心を荒く撫でる。
再び喉までせり上がる黒い波を、アイラはグッと堪えて飲み込んだ。
「大丈夫。私は大丈夫だよ。もう取り乱さない。もう傷付けない。私もちゃんとあなたと向き合う。だから、あなたもちゃんと話して欲しい」
相応しい言葉を選べたとは思わない。
精霊にとってこれが喜ばしい変化なのかは分からない。
でも、変わろうと思ったんだ。
場に流されてばかりじゃダメだ。
後先考えず癇癪を上げるだけじゃダメだ。
アイラは、これまでの自分を乗り越えなければならないのだから。
『覚悟が……出来てしまったか……』
諦めたように、精霊は笑った。
次いで閃光が夜闇を照らし出す。
蛍火のように柔らかい黄緑の輝きは、やがてあの時見た少女の形を取った。
「吾輩の負けだ。吾輩はこれから其方にある試練を課す。それは命の危険を孕むものだ。具体的に言えば、其方は廃人と化すだろう。あの時のように」
瞬間眉間に激痛が走った。
反射的に手で頭を押さえかけたが、頭を振ってそれを拒んだ。
この痛みから、目を背けてはならないのだ。
精霊が小さな掌を私に向けて差し出した。
視界の端でウルを見やると、彼女はただ、優しく包むように微笑む。それは、まるでこれから起こることを、全て知っているような笑みだった。
その笑顔の意味を追求しようかと一瞬思ったが、それはこの手を握れば自ずと分かることだと堪える。
アイラは少女と瞳を合わせてしゃがみ込み、伸ばされた掌と伸ばした掌をゆっくりと重ねた。
柔和な感触に触れたその時、母の形見、常に肌身離さず身に着けていた胸の宝石が眩く煌めいた。
「魔法を起動した。もう後には戻れぬ……これから其方が見るのは過去の記憶だ。其方は吾輩を忘れていたのではない、吾輩が其方の記憶から消したのだ。すまないことをしたと……思っている」
魔法の影響か、既にアイラの意識は遠退いていた。
朧げな意識を気力で繋いで、彼女は少女の言葉を聞いていた。
故に返答は出来ない。
申し訳なさそうに萎む、小さな頭を撫でてやることも出来ない。
「与えられる力も限定的なものだ。だが、それでも行使するには思い出す必要があるのだ。記憶を取り戻した其方は、きっと酷く憤るのだろうなぁ……」
とうとう視界もぼやけ始めた。
アイラの気力など、精霊の魔法にとって障害ですらなかったのだろう。
じわり、じわりと、穏やかな暗闇がアイラの世界を彩ってゆく。
「では、健闘を祈る。大丈夫だ。今の其方ならば、きっと──」
もうその声は殆ど聞こえていなかった。
だが不思議なことに、少女が最後になにを語ったのか、アイラは理解していた。
いいや、知っていたのだ。
「──────」
口は自然と動いていた。
なにを少女に語ったのか、自分の口から発した声を、遠退く意識は一切拾わなかった。
だからちゃんと言葉として発せていたのかも怪しかったのだが……
押し寄せる暗闇に飲まれ、意識が途切れるその最後。
アイラの双眸は、交わる黄金の双眸が驚愕に見開かれたのを捉える。
その瞳に揺れる大粒の涙を見て、どうやらそれは杞憂だったらしいと安心する。
だから、笑ってやったのだ。
──失くしたあの日の面差しに。得意に笑う、幼い笑顔を映して。




