第十九話 ジークという男
すすり泣くような声が尾を引きながら、背後に感じる気配が遠ざかっていく。
申し訳ないことをしたと、思わないと言ったら嘘になる。だが俺は、これが間違っているとも思わない。
あの子にはまだ、殺し合いは早すぎる。
「ぐっ……てめェ……マジで何者だァ?」
少年が殺意を乗せた瞳で俺を睨む。
濃紫の瞳は怒りに満ちており、隙あらば俺を殺そうとする奴の意志がありありと現れていた。
そんな少年の殺意を俺は鼻で笑って一蹴する。どうせコイツは動けない状態だ。吠えるだけ滑稽だと言えよう。
もしこの少年が身動き一つでも取ればこの握った右腕はへし折れる。
たとえ骨を魔法で治癒をしたとしても後遺症が残るだろう。おま俺は、そうなるように握っている。
そして腕を折ってまで俺に攻撃をするほどには、この少年は俺に敵意を持っていなかった。
「俺はただの、C級記録者だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「ふざけやがって……!」
少年が身じろぐが、やはり暴れることはない。
今はそうすべき時でないと、コイツはちゃんと理解している。
「さて、きっとお前は不思議に思っているだろう。何故……俺がお前を殺さなかったのか、と」
俺の言葉を聞いた少年の眉がピクリと動く。
なるほど、表情にすぐ思考が出るということは、"見た"通りこいつは戦闘訓練を受けていないようだ。
その事実に失望しつつ、俺は言葉を続ける。
「お前を生かして捕らえた理由。それはお前が捕らわれていた施設について聞きたいことがあるからだ。あの白い研究所で見たことを全て話してもらうぞ。つい最近まで居たんだろう? なあ、リィヴェン」
「てめェ! 何処でそれを──ぐァァあああ!」
腕を更に締め上げ、背中に足を置く。
やはり拷問などに関する訓練は受けていないようだ。ならば、これほどやり易い相手はいない。
「今質問をしているのは俺だ。お前は俺の質問にだけ答えていろ」
コイツの記憶、能力についてはウルの透視魔法『遠見の鏡』で粗方確認済みだ。
コイツが散々な人生を歩んでいること、今握っている腕を剣に変形させることが可能なことも、鏡で確認してある。
覗く記憶はこれからコイツを痛め付ける際に必要な情報だけに留めてある。あの鏡にも使用時間が限られているのだ。
どんな魔法も、決して万能と言うわけではない。
今この少年が俺を攻撃しないのは、単に戸惑っているからだろうか。それとも殺す隙を伺っているのか。
いずれにせよ、コイツの意志が変わらないうちに情報をなるべく引き出す必要がある。
「お前に薬を打ち込んだ白衣の男の居場所を、お前は知っているか?」
少年の顔付きが変わった。
殺意から恐怖へと、歪んだ顔を変化させる。
どうやら『白衣の男』はこの少年の中で相当なトラウマになっているようだ。
「どういうことだ! あいつは、あの男は死んだはずだ! オレが……オレが殺したはずなんだ! うッ……がァァァああああ!!」
「俺の質問に答えろと言ったはずだ。何度も同じことを言わせるんじゃない」
メキメキと音を立てて、男の腕が歪む。
これ以上曲げると折れてしまう、というところで一度止める。
次が最後のチャンスだと、相手に伝えるために。
「知らない……知ってたら、今すぐ殺しに行っている……!」
不安交じりに男はそう吐き捨てる。
奴隷という境遇。使い捨てのように扱われていた様子から予想はしていたが、やはりコイツは『白衣の男』については何も知らなさそうだ。
ならばと次の質問に移る。
それは、俺が今最も知りたいことだった。
「そうか。じゃあ次の質問だ。二百十七番と呼ばれる、女の研究者を知らないか?」
男の表情が疑問の色を帯びる。
その反応で十分だった。
「お前、本当になにも知らないんだな」
そんな言葉がつい口を突いて出る。
折角ここまでのことをしたというのに、全くの無駄足だったとは。
いい加減この不毛なやり取りにも嫌気がさしてきた。さっさと捕縛して依頼を達成させることにしよう。
長引かせても、意味はない。
だから俺は、握った右腕を更に捻った。
「いっ……がぁぁぁぁぁあああああああああ──ッ!!」
バキバキと骨の砕ける音と共に、絶叫が廃村に木霊する。
その悲鳴すら耳障りに聞こえ、余りにも無様な男の姿に嫌気すら刺す。
こんな様で、よくもまあ大層な望みを抱いたものだ。
「うるさい」
反撃されても面倒だ。
痛がっているうちに眠らせてしまおうと、俺は少年を思いっきり蹴り抜く。
ズンといい音がし、蹴りは深々と少年の腹を抉った。
「ぐっ……おお……ゲェェェエエ……」
弓のように身体を丸め、男は苦しそうなうめき声を発する。
改造されているからか、元々タフなのかは分からないが、一撃では気絶させられなかったようだ。
「全く、素直に落ちろよ」
もう一度、今度はさっきよりもやや強めに。
腹を抱えた手のひらごと男を蹴抜こうとした、その時だった。
「……なんだ?」
少年の周囲を業火の渦が包み、まるで俺から守るかのように展開した。突如として現れる強い熱気に、俺は少し顔を顰める。
今の瞬間に周囲から魔法を使った気配は一切なかった。考えられる可能性は少年本人、もしくは第三者による無詠唱の魔法となるが……
ということは──
「やっぱり。お前が、この村を焼いたのか」
問いかけに返事はない。
代わりに、炎の中から男の笑い声が夜闇に響く。
狂ったように、クツクツと。
少年の笑い声は徐々に大きく、高くなっていく。
「油断したな。オレを仕留め損ねたことを後悔するといい……行け、イグニス!」
『───ァァァァァアアアアアアアアアアア!!』
精霊の獣の様な咆哮を聞き、俺は先日のサラの推測が正しかったことを察知する。
眼前に顕現せんとする精霊は、何らかの魔法によって理性を消され、狂化されていた。
村を焼いた魔物が精霊であり、かつ人間に操られての暴挙だったとするならば、初めから精霊を探しても意味がなかったのだ。
このタイミングで依頼対象が揃うのは一石二鳥の好機でもある。このままイグニス諸共捕縛して……
──って。
「おいサラ! あれの何処がサラマンドラだ!? 気配も魔力の質も全く違うんだが!?」
『ど、どこが間違っておるのだ主よ。あのような小物、我らの幼体と相違ないではないか』
「大違いだ! イグニスとサラマンドラだぞ!? 大体、お前の同族があんな獣と同じ扱いでいいのか?」
『無論だ。何故我が知りもしない奴のことなど気にかけねばならぬ』
サラマンドラとイグニスが同じ? 帰ってくる返答に頭を抱えざる負えない。
残念ながら、それらは全くの別物だ。この阿呆には後で色々と学んでもらわないといけないな。
イグニス、精霊名イグニス・ファトゥス。
炎の属性を冠する精霊の一種だ。
この精霊はある種迷信のような存在で、姿や伝わる伝承は大量の種類がある。基本的に霊魂や鬼火、狐火といった怪異現象に名称付けられたものだ。
だが、そのどれもが容姿も不統一で、伝承に書かれる場所や精霊の特徴もまちまちなのだ。借りに伝承と容姿が一致しても、その発生条件が違えば討伐方法もまた異なる。
よってイグニスは精霊でありながら、ゴースト系の魔物と魔物記録書には記述されている。
そしてイグニスは、それ故に侮ることのできない力を発揮することがある。
先述したように伝承が様々あるため、存在するイグニス自身にもその影響が出ているのだ。
例えば。
俺の精霊のように伝説とも謂われる精霊ならば、数多とある伝承にその生態や、物によっては弱点すらも明確に記されている。
だが逆に。
こういった類の伝承からは得られる情報が不鮮明な相手は、そういった記述もまるで宛にならないことが殆どなのだ。
精霊の倒し方には諸説あるが、一般に語られているのは実力行使による討伐。
そして伝承に沿った行動を取ることで弱体化させるという二種類となる。
当然後者の方が圧倒的にリスクの無い手段であり、通常用いられる討伐方であった。
だが、元となる伝承が特定されていない為弱点が不明で、かつ名が広まっている故に強力な力を持つイグニスの場合、後者の討伐方法は限りなく不可能に近い。
通常の戦士、または記録者ならば、生還する方法は一目散に逃げることだと教わる。
現状、俺には実力で討伐するだけの力はある。
しかし今は炎の精霊に有力なウルが出払っているため、俺の対精霊戦力は本調子ではないサラと、衰弱しきって眠っているノーグのみ。
だから戦うとしたら、サラを使うしかない。
……迷う暇はない、か。
やがて荒ぶり渦巻く炎が収束し、一頭の巨大な狐のような形へと姿を変える。しかしそれは只の狐ではなく、長い角が額から伸びる有角の狐だった。
アイラが見た化け物と言ったが、なるほど。確かにそう呼ぶに相応しい容姿だ。有角の狐など、やはり俺の知るどの伝承とも容姿が一致しない。
最早実力行使は止む終えないだろう。
猛々しく燃え盛る狐は、狂っているにも関わらず主を護るように立ち塞がる。
一歩でも近づけば殺す。
そんな強い意志を感じた。
「サラ、行けるか?」
精霊の格は下だといっても、狂化されているのであれば話は別だ。
本調子ではないサラでは少し厳しいかもしれない。
思考を巡らせる俺の問いかけに応えるように、俺の身体から赤い粒子が無数に散り、少女の形へと収束する。
「では聞くが、我が主よ。我があのような穢れた獣に敗北すると思うか?」
淡い燐光を放ちながら、不敵に笑い、サラはこちらに手を差し出す。
そして俺は思い出す。
ああそうだ、この少女は炎の精霊の中でも最上位の位に位置するサラマンドラの精霊なのだ。
その笑顔の、なんと心強いことだろうか。
返事の代わりに片目をつむり、俺は彼女の手を取る。
彼女が既に疲弊していることは知っている。
現状の最大戦力であるウルは、別の命令を出した為に今は居ない。
そのため今の状況ではこうするしかないのだ。
結果的にこれは消去法だが、それを申し訳ないとは思わない。
疲弊した状態でいるにも関わらず、サラは俺に力を貸してくれる。
だが俺は、感謝の言葉を言ったりはしない。
爛々と燃える瞳は疲弊の色を一切見せず、ただ獲物狙う狩人の相貌で捉える。
もし彼女にそんなことを言えば、これから燃やす標的が奴から俺に変わるだろう。
俺は燃え狂う狐を見据え、再度確認を取る。今度は、戦うための確認を。
「速攻でカタを付けるぞ。準備はいいな?」
「問われるまでもない! さあ、我らの力を不届き者どもに知らしめてやろうぞ……!」
握った手に力を籠める。
繋いだ手を通じてサラから俺へと流れる魔力を感じながら、俺は魔法を唱えた。
『付与』
握った右手から全身に回る熱を感じる。
圧倒的な魔力が血液のように循環し、俺に力を与え、やがてサラは完全に俺と同化し、その姿を月当たりの元から燃え滾る炎の内へと沈める。
五感が研ぎ澄まされ、自分の身体が羽のように軽くなったのを感じた。
『フレア・アトリビュート』
詠唱の完了と同時に、俺は全身に紅蓮の炎を纏い……あれ。
「おいサラ。なんだこのとろ火は」
『い、いやあ……なんでかのぅ。我にもちょっと理解が』
「嘘、吐いただろ」
改めて自身の身体を見る。
吹けば消えそうな程の薄い炎を帯びた五体が、そこにはあった。
本来であればサラマンドラの膨大な魔力に呼応して、纏う炎は辺りに陽炎が浮かぶ程の熱を持つはずなのだが……
『嘘など吐いておらん! 我はそんな姑息な手段は取らんわ!』
「でもお前、昨日は七割回復したって……あっ」
昨日サラが言った言葉を思い返す。コイツは確か、「ようやく七割か」と言った。
それは、それはつまり、つまり……
「ようやく残り七割になった、つまり三割回復した……ということか?」
『そうじゃ! じゃから我は嘘など吐いてはおらんぞ! 分かったか阿呆な主め!』
もし今サラが実体化していたら、間違いなく渾身の拳を彼女の頭蓋に見舞っていたことだろう。
なんともまあ回りくどく分かりづらい言い方をしてくれたものだ。だがサラの言う通り彼女は嘘は吐いていなかった。
全く理不尽な言い分だが、サラが本気で言っているから責めるに責めれない。
と、いうことはだ。俺はこのとろ火であの精霊と対峙しなければならないのか?
握り固めた右手は行く宛を見失って宙を彷徨う。敵はもう臨戦状態に入っている。コイツと戯れている間に黒焦げになるだなんてまっぴらだ。
俺は意識を切り替え、イグニスに向かい構えを取った。
「本当、上手く行かない時はとことんダメだな……」
こうなればもう、自力でこの状況を好転させるしかない。
その為の策を練らなければ。
半ばヤケになった心持ちで、俺は燃え盛る精霊と魔人に構えの姿勢を取った。




