第十七話 リィヴェン
見慣れぬ装いの男だった。
異国の服を纏い、巨大な旗と剣を携えた男が、突然我が物顔でオレたちの国へと入ってきた。
それは、嫌われ者の国王が大人を引き連れ隣国に旅立って数時間後のことだった。
「マルクマーリ公国の全国民に宣言する。この国は我々ステアフィロートの聖裁によって終焉を迎えた」
いったいあいつは何を言っているのだろう。
「しゅうえん」とはなんだ?
「愚かにも、我が国を侵略せんとしたマルクマーリ含む貴国の兵士は──全て復活なされた剣聖様の手によって処刑された」
「しょけい……?」
なんで、どうして?
国王は隣の国に食べ物を分けてもらおうって出かけて行ったのに。
どうしてみんなは「しょけい」されるの?
復活した? 剣聖?
騎士の放つ言葉は終始訳が分からなかった。
「よって、貴様らの人権は我らの手にある。従わぬ者は反逆者と見なし、即刻処刑とする。これは決定事項である」
冷たい声で男は続ける。
「従う者は我に続け。従わぬ者はここに残るといい。時期に我らの本隊が到着する。本隊への指令は残存する兵の殲滅だ。そうなれば貴様らの命はないと知れ」
オレたちに選択肢なんてなかった。
国に残った少しの女と五十余りの子供。
その全員が早急に列をなし、男の旗本に集う。
もちろんオレもその一員だ。
──なぜお父さんとお母さんを殺した。
──なぜ王様を殺した。
──なぜオレたちにこれ以上の苦痛を与える。
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ。
湧き上がる疑問を理性で抑える。これを口にしてしまえばきっとあの男はオレを殺す。
死んでしまっては──殺すことが出来ない。
隊列は進む。
全員が憎悪を抑え、怒りを抑え、ただ黙って従っている。
従うのは慣れていた。何故ならばオレたちは奴隷なのだから。
虐げられるのには慣れていた。何故なら死んだ国王も同じだったから。
──絶対に許さない。
オレたちにばかりこんな思いをさせる貴族を、国を、世界を。
オレは絶対に許さない。
必ず奴らに報復を。
野心を抱き、オレは歩く。
殺してやる。
殺し尽くしてやる。
全部、全部だ。
お父さんとお母さんを殺した奴を。
俺たちに更なる苦痛をしいる奴らを。
ステアフィロートとやらを、剣聖とやらを。
後に起こる更なる悲劇を想像しようともせず、オレは己の憎悪に身を焦がしていた。
♢
どれくらい歩いたのだろうか。
どこを歩いたのかも、よく覚えていない。
五百余りの奴隷の群れが辿り着いたのは、真っ白な施設だった。
同時に悟った。
オレたちは、これからここで暮らすのだと。
生気のない足取りで、オレと仲間たちは施設の中へと収容された。
──それから。
悲鳴が聞こえた。
よく知った声だ。
ここに来てからは毎日のように仲間が死んでいる。敗戦の国が戦勝国に虐げられるのは、よくある話だった。
ましてやオレたちは奴隷なのだ。
健全な暮らしなんて、期待するだけ無駄なのだ。
オレたちは実験動物のように、毎日一人ずつ実験室に呼ばれた。奴らがなにをしているのか、なにを作ろうとしているのかは知らない。だがその実験の内容が人道的なものとは程遠いことは、漏れてくる声を聞けば容易に想像がついた。
「ぎゃぁぁああああああああああ!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタ──」
悲鳴はプツリと消えた。
ああ、また一人、仲間が死んだ。
──それから。
とうとうオレの番が来た。
連れられた部屋も、普段のものと同じ白い部屋だった。
実験室は想像していたのと違い、とても簡素な部屋だった。家具の類は殆どなく、部屋の中央に椅子が一つだけ置いてある。
そして正面の壁に巨大なガラスが張ってあり、その向こう側で白衣の男が不気味に笑っていた。
オレは促されるまま、特に抵抗することなく椅子に座った。
ガラス越しの男が言う。
物越しの声はやけに曇っていて、少し聞き取りづらかった。
「君にこれから、ある薬品を投与する」
淡々とした口調で、更に男は説明を続ける。
「この薬品は非常に危険な代物だ。当然死の危険性を伴う。薬に適合しなかった場合、君は間違いなく死ぬことになるだろう」
そんなことは知っている。本当に、今更だ。
心底どうでもよかった。隷属され、魔法によって主に逆らえないこの身では、まともに抵抗することさえ出来ないからだ。
「適合した場合君は生き残り、強大な力を得る。この薬は投与した人間の細胞のデータを書き換え、再構築し、新たな人類とするものだ。適合した者は過去に二人。非常に狭き門だ。だが……」
オレはその説明を殆ど聞き流していた。
どうせすぐ死ぬのだ。
どうせすぐ殺されるのだ。
だが、続けて放った男の言葉が、自棄になったオレの頭を正常な思考へと誘う。
それは脳にゆっくりと浸透していくような、甘い、甘い言葉だった。
「だが君は、そんな彼らに酷似したデータを所持している。成功の確率は決して低くはないだろう。なあ、少年」
男はほくそ笑み、欲望に濁った眼を醜悪に歪めた。
「私を、殺したくはないかい?」
虚ろな意識が明瞭になっていく。ならない道理はなかった。
それはオレが、この何ヵ月も間渇望していた願いだったから。
「殺したい……オレはお前を殺したい……殺してやる……ぐちゃぐちゃに……ぐちゃぐちゃに、ぐちゃぐちゃに、ぐちゃぐちゃに──!!」
半狂乱でオレは叫ぶ。
復讐に狂った獣のように、何度も同じ言葉を喚き散らす。
「はっはっは! そうだその意気だ!薬に耐え、私を殺してみせろ!」
男は高らかに笑う。
殺してやる。
そこで待っていろ。
すぐに、全部を壊してやる。
──それから。
空気が漏れる様な音と共に、部屋中にガスが放出された。
そのガスを吸うととても苦しくて……苦しくて……苦しくて……苦しくて……自分が自分でなくなっていくような感覚に襲われる。
これが、男の言っていた作り変えるということなのだろうか。
やがて息苦しさが消え、次に気が付いた時。
オレは分厚いガラスを叩き割り、男の腹を右腕で貫いていた。
耳障りな笑い声が聞こえる。
腹から冗談のような量の血を流す男は、不気味に笑っていた。
「成功だ! ああ……なんと素晴らしい結果だろう!」
愉快そうに男は笑う。
こんな状態でよくもまあ喋れたものだ。
この男は痛みを感じないのか?
オレはこの不快な声を今すぐに止めようと、手持無沙汰な左手で手刀を形作った。するとどういうことだろう。手刀を作った左腕は形を変え、本物の剣の様な形を取ったではないか。
これが男の言う新たな人類の姿なのか?
……どうでもよかった。
この男を殺すことが出来れば、他のことなど心底どうでもよかったのだ。
「ああ、そうだ! それでいいのだ! さあ、私を殺せ! その次は貴様の国を滅ぼした剣聖を! 次はそれを有する国家を! 果ては世界を殺すのだ───!!」
両手を掲げて、男が叫ぶ。
ああ、やってやるさ。
全て、全てを壊してやる。
ぐちゃぐちゃに──ぐちゃぐちゃに──ぐちゃぐちゃに──
「さあ、全てを滅ぼせ! 復讐者よ───!」
「もう、黙れよ───ッ!!」
左腕をサッと振り抜く。綺麗に切断された首が鮮血を撒き散らし、床に転がる。狂気の笑みを浮かべたその表情は、死して尚笑い声をあげていた。
「黙れ……黙れ……黙れ……黙れ……」
左腕を何度も何度も首に突き刺す。
だが、どれだけ首を刺しても声は止まない。
だから、オレはもっと刺した。
もっと、もっと、もっと、もっとだ。
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ──」
やがて、首は跡形もなく消え失せた。
なのに、なのに笑い声は一向に止まない。
男の顔はもうないのに。
この男はもう死んだのに。
身体をぐちゃぐちゃにすれば止まるかな? いや、それよりこの建物を解体した方が早いだろうか?
だとしたらすぐに取り掛からねば。
オレは男の死体に背を向け、行動を開始する。
一刻も早くこの笑い声を止めたかった。
この笑い声から逃れたかった。
部屋から出ると、人間の声が聞こえた。
そうだ、まだオレの仲間がこの中に居る。
早く彼らを助け出さねば──
「え……?」
ドアを開け、仲間たちを見る。
──見る見るみル見ル見るミルミる見る。
「うあ……ァァあああああああああああああああああああ──!!」
その不気味さにたまらず絶叫する。
そこにあったのは大量のあの男の顔。
醜く笑う、あの男の顔。
声が聞こえる、あの耳障りな笑い声が。
「そうか、ここにまだ、こんなにヤツが居たんなら、声も止まないはずだよな」
だから殺した。
男の顔が見えなくなるまで……全部の顔を細切れにした。
何度も、何度も、何度も剣を突き刺して。
最後の一つを肉塊に変え、ようやくあの笑い声は完全に止まった。
そうして、全てを殺しつくして……俺は自分が一体なにを切り刻んでいたのかを理解した。
「──────」
やがて静寂が訪れる。
壊れかけたオレの心は、現実へと引き戻された。
「あはは……ようやく死にやがった……クソ研究者が……ははっ……はははっ……ああ……ぁぁぁぁあああああああアアアアアアアアアアアアアアアアア──!!」
転がっていたのは仲間の死体。
苦楽を共にした、家族同然の者たちの亡骸。
血の海を作り、そこにボロボロの白衣を着た胴体が幾つも浮いている。
その死体は全て、綺麗に頭だけ吹き飛んでいた。
オレは狂ったように泣いた。
哭いた。
啼いた。
鳴いた。
オレが……オレが……オレは……
何処か遠くで、獣の吼え声が聞こえた気がした。
その後の記憶はあまり定かではなかった。
覚えているのは膝を濡らす液体の温さと、噎せ返りそうな鉄の臭い。
そして、掻き抱いた仲間の死体の……凍るような冷たさだけだった。
♢
大鏡に映ったのはそれまでだった。
恐らく使用時間の限界が来たのだろう。
だが、材料としては充分な収穫があった。
今の光景は、必ず戦闘で大きな優位性となる。
少女の仕上げは完了した。
敵の情報も充分に観た。
「──さあ、行くぞ」
言葉と共に、左胸の前に右拳を当てた。
それを錠を占めるように捻る。
何処か遠くで『カチリ』という硬質な音が聞こえた気がした。




