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デュランダル・レコード ~ある記録者の言行録~  作者: 鬼灯 守人/ホオズキ カミト
第一章 動き出した英雄譚
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第十六話 リベンジマッチ

「むぅぅぅぅぅううううううりぃぃぃぃいいいいいいいいい!!」


 喉が千切れそうなほどの絶叫を上げながら、樹を縫ってただ走る。後ろの巨音を聞くと、心臓を鷲掴みにされたかのような痛みが走った。

 張り裂けそうな鼓動を必死で抑え、いつかのように疾駆する。

 手足を仕切りに振って逃走するアイラの頭上から、やれやれとため息混じりの声が飛んでくる。


『全く、先ほどの威勢はどうした?』

「いやいやだってだって! あいつの毛硬すぎて刀通らないし、大きいのに動きもめちゃくちゃ速いし! 逃げ出せたことだけでも褒めて欲しいよ!」


 恐剣狼(テラーウルフ)は全身の毛が剣のように硬質なのだ。

 剣と言っても人間が握るような大きさのものではない。針のような大きさの剣が体中に無数に生えているのだ。それらを恐剣狼は主に盾として、時に射出して飛び道具として扱う。

 加えて恐剣狼の四肢には、バスターソード級の大きさの大剣が備わっている。大剣は恐剣狼の意のままに動き、まるで触手のように蠢いている。邂逅の時に大樹を切り落としたのはこの大剣によるものだ。

 それを少女は軽々と避け、自らの獲物で弾きながら逃走を図る。不規則に蠢く二本の大剣は、偶然にも昼間の丸太を使った訓練と状況が酷似していた。

 思い付きの行き当たりばったりな訓練だったが、それが示し合わせるように活かされていた。


 しかし攻撃を避けられるだけで、今だ反撃の機会は僅かも見えない。

 あんなものを素手で、それも片手で倒せるジークが異常なのだ。立ち向かうなんてのは攻撃が通じた時の話しであって、手も足も出ない相手にする行為ではない。


『はぁ……とは言っても、どうするのだ? あやつ完全にこちらを獲物と捉えておる。幸い黒服が居るのとは方向が逆だが、このまま逃げ続けても埒が明かないぞ?』


 精霊の言うとおりだ。このまま逃げ続けた先に待つのは前回と同じ結末。

 いや、今回はジークが来てくれない。一度捕まれば、アイラは今度こそ亡骸と化すだろう。

 どこかで、どうにかして、巨狼を撒かなければならない。


「一個だけ考えがあるの」


 今の会話、この状況。まるで今日の午前中にやったジークとの訓練のようだ。


 思い出した途端に、アイラの心から不安が消えた。

 彼の存在がまるで魔法のように力を与える。心の底から、立ち向かう勇気が湧いてくるのだ。

 それほど彼と過ごしたこの時間は色濃く、アイラを根本から強くしていた。

 ジークに唯一通じた攻撃。あの感覚を思い出す。

 大丈夫、あんなデタラメな人に通じたのだ。

 それが化け物に通じない道理なんて、ある筈ない。


 アイラは必死に想起させていた恐剣狼の知識を精査する。朧げに脳裏で描いていた、かの魔物へ対する唯一の勝機。それを試みる時が、ついに来たのだ。


「精霊さん! この近くに段差になってる場所はない!? 出来ればなるべく大きなところ!!」

『な、なにをするつもりだ?』

「いいから早く!!」

『わ、分かった! ふむ、少し離れたところになるが……果たしてたどり着けるか?』


 精霊の疑問に対して、アイラは小さく被りを振って決意を叫んだ。


「出来る出来ないじゃなくて……するんだ!」


 直後、脳内になにかの映像のようなものが浮かび上がる。アイラはすぐに、それが目的の場所を指示しているのだと理解する。

 精霊とはこのようなことも出来たのかと、アイラは改めて彼らの存在の認識を改めた。この感覚の通りなら、目的の場所までこのまま直進して後二分といったところか。


 アイラはちらりと振り返り、恐剣狼との距離を測る。


「げっ」


 振り返った直後、アイラのすぐ脇に立っていた大樹が吹き飛んだ。

 距離は思ってたよりもかなり狭まっている。なにか足止めの術を考えなければまた追い付かれてしまう。

 そこでまた、彼女は午前の訓練のことを思い出した。

 そうだ、あの時ジークと話したはずだ。

 風の加護は万能の加護である、と。


(そうだ、確か──)


「こう使えるんだったよね……!?」


 爆走する恐剣狼を目視する。

 赤く燃える瞳は一心に私を捉え、低く唸る吼え声は私の身を恐怖で飲み込もうとにじり寄って来る。


「転べ──!」


 砲声。


 アイラを支配しようとする感情を吹き飛ばすように、彼女は加護を恐剣狼の足元に発動させた。

 あの時とは違い、今回の相手は巨大な図体を持っている。

 狙いをつけるのは比較的容易だった。

 加護で起こした突風は狙いと寸分違わぬ位置で巻き起こり、今にも踏み込もうとする巨脚を弾くように飛ばす。

 高速で走っている状況で、バランスを崩すとどうなるか。

 それは私が身をもって体験している。


『ギャン──!?』


 巨体に似あわぬ可愛らしい悲鳴を上げながら、樹木を薙ぎ倒す轟音と共に恐剣狼が転倒する。


(今のうちに距離を稼げる筈……)


 そう思った時だった。


「──っ!?」


 左肩に鋭い痛みが走った。

 わざわざ確かめなくても分かる。

 切られたのだ。

 転ぶ間際に、あの恐剣狼はアイラを狙って剣を放ったのだろう。


 ドクドクと熱い何かが肩から滴り落ちる。


「構ってる暇はない……っ!」


 痛みに囚われてはいけない。

 痛みに怖気づいてはいけない。

 走り続けるこの足を──止めてはいけない!


『アゥォォォォオオオオオオオオン──!!』


 遠吠えが聞こえる。

 お前は逃がさないという狼の声を聞いた気がした。

 再び背後から破壊の足音が響き出す。

 アイラの攻撃に激情する恐剣狼の走行は先の比ではなく、離したはずの距離も瞬く間に埋まっていく。


「後……ちょっとなんだ……!」



 ──後5M(メドル)。更に飛来する巨狼の剣が、再び肩を掠めた。


 些細な痛みなど気にしてなるものか。加護を全力で発動させ、アイラは更なる加速を図る。


 ──後4M(メドル)。土が柔い箇所を踏み抜き、片足を捕られる。崩れる体勢を加護で強引に立て直し、ひた駆ける。


 どうやら足を挫いたようだ。だが止まるな。されど止まるな。前を見据え、走り続けろ。


 ──後3M(メドル)。巨狼の大剣が頬を掠めた。もう恐剣狼は真後ろにまで接近している。


 流れる血には気も留めず、月明かりに照る暗がりの中、ついにアイラは目的の場所を目視した。


 ──後2M(メドル)。恐剣狼の足音が、一つ二つと鬼気迫る。


 あの時の感覚を再現するかのように、意識が、世界が、スローモーションで流れ出す。

 クリアになった思考は、半自動的に纏う風の加護を追加で起動させた。


 ──後1M(メドル)。アイラは背中に下げた刀の柄に右手を添え、血の滲む手のひらでそれを握った。


 右足がその足から軽やかさを奪っていく。だが、後は跳ぶだけだ。


「今……だぁぁぁぁぁああああああああああ──!!」


 力を蓄えていた風の加護を加速とは逆方向、ブレーキのために解放する。

 滴る汗が頬を撫でるように滑り、弧を描く跳躍の残滓をなぞる。

 宙に投げ出された身体を反転させ、左手と両足で地面を引っ掻くように掴んだ。踏ん張った靴の底は摩擦で破れ、直接地面に触れた左手も擦り傷だらけになっている。

 過度な負荷がかかったせいで、身体中に尋常でない痛みが走った。


(でも、止まった──)


 たどり着いた段差、アイラの身長と同程度の小さな崖を降りた刹那。

 狙い通りの場所で彼女の疾走は止まる。

 直後、アイラにやや遅れた恐剣狼が、その剛力を以って小崖を飛び超えた。


「はぁ──ッ!」


 間髪入れずにアイラは抜刀し、迸る刀身をそのまま上段から勢いよく振り下ろした。

 気合の声と共に振り抜かれた刀身は剣……いや、『剣毛』の少ない恐剣狼の腹部分を深々と切り裂いた。


 赤黒い血の雨を降らしながら、悲鳴を上げることもなく巨体がアイラの頭上を飛び越える。

 重量のある音が後方で響き、やがていつかのような静寂が訪れる。

 恐る恐る振り向いたアイラの視界の先、捲き立った砂塵の向こう、月明かりに照らされた巨影を見る。とめどなく血を流す恐剣狼の亡骸は、顎の下から尾にかけて刃が通っており、まるで捌かれた魚のようだ。

 恐剣狼が悲鳴を上げなかったのは、切られたその直後にはもう絶命していたからだろう。


「はぁ……はぁ……はぁ……あっ──」


 一気に緊張を解かれた私は、気付けば刀を取り落とし、地べたに座り込んでいた。

 乱れた呼吸が音のない森ではやけに大きく聞こえる。

 視線は恐剣狼の亡骸に縫い止められたかのように動かすことが出来ず、アイラはただ、己の感情の在り処を探す。


 なんだろうこの気持ちは。

 嬉しいのだろうか?

 いや、違う。

 あの化け物に勝ったことは勿論嬉しい。

 それは喜ばしいことで、彼女の本心に間違いない。


 ならば何故、アイラはこんなにも苦しいのだろう。


『アイラ、そなたは優しいのだな。吾輩には理解出来ぬ感情だが、その感情はとても美しく吾輩の目に映る』


 虚空から慈愛に満ちた声が聞こえる。

 優しいだって?

 一体、彼女はなにを言っているのだろう。


『吾輩に力があればアイラにこのような真似をさせずに済んだものを……すまなかった。辛い思いをさせてしまったな……』


 その言葉を聞き、アイラはようやく、自分が泣いていることに気が付いた。


(ああ、そうか……私は悔しかったんだ。悲しかったんだ)


 命を奪うことでしか事態を解決出来なかったことが悔しかったのだ。

 生き物を殺して喜んでしまう自分の醜さに気付いてしまったことが悲しかったのだ。


 全く自分はどうしようもない人間だ。

 どうしようもなく贅沢で、どうしようもなく傲慢だ。

 自分を殺そうとした相手に生きて欲しいと願うなんて。

 自分が殺した相手に、申し訳ないと思ってしまうだなんて。


『だがアイラよ。泣いてる暇は……どうやらないようだ』


 悲嘆に暮れるアイラを気遣う声音はそのままに、精霊は少女に再び警戒を呼び掛ける。


(え、どういうこと?)


 そう聞こうとした時だった。

 この場に似合わぬ拍手の音と共に、暗闇から何者かの足音が聞こえた。足音は一歩、また一歩とアイラに接近する。

 やがて、物言わぬ恐剣狼の向こうから黒を湛えた男が現れた。

 男は黒いローブのようなもので全身を覆っており、顔や体格の判断が付けられない。男と瞬時に判別出来たのは、事前に精霊の情報があったからだ。


「へぇ~。コイツを倒すなんて……嬢ちゃん、案外やるねぇ」


 軽い調子で男が声を発する。

 ガサガサに荒れた低い、唸るような声だ。

 男の声の調子はどこか軽く、悲壮に沈むアイラの心を荒く撫でる。


「まあ、こんな見せかけの雑魚なんてちょっと工夫すれば倒せるか。ったく、堅くて食えもしない害獣が」


 何が気に障ったのか、男はあろうことか恐剣狼の亡骸を蹴り飛ばした。

 その時、アイラの頭に燃えるような熱が刺した。


 気付けば、彼女は爪が食い込む程に強く拳を握っていた。

 先の拍手といい、声といい今の言動といい、この男の言動は、いちいちアイラの神経を逆撫る。


「おおっと、そんなに怒らないでくれよ。コイツを殺したのは嬢ちゃんだろう? いったいなんでそんなに怒るんだい? ははっ、全く理解に苦しむよ」

「私だって……あなたの言動が理解出来ないよ……」


 息も絶え絶えだが、言い返さずにはいられない。

 これほどまでに怒りを覚えたのはいつ以来だろうか。村を滅ぼされたときだって、ここまでの怒りの感情は湧かなかったというのに。


「くっ……あははは! そうかそうか! だったらオレたちは両想いってことだ。な、そうだろ?」


 男の余りに勝手な言い分に、返す言葉も見つからない。

 いい加減こんな奴と話しても時間の無駄だ。

 早く、ここを離脱しなくては。


「精霊さ──」


 この場を離脱しようと、精霊に呼びかける。だがアイラの呼びかけを遮るように、男は発言した。


 「ああ、それと。邪魔者にはちょっと退場してもらったよ。今もどうにか中に入ろうとしてるけど、所詮は搾りかすだ。あれにオレの結界は破れない」


 精霊を追い出した?

 いや。そんなことは、最早アイラにとってどうでもよかった。


(搾りかす? こいつは今、彼女のことを搾りかすと言ったか?)


 彼女の中で、何かが弾けた音がした。

 憎悪ともいえるほどの激しい炎のような怒りが、アイラを支配する。


 ──”私の家族を侮辱するな”。


 何処か遠くで、誰かの声が聞こえた気がした。


 怒りの余り逃げるということを忘れていた。

 アイラは責めてあいつを一発殴ってやろうと、今の発言を訂正させてやろうと、腑抜けた四肢に力を籠め、立ち上がろうとした。

 だが彼女が立ち上がる前に、男は無視できない問いを投げかける。


「さて、茶番はここまでとしよう。オレが何者か、嬢ちゃんみたいに賢い子はもう検討ついてるよね?」


 アイラは無言を通した。

 それを肯定と受け取った男は、愉快そうに語る。


「そう、君を殺しに来たんだ。オレにはどうしても復讐したい奴が居るのさ。だからさあ……そいつに一泡吹かすために──」


 ──ちょっと死んでくれないかなァ?


 男の纏う空気が瞬時に変わる。


 圧倒的な殺気。

 アイラではない、何かに向けて発せられている殺気。だというのに、アイラはたちまちその闇の深さに飲まれていた。


 息が上手く吸えない。

 声が上手く出せない。

 刀を取り、抗わなければならないのに、手が動かない。

 ここからいち早く離脱しなければならないのに、足は棒のように動かない。


「うん、いい子だ。ああ安心してよ。すぐ殺そうってわけじゃない。ただ殺すんじゃあ面白くない。君には奴をおびき出すための人質になって貰うんだ。君を探しに来た奴の目の前で、君を盾に散々奴を痛めつけて、それでも君を殺そうとするオレに向かって、やめろと叫ぶ奴の苦渋の顔を眺めながら、一思いに殺してあげるからね」


 アイラの背筋に嫌な雫が伝う。

 それでも、彼女の四肢は動こうとしない。


 あの時と、同じように。


「君にも、君の村にも、オレはなんの恨みもないんだ。だから恨むなら、オレにあんな仕打ちをした奴を、『剣聖』を恨むんだね」


(……剣聖?)


 それは史実上最古にして唯一の存在。

 初代にして最後の剣聖、ローラン・ヴァン・デュランダルを表す言葉だ。

 何故今千年も前の人間の名前が出てくるのだろう。


「ぐッ……!?」


 アイラの脳裏に刺痛が駆け抜けた。

 違う、剣聖は一人じゃない。

 数年前。確かにあの剣は、()()()()()()()()()()()()()()


「知らない……なんなの……これ……?」


 次々と、覚えのない記憶が想起されていく。


 喝采に湧く王国。

 真っ白な鎧を纏った少女の背中。

 それを見て頬を赤く染める、()()()()()()()()()()()


 だが混乱する思考を整理する暇は与えられず、暗い暗い闇が一歩、また一歩と歩み寄る。

 業火の如く燃える怒りを、その双眸に携えて。


「それじゃあ、君も長い事走って疲れたろう? 実はオレももうクタクタなんだ。次に目が覚めるのを楽しみにして、ゆっくりお休み」


 その言葉を最後に……アイラの意識は暗闇の底へと沈んでいった。

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