1話 何年目かの始まり
何年目かの始まり
オレが担当している、作家の春男の担当になって、また春がやってきた。春男という名前は、本名ではない。ペンネームだが、オレは本名より、こっちで呼ぶことに慣れてしまった。
オレは、春男に出会ってからもうずいぶんと長い時間を過ごしてきている。小学校から、高校卒業までの九年。ほとんど話したことがないまま過ごした。大人になってから、仕事の相手として再び会った。これだけ、長い時間一緒にいたのに、こいつがある程度理解できるようになってきたのは本当に、最近のことだ。それも完全にとは言えない。
本当は理解などしたくないが、しないとこっちがひどい目にあう。全部が全部こいつのせいだとは言わない。でも、九割はこいつのせいだ。
それにもかかわらず、一週間のうち、三日以上春男の家に足を運んでいるのは、春男の作る夕食のせいだろう。コンビニ弁当が続くと、オレの体調に変化が出るのだ。
春男の母親は、料理研究家だ。それなら、毎日でもおいしいものでも食べているのだろうと勝手に思い込んでいた、オレの安易な考えは、事実を知ってから粉々に砕け散った。あんなに有名な母親の料理。本は春男以上に売れている人気者だ。しかし、その背景には、試作品の試食が待っていた。当然、おいしいものばかりではない。いや、おいしいものの方が少ないような気さえする。実家から一人暮らしになって、やっとその料理からある程度は解放されたが、全部ではない。
今度は、送ってくるのだ。オレもよくそれに付き合わされる。ため息しか出ないことも多い。食べて、感想を送るそうだ。こうしてみると、春男も結構母親思いと言えるかもしれない。
彼の母親はできた料理だけではなく、材料をも送ってくる。それをできる限り、捨てることなく料理する。春男にそれを教え込んだのは、彼の父親だ。春男の一番売れた本のモデルでもある、家事が趣味な男性だ。しかし、そのことは、内緒だ。なにもできない、父親にほれ込んだ妻にばれたら離婚の危機が待っている。
作家に、作品を仕上げる作業が遅れるような出来事は起こさないほうがオレのためでもある。
春男が比較的大きな賞をとっているにもかかわらず、なぜあまり知られていないのか。その賞の発表の三日前から他国の地震、暴動、有名人の死去と離婚と結婚と、大きな出来事が続いた。そのせいか、すっかり新聞の記事も小さくなり、その後の本人の無気力な性格のせいで、顔も名前もあまり知られないままになってしまったせいだろうとオレは思う。
だが、春男の本人はまったく、きれいさっぱりと、気にしていないようだ。この気にしていないぶりは普段の生活にも現れる。春男の友人で、春男が作家だと知っているのは一体、どれくらいいくのかと思うほどに少ない。
知っていれば、応援という形で買ってくれるかもしれないというのに。おかげで、本はあまり売れているとは言いがたい。それでも、なぜか、春男には強力な読者でもついているのか、ある程度は売れてしまうから、恐ろしい。
春男のアパートは、オレの帰り道の手前にある。春男の家に行く前に必ず、メールを送って、鍵がめったにかかっていないドアを開けるのだ。なにか買って行く物でもあれば、そのときにメールしてもらう。
本当は、結構広いはずの部屋は紙で溢れている。それでも、オレの座る場所があるのは、部屋がきれいだからだろう。春男も自分できれいにしているが、たまに春男のお父さんがきれいにしに、こっそりやってきている。一目でいつ来たのかがわかるくらいに、片付けていくのだ。
「父さんが持ってきたんだけど、母さんからなすが大量に送られてきたらしいんだ。漬物は、もって帰ってからも食べて。ついでに、今日の料理はなすづくしだから。」
「あー、わかった。」
オレに余り好き嫌いはないが、しかし、マーボーなす。焼きなす。なすの漬物、味噌汁の中になす。たしかに、なすづくしだ。これだけ食べれば、しばらくなすは食べなくていいと思う。
こんなに変わったやつなのに、どうしてこいつの一番長い担当がオレなのか、疑問に思いつつ、かなり慣れてきている自分が怖かったりしている。




