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聖女の力を与えられた悪女は  作者: にゃみ3


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8/8

8 帰還


「奥様、少しお休みになられてはいかがですか? こんなに夜遅くまで起きられていては、お体に触ります」


「このくらい平気よ。私のことは放っておいて、あなたたちは先に休んでいいから」


「で、ですが奥様……」


 狼狽えながらブツブツと何かを言っているメイドの声を聞き流しながら、黒に染まった窓を睨みつける。


 あれから、どれほどの時間が経っただろう?


 外はすっかり暗闇に包まれ、夜風が窓を叩きつけている。

 主治医と魔法使いを部屋から追い出したあと、私はすぐに執事長の元へ行き、ルシアンがどこへ向かったのか問いただした。


 執事長はいつものように複雑な色をした眼差しで私を見つめると、彼が公爵家の騎士たちを連れてアルベド子爵家に戻ったと言った。


 どうして止めなかったのかと怒る私を嗜める使用人たちの言葉を無視して、今、こうして彼の帰りを玄関から一番近くの部屋で待っていた。


 黒魔法を使った者がいるかもしれない場所へ彼は向かったなんて正気でいられるはずがない。


 どうして公爵が自らそんなに危険なところへ行ったのよ。

 ただ、騎士を送るだけでよかったじゃない。

 帰ってきたら、絶対にただじゃおかないわ。


 その怒りは、オレンジ色の陽が落ちるとともに、激しい不安へと変化した。


 こんな時間になっても戻らないなんて……まさか何かあったというの?


 寝間着の上から羽織ったケープをぎゅっと握りしめても、その不安は中々消えてくれそうになかった。


 どうしようもない不安が心臓を締め付け、今にも外へ飛び出していきたい気持ちだったその時だった。


「公爵様のお戻りです!」


 屋敷の主人の帰還を知らせる衛兵の声が、静まり返った公爵邸の屋敷全体に響き渡った。


 その声が聞こえるのと同時に反射的に立ち上がった私は、慌てて後ろを追いかけてくるメイド達に目もくれず、玄関へ向かった。


「奥様? どうされ……」


「扉を開けて! 早く!」


「は、はい!」


 突然現れた私の姿に驚愕した素振りを見せながら、使用人は玄関の扉を開く。

 私はネグリジェの裾を掴むと、乱れる髪も気にせずに外へと出た。

 公爵邸の玄関から城壁までを繋ぐ道に、複数名のアルスハイン騎士団員たちが馬に跨ってこっちに向かってきていた。


 帰ってきたら、怒鳴りつけるつもりだったのに。

 その先頭に立つ夫の姿が目に入った瞬間、なぜだか目頭が熱くなった。


「フレイア? どうしてこんな時間まで起きているんだ」


「こんな日に平然と寝ていられるはずがないでしょ!」


 慌てて馬から降り、私の元へ駆け寄ったルシアンを睨みつける。


 そんな私を、彼は責めるわけでもなく、ただじっと見つめていた。

 頭のてっぺんから足先まで視線を滑らせると、今度はきつく包帯が巻かれた右腕へと視線が固定される。


 その視線に気づいた私は、羽織っていたケープでその部分を隠し、目線を逸らした。


「医者は何と?」


「掠っているだけだから、すぐに治ると言っていたわ。すぐに処置したから、傷も残ることはないそうよ」


「そうか……」


「だから言ったでしょ、何ともないって」


 腕を組んで素っ気なく言うと、彼はどこか安堵した様子で息を吐き出した。

 確かに手当をしたからすぐに治ると主治医は言っていた。ただ黒魔法の話を除いているだけで。


 だから別に、嘘は言っていない……。


「外は冷えるだろう。すぐ、部屋まで送ろう」


「このくらい平気よ。みんな私を病人のように扱うんだから困っちゃうわ」


 そう生意気に言い放った私を、まったく気にする様子はなく、ルシアンは乱れた髪を丁寧に撫でながら整えている。


 あなたは今、何を考えているの?


 その冷え切った水色の瞳が、私を見つめるときだけは確かに暖かな熱が宿る。

 それが私は嫌いじゃなかった。

 彼からかけられる優しい言葉と、どれだけ振り払おうとしても私のそばにいてくれることに、どこか居心地の良さを感じていたのは紛れもない事実だった。


 だから……。


「公爵様、少しよろしいでしょうか」


 その時、背後からアルスハイン騎士団の制服を身に纏った若い青年が声をかけてきた。


「私のことはいいから、行ってあげて」


 不満そうな顔をして私を見つめるルシアンに、私は顎を上げながらそう付け加える。


「ちゃんとここで待っていてあげるから」


 ルシアンは少し間を空けたあと、「すぐに戻る」とだけ言い残し、すぐに身を翻して青年のもとへ向かっていった。


 まったく。いつまでも私を子供みたいに扱うんだから。


 その間にも、彼が連れてきたのであろうアルスハイン公爵家の騎士団員たちが次々と馬から降りていく。


 深夜まで馬を駆けさせていたせいか、誰の顔にもはっきりと疲労が浮かんでいた。

 私はすぐ後ろに控えていたメイドたちに彼らのために食事を用意するよう言いつけると、ルシアンとの約束を守るため玄関のそばに置かれたベンチへ腰を下ろした。


 静まり返っていたアルスハイン公爵邸は、いつの間にか昼間のように明るくなっていた。あちらこちらに灯りがともされ、右から左へ使用人や騎士たちが慌ただしく行き交っている。


「フレイア様……!」


 頭の中を駆け巡る不安をどうにか落ち着かせようと、私は膝の上で手を握りしめていると、突如名前を叫ばれ、ハッと顔を上げる。


「アルセイン」


 見慣れた私の護衛騎士が、大きく手を振りながら駆け寄ってくる。


「良かった。無事に手当てを受けられたようですね」


 私の目の前までくると、そう言って安心したように目元を緩めた。

 ルシアンに命じられて黒魔法を使っていたという刺客のもとへ向かったはず。


 夫を暗殺しようとした愚か者は、いったいどんな人間だった?

 あなたは、どこも怪我をしていないのでしょうね?


 次々と頭に浮かぶ言葉を口にすることができずに、ただ視線を泳がせてしまう。


 そんな私を見たアルセインは突然顔を曇らせた。

 すると、私の目の前で片膝を地につける。


「フレイア様。あなた様の護衛騎士でありながら、お守りすることができず……申し訳ありません。どのような罰も、この身に受ける覚悟はできています」


 突然のことに、慌ただしく行き交っていた人々の足が止まった。

 驚いたような視線が一斉にこちらへ向けられる。

 しかしアルセインはそんな周囲の反応などまったく気にしていないようだった。


「昼間に仰っていたように、護衛騎士を代えられるのでしたら僕から神殿に申し出ましょう。この際、アルスハイン家の公爵夫人として、公爵家の騎士を護衛につけられてもよいかもしれません」


 勝手に話を進める馬鹿な従者を見下ろし、私は眉をひそめた。

 普段は私がどれだけ意地悪なことを言ってもヘラヘラと笑っているくせに。

 こんな時ばかり、どうしてそんな顔をするのよ。

 私は腕を組むと、目の前で跪くアルセインへ冷たく告げた。


「私が人を嫌っていることを知っているでしょう。見ず知らずの男をずっとそばに置くことになったら、すぐに家出してやるわ」


 丸い瞳が驚いたように私を見上げている。


「そうなった時、護衛として連れていく人間を私は一人しか知らないわ」


「フレイア様……」


「過ぎたことを今さら言っても仕方がないでしょう。いいから早く立って。それとも、私の悪名をもっと轟かせたいわけ?」


 これ以上跪かせておくわけにもいかず、私はアルセインの腕を掴むと引っ張った。

 素直に立ち上がったアルセインは込み上げてくる感情を必死に抑えるような顔をしていたが、やがていつものように目に涙を浮かべる。


「泣き虫な私のバカな従者。あなたは黙って、私の言うことだけを聞いていればいいのよ」


「……そうします。これまでもこれからも、僕の主人の言うことだけを聞いて生きていきます。僕の人生フレイア様に捧げます」


 目元を乱暴に拭いながら、大袈裟なことを口にする姿に呆れてため息がでそうになる。

 それでもいつもの調子に戻ってきたことに少なからず安堵した。


「まったく……でも、ちょうどよかったわ。あなたを後で呼ぼうと思っていたの」


「フレイア様が僕を?」


 私は小さく頷くと、彼に一歩近づいた。

 周囲に聞かれないよう、声を落として告げる。


「この屋敷に置いてある荷物をまとめておいて。近々私はこの家を出るから、あなたも一緒に着いてきなさい」


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