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ナムフォン皇后——王朝の終焉を見つめた女  作者: はまゆう


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11/11

第五話 それぞれの終焉——皇太后、そして皇帝

1


太和殿の甍が、もう自分のものではないことを、ドアン・ホイは知っていた。


それでも彼女は、フエの王宮を離れなかった。1945年、王朝が崩壊したあとも。67歳になった彼女の背は曲がり、声はかすれていたが、目だけは違った。かつて紫禁城で絶対的権力者として君臨した女の、最後の光がそこに残っていた。


「私はここを離れない」


彼女は、去っていく側近たちに向かって、誰にともなく言い放った。


「私はグエン朝の皇太后だ。この宮殿は、私が守る場所だ」


だが誰も、もう振り返らなかった。革命政府の役人が敷地を測量して回り、かつて額づいた女官たちも、一人、また一人と姿を消していった。残ったのは、彼女の支配に骨の髄まで慣らされた、数人の老女だけだった。


## 2


観光客がぞろぞろと太和殿を歩き回るようになった頃、ドアン・ホイは宮殿の片隅の小部屋に押し込められるように暮らしていた。


「皇后は、どこにいる」


ある夜、彼女は不意に、側に控える老女官に尋ねた。


「フランスにおられます」


「フランスか」


彼女は窓の外の暗闇を見つめたまま、しばらく黙った。


「あの女は、最後までフランスを選んだのだな」


その一言には、憎しみだけではない、名づけようのない何かが滲んでいた。ナムフォンは、生涯をかけて叩き潰そうとした敵だった。それなのに、どれほど追い詰めても、あの女は一度も泣き言を漏らさなかった。そして最後には、まんまと自分の手の届かない場所へ、自由になって消えていった。


——強い女だった。


そう思う自分に、ドアン・ホイは苛立った。敵を尊敬するなど、あってはならないことだった。


## 3


1950年代のある日、一時帰国したバオダイが、老いた母を訪ねてきた。


ドアン・ホイは、息子の顔を一目見るなり、こう言い放った。


「お前は、また逃げてきたのか」


バオダイは答えられず、ただ立ち尽くした。


「これまで私は、お前が逃げるのを許してきた。だが、もう逃げ場はどこにもない。自分の人生は、自分で決めろ」


「母には、私が何をすべきか、わかっているはずだ——」


「何をすべきかは、お前自身が決めることだ」


ドアン・ホイの声が、初めて震えた。


「私は、もうお前を守れない」


その一言が、バオダイの何かを砕いた。母に守られることを、彼はずっと当然のことだと思っていた。だがその母もまた、ただの老いた一人の女になっていた。守る力など、もうどこにも残っていなかったのだ。


彼は、この瞬間初めて理解した。自分は、何かを永遠に失ったのだと。


## 4


晩年、ドアン・ホイは物言わぬ夜を過ごすことが増えた。


ある夜、彼女は側に仕える者に、ぽつりと漏らした。


「私は、間違っていたのだろうか」


「何がでございましょう」


「すべてだ」


彼女は天井を見上げたまま続けた。


「私はバオダイを愛しすぎた。それが、あの子を弱くした。そして——ナムフォンを苦しめた。私はあの女を敵だと思っていた。だが違う。あの女は、私と同じものを愛していただけだ。バオダイを。ただ、愛し方が違っただけだ」


それは、生涯で初めて彼女が口にした、自分自身への裁きだった。


だが、その言葉が誰かを救うには、あまりにも遅すぎた。


## 5


1962年、ドアン・ホイ皇太后は、フエの王宮でひとり息を引き取った。84歳だった。


息子のバオダイは、その時、香港にいた。訃報を受け取っても、すぐには動かなかった。彼が母の墓の前に立ったのは、それから数ヶ月後のことだった。


長い沈黙のあと、彼はようやく口を開いた。


「母さん。私はあなたに守られて生きてきた。その愛が、重荷だったこともある。でも——あなたの愛がなければ、私はここまで生き延びられなかった。ありがとう。そして——ごめん」


その声を聞く者は、誰もいなかった。


だが彼自身の中で、その言葉は確かに響いていた。


## 6


母の死後、バオダイの孤独は際限なく深まっていった。


香港、モナコ、パリ——彼は場所を転々としながら、かつての華やかな生活を演じ続けた。だがその生活には、もう輝きなど残っていなかった。ただ時間を消費するだけの日々。


「私は、何を間違えたのだろう」


晩年、彼はよくそう呟いた。


誰も答えなかった。だが彼自身は、答えをとうに知っていた。母の支配から逃れられなかった弱さ。妻を守れなかった弱さ。国を、そして自分自身すら守れなかった弱さ。


彼は、その弱さを抱えたまま生きることを選んだ。


それが、彼の人生だった。


## 7


1980年代、モナコの小さな部屋で、バオダイは質素に暮らしていた。


かつての栄光を忘れようとするかのような生活。だがその胸の奥には、消えない想いが一つだけ残っていた。ナムフォンへの想いだった。


「私は、彼女を愛していた」


彼は、側近にぽつりと語ったことがある。


「だが私は、彼女を守れなかった。彼女は、私がいなくても十分に強い人だった。それでも——夫として、皇帝として、一人の人間として、私は彼女を守るべきだった」


それが、彼の人生最大の悔恨だった。


ナムフォンの訃報を、彼はモナコで受け取った。葬儀には出なかった。出る資格が自分にはない、そう思ったからだ。


だが、それから間もなく、彼はひとつの行動を起こした。


## 8


フランスの田舎町。木々に囲まれた小さな墓地に、バオダイはひとり立っていた。


風が、乾いた枯葉を墓石の上に運んでいた。彼は長い間、何も言えなかった。


「久しぶりだな」


ようやく、声が出た。


「お前は、最後まで強かった。私は、最後まで弱かった。それが、お前と私の違いだ」


彼は、持ってきた一輪の白いバラを、墓の前にそっと置いた。手が震えていた。


「私はお前を愛していた。だがその愛は、お前を苦しめただけだった。お前が私の愛から逃げたのは、正しい選択だった」


しばらくの沈黙。風が墓地の木々を鳴らした。


「私は、もうすぐ死ぬ。お前に会えるとは思っていない。だが——もし、あの世というものがあるなら、謝りたい。すべてに対して。遅すぎるかもしれないが」


彼は、墓に向かって深く、深く頭を下げた。


誰も見ていない場所で行われた、彼の生涯最初で最後の謝罪だった。


## 9


1997年、バオダイはモナコで息を引き取った。84歳だった。


かつての皇帝の死とは思えないほど、静かで質素な最期だった。葬儀に、妻はいなかった。母もいなかった。子供たちの姿もまばらだった。


彼は、完全に独りだった。


だが、彼の遺言には、たった一つの願いが記されていた。


「私の遺産は、ベトナムの貧しい人々のために使ってほしい。私は国を守れなかった。せめて、その国の民に、何かを残したい」


それは、彼が生涯の最後に下した、初めての「正しい選択」だった。


## 10


バオダイの遺産は、彼の死後、静かにベトナムへと送られた。


生涯を通じて、彼は何ひとつ「守る」ことができなかった男だった。だが最期の瞬間に、ただ一つだけ、彼は約束を守った。かつて自分が統治した国の、名もなき人々への約束を。


最後の皇帝として生まれ、最後の皇帝として死んだ男。その人生は失敗の連続だったかもしれない。だが最後に下した一つの選択だけが、その人生をわずかに救ったのかもしれない。


## 11


ドアン・ホイ皇太后とバオダイ皇帝。


この二人こそ、ナムフォン皇后の人生に最も深い傷を刻んだ存在だった。皇太后は、母としての過剰な愛で息子を縛り、その嫁を苦しめ抜いた。バオダイは、夫としての責任を果たせず、妻をどこまでも孤独にした。


だが彼らもまた、ある時代の産物にすぎなかった。


皇太后は、帝制という滅びゆくシステムの中で、自分の地位を守るために戦い続けた女だった。その戦いの果てが、ナムフォンへの迫害だった。


バオダイは、帝制と近代のあいだで引き裂かれた男だった。自由を求めながら、自由を掴む勇気を最後まで持てなかった。その弱さが、彼を逃亡者に変え、妻を孤独の中に置き去りにした。


二人とも、愛し方を間違えた。だが、その愛そのものは、確かに本物だった。


## 12


ナムフォン皇后は、彼らを憎んだ。


だが同時に、彼らを理解してもいた。皇太后もバオダイも、彼女と同じように、時代に翻弄された人間にすぎなかった。彼らは選択を誤った。だがそれは、彼らだけの罪ではなかった。


彼女は最後に、こう書き残している。


「私はドアン・ホイ皇太后を憎んだ。だが今は、彼女を憐れむ。彼女は自分の愛の正しさを、一度も疑わなかった。そしてその愛に縛られて、自分自身も、息子も、そして私も苦しめた。


私はバオダイを愛した。だが今は、彼を哀れむ。彼は自由を求めながら、自由を恐れた。その恐れのために、すべてを失った。


彼らは私の敵だった。だが——彼らもまた、私と同じ人間だった。ただ、違う道を選んだだけだ」


それは、彼女が生涯の最後にたどり着いた「赦し」だった。


そして、その赦しこそが、彼女自身を、最終的に自由にしたのだ。


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