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-31- ~みんなが、いてくれるから~


 大通りの右側の路地では、アレクシスが先頭を走っていた。


 路地は石畳の入り組んだ迷路のように続いていて、二人並ぶのがやっとという幅の場所もある。

その狭さが今は味方だった。狭い道は数の優位を潰す。一対一の局面を、どれだけ量産できるかだ。


 帝国の守備兵が路地の曲がり角に陣取っていた。曲がった瞬間に叩くつもりで待ち構えている、その読みがわかった。わかったから、アレクシスは角の手前で止まり、代わりに右手に持った短剣を投げ込んだ。慌てた気配がした。その隙を突いて踏み込む。


 曲がり角の向こうに三人。剣を構えた者、盾を持った者。

 狭い。

 狭いから、三人が同時には動けない。


 盾の者が前に出てきた。押し込もうとする力を、アレクシスは真正面では受け止めず、半歩だけ横にずれて、盾の縁に体を沿わせるように入り込んだ。盾の内側はもう体の動かせる余地がない。

アレクシスの肘が鳩尾に入り、盾の者が崩れる。崩れた者の向こうから剣が来た。それを腕で弾いて──腕の傷が裂ける感触があったが、今はそれどころではない──柄で顎を打った。


「急いでください!」

後ろから仲間の声が飛んだ。


「わかってる!」

わかっているから走っている。路地の先で、また別の守備兵の気配がした。


 帝国の守備兵は、どこを守ればいいかわからないでいるのが手に取るようにわかった。

予知のない状況での守備は、どこに敵が来るかの読みが利かない。日和ったとも言える、分散した小さい守備隊は、一点に集中した突撃に対しては脆い。


「中央に繋がる路地まで、あと二つ角を曲がれば」

後方から地図を確認していた斥候が告げた。


「わかった!」

アレクシスは、また走った。ただひたすらに。


 *****


 左側の路地では、セドリックが動いていた。

彼の戦い方は、アレクシスとは違った。

一点に全力を叩き込む突撃ではなく、路地の地形そのものを使いながら、静かに、確実に、守備兵を崩していく。角を利用する。段差を使う。建物の出っ張りを背に、一方向からしか来られない場所で受けて、捌いて、抜ける。無駄な消耗を出さないための動き方だった。


 しかし今、その余裕が崩れかけていた。


 守備兵の数が、想定より多い。


「増援です!」

後方の兵士が告げた。路地の奥から、新たな帝国の部隊が流れ込んできている。


(この数では、突破に時間がかかりすぎる)

セドリックの頭の中で忙しく計算が働いた。

このままでは、大通りに到達する頃にはレオニスの手勢が尽きている。


(──急ぐしかない)

いつもの選択肢の取り方ではなかった。最善を選ぶのではなく、最速を選ぶ。

消耗を度外視して、ただ前に進むことだけを考える。


「聞いてください」とセドリックは後ろの仲間に言った。

声は穏やかだったが、近しいものなら、いつもより差し迫った空気をそこに感じただろう。


「前の守備兵は私が引き受ける。皆さんはその隙に、私の脇をすり抜けて先へ」


「しかし、セドリック殿──」


「大通りまでの時間が、もうない」


 それだけ言って、踏み込んだ。


 セドリックは──。一人で、守備兵の群れの中に入り込んでいった。


 *****


 大通りでは、レオニスが後退を始めていた。


 退きたくて退いているのではない。人の壁に押し込まれながら、一歩分だけ、また一歩分だけと、少しずつ後ろへ引かされていた。帝国の前列が一人崩れても後続が補充され、補充された者を崩してもまた補充される、その繰り返しの中で、消耗が蓄積していた。


 腕が重くなっている。


 大剣を振るうたびに、以前よりわずかに遅くなっている。

気づいているのはレオニス自身だけかもしれなかった。

それでも、剣は届く。届く限り、前に出る。退くことが本意ではない。

退かされながらも一歩のたびに一人は崩す。


 帝国の将軍が、後方から怒鳴っていた。

「なぜたった一人が止められない! 数で押せ! 全員で押し込め!」


 号令と共に、さらに圧力が増した。


 盾を連ねた帝国兵が、横並びになって押し込んでくる。剣では盾の連なりは崩せない。

盾に守られていない足を斬りつけ、よろけた兵士を押し返し、なんとか捌く。


 だが、捌いても捌いても、それより多い数が押し寄せる足音が地面から伝わってくる。


(──あとどのくらいだ)


 アレクシスの声を、心のどこかで待ちながら、しかしその期待を感じていること自体を、レオニスは意識の外に押しやるようにした。待つことが焦りになる。焦りが判断を鈍らせる。ただ今この瞬間だけを見て、目の前の一人だけを崩す。


 盾の連なりが、また一歩押し込んできた。


 レオニスは、退かなかった。


 盾に体ごとぶつかるように踏み込んで、連なりの一点だけに力を集中させた。

鉄の塊のような衝撃が全身に走ったが、構わなかった。一点に集中した力が連なりの一カ所を崩す。

崩れた隙間に、大剣の柄を突き込んだ。崩れた穴から後ろの者が入り込んで、連なりの内側に入る。

敵の圧がどんどん増していく。あとどのくらい耐えれるだろう──。


 右から、声が飛んできた。


「レオニス様──!」


 アレクシスの声だった。


 路地の角から、連邦の旗が躍り出た。


 アレクシスが先頭で飛び出してきた。

包帯の巻かれた腕で剣を構えたまま、傷だらけの顔に信じられないほど明るい表情を浮かべながら、大通りの右側から帝国の密集隊形の側面へ一直線に切り込んだ。


「遅くなってすみません──! でも来ました──!!」


 次の瞬間、左側の路地から、セドリックが出てきた。


 セドリックは声を上げなかった。

ただ、静かに、しかし寸分の迷いもなく、大通りの左側から帝国軍の側面へ踏み込んだ。


 左右から同時に側面を突かれた帝国の密集隊形が、文字通り、割れた。


 前への圧力を前提に組まれていた陣形は、横からの衝撃に全く対応できなかった。

前に出ようとしていた力が、横へ逃げ場を失って渦を巻くように内側から乱れていく。

前列が後列と絡まった。後列が立て直そうとして前列と衝突した。

その混乱が波のように広がって、密集がただの烏合の衆に成り下がっていた。


「崩れたぞ!」

連邦の誰かが叫んだ。


「今だ──追え!」


 レオニスが、今度は前へ出た。


 三方向から同時に押し込まれた帝国軍の統制が、もう取れなくなっていた。

普段から予知に頼り切っていた帝国軍には、予想外の事態に対処する術がない。

兵士は指揮官の命令を待つが、その指揮官すら何をしていいのかわからないのだ──その混乱が、一気に軍全体に広がっていった。


 武器を捨てる者が出た。その武器の音を聞いた隣の者が、また武器を捨てた。恐怖と混乱の連鎖が雪だるま式に帝国軍に広がっていくのが、目に見えるようだった。


 帝国軍の将軍が、馬上で叫んだ。「退くな──退くな──!」

しかし声が届く前に、後方の者から逃げ始めていた。

逃げる兵士の背を見て、別の兵士がさらに逃げる。それが大通りを、今度は逆方向に伝染していった。


 レオニスは、逃げる背中を追うよりも、宮殿の方向に向かって歩みを続けた。


 立ちはだかる者は、もういなかった。


 石畳の上に、帝国の兵士が散らばっていて、倒れている者も、座り込んでいる者も、静かに武器を下ろしている者もいた。それは、戦う意志を失ったというよりは、どうすれば戦えるのかが分からなくなったというような表情で──、予知という地図を失ったまま、どこに向かって歩めばいいのかわからない旅人のようだった。


 アレクシスが駆け寄ってきた。


「レオニス様! 無事ですか!」


「ああ」


「腕から血が……」


「浅い傷だ」


「嘘ついてません?」


「嘘をつく必要がない」


 アレクシスは一瞬だけ黙って、それからほっとした顔と怒った顔が混ざったような表情を作った。


「……これでも全速力で来たんですよ」


「わかっている」


「わかってるなら、もうちょっと──」


「よく来てくれた」


 短い言葉だったが、アレクシスにはそれだけで全てが伝わった。噛みしめるように間を置いてから、「──はい」と言った。声が、少しだけ掠れていた。


 セドリックが隣に来た。いくつかの傷を作っているが、足取りは乱れていない。


「宮殿まで、もう遮るものはないと見ています」


「ああ」とレオニスは言って、宮殿の方向を見た。


 大通りの奥に、白い建物が見えた。

帝国の心臓部が、今は静かにそこに立っている。

しかし静かさの奥に、何か圧のようなものが満ちているのが、ここからでも感じられる。


 未知流が馬車から降りてきた。


 まだわずかに足をかばいながら歩いてくる姿を見た瞬間、レオニスの目が一度だけ止まった。

その一瞬に、言葉にならない想いが詰まっているのを、未知流は受け取った。


「──行こう」


 レオニスは言った。命令でも懇願でもなく、ただ当然のこととして言った。


 未知流も何もかもわかっている、そんな様子でただ頷いた。


「あなたが繋いでくれたこの道で──私が、歪められた未来を終わらせます」


 宮殿への道が、開いていた。


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