-1- 〜気づいたら異世界で命狙われてるんだけど、これ私のせいらしい〜
「いたぞ!」
「逃がすな!」
怒号が夜の森に響く。
──なんで、こんなことに。
未知流は無我夢中で走っていた。足を止めれば死ぬ。それだけはわかった。
枝が頬を打ち、濡れた落ち葉に何度も足を滑らせながら、それでも足を動かし続ける。
29年間、だいたい平和に生きてきた、どこにでもいるOLだったはずだ。
今日も疲れ果てて帰り道を歩きながら、コンビニでお弁当とアイスを買って、さっさとお風呂に入って、寝ることだけを考えて家に向かっていたのに。
それが突然、裸眼で水中にいるかのように、周囲がぼんやりと歪み──
そして空間が裂けた。
そして気がついたら、どこかの森に転がっていたのだ。
でも、街灯ひとつないのに、やたらと明るい。
(森って、普通もっと暗いものじゃない?)
少なくとも、自分がキャンプや林間学校で行ったことのある森はそういうものだった。
光源はなんだろうと空を見上げ、そして──。息が止まりそうになった。
月が、ふたつある。しかも、巨大な月が。
(なんだ、これ)
放心したまま立ち尽くしていると、遠くから怒声が響いてきた。
「このへんにいるはずだ!」「異界の者を逃がすな! よく探せ!」
(こんな異常事態なのに、落ち着いて考える時間すら与えてくれないの……!)
以来、ずっと、走っている。というか、逃げている。
舗装されていない道を走るなんて、最後に経験したのはいつだろうか。
ふくらはぎがパンパンで、靴はもうどっかに行ってしまった。
おまけに今日に限って髪をまとめてこなかったので、乱れて視界を遮る。
木々の間隔がまばらなことだけが、今の未知流にとって唯一の救いだった。
馬の脚を阻む枝や根が、追手の速度を殺している。それでも蹄の音は確実に近づいていた。
ふと、未知流は追手の馬がおかしいことに気がついた。
月明かりに照らされた馬体のその額に、螺旋を描いた一本の角が生えている。
ユニコーン。色は白くはなく、黒毛や栗毛ばかりだが、絵本の中にしか存在しないはずの生き物が今、自分を追い立てている。
ここはもう、地球じゃない。
その事実を理解した瞬間、胸を鷲掴みにされたように呼吸が荒くなり、同時に足がもつれた。
(──っ!)
なんとか踏ん張るが、手をついて転んでしまう。
「早く、逃げなきゃ……!」
立ち上がろうとするけど、足に力が入らない。振り返れば、松明の群れがすぐそこまで迫っていた。
馬蹄が大地を揺らす。
(捕まったら、私、どうなるの……?)
少なくとも、歓迎会を開いてもらえる雰囲気ではなかった。
「いたぞ!」
びゅん、と、未知流の頭のそばを風切音を立てて矢が通り、後ろの大木に深々と刺さった。
本気で、殺しに来ている。
(終わりだ……。私の人生、短かったなあ……)
唐突すぎて、現実感がなさすぎて、まるで他人事のように妙に冷静な自分がいる。
未知流が覚悟を決めた、そのとき。
別の蹄の音が、横合いから割り込んできた。
未知流と追手の間に、騎馬の一団が躍り出た。追手とは明らかに異なる装束。
先頭を駆ける男が剣を抜いた。そして、一閃。
刃が月光を反射した、と思った次の瞬間には、最前列の兵が鞍から落ちていた。
男は馬上で身を翻し、二閃、三閃と剣を振るった。
そのたびに月光を受けた刃がきらりと光り、悲鳴と共に蹄の音が乱れ、あれほど殺気立っていた追手が、泡を食って後退していく。
自分を助けに来てくれている。それは分かっているのに、その強さは恐ろしさすら感じる。
剣を振るう姿に、無駄が何ひとつない。強さというより、抗えない災害のようだ。
今までの喧騒が嘘のように、森に静寂が満ちた。
男は馬を止め、ゆっくりと兜に手をかけた。外れた兜の下から、金色の髪が夜風に流れる。
(──!)
未知流は、息を呑んだ。
獅子のたてがみを思わせる、豊かな金髪。その下の顔は──
未知流がこれまでの人生で一度も見たことのないほど、美しかった。
精緻に過ぎて、現実のものとは思えない。いや、現実ではないのかもしれない。
何しろここは、おそらく地球ですらないのだから。
男の視線が、未知流を捉えた。
夜の色をした双眸が、静かに未知流を見下ろす。
そこにあったのは、安堵でも驚きでもなく――静かな確認。
その目は、長い探索の末にようやく答えを見つけた者のものだった。
「……やっと会えたな。あなたが、我々の未来だ」
やたら美形な男子ばかりで、女性がほとんどいない世界。
普通の一般人のはずの未知流はこの世界だと絶世の美女扱いで、
しかも未来予知が全く効かない特異能力の持ち主で──
この変な世界にも、何やら理由があるようで。
世界の謎が少しずつ解けていくまで、お付き合いいただけると幸いです。
約13万文字の長編小説です。ラストまで完成済み。
初回を除いて毎晩20時に投稿予定です。




