第95話 あの尼僧院へ再び
帰国の日、リョウは、相変わらずマスクをしたままだが、威厳のある様子で、マノカイ軍の先頭に立っていた。
「人数が少ない」
ゼノアの民衆はささやいた。あれほど赫々たる戦功があったのだから、大軍だろうと思っていたのである。
ゼノアの将軍達も、フィンをほぼ絶滅に追い込んだ、現時点で最強の軍の構成を見て非常に意外に思ったらしかった。彼らが不思議に思ったのは、歩兵の数の多さと、続く荷馬車の数の多さであった。騎兵が少ないのである。
こうやって、王宮の庭に整列すると、全体の規模や構成がまったくそれまでの軍備と異なることに気づかずにいられなかった。
先頭の騎馬兵は、マノカイの旗を押し立てていた。なぜか三段組で、一番上にはマノカイ、次がジェルナン殿の、最後はそれぞれの地方の独自の軍旗であった。
ゼノアの民衆にはわからなかったが、マノカイの兵にとって、それは重要な意味を持っていた。
彼らは、国と、自分達の郷土とを代表して戦いに臨んだのである。わずかな兵でも、恐ろしく強い理由がそこにあった。
「敬礼!」
ゼノア側もマノカイ側も、双方、礼を尽くし、マノカイ軍は朝日に銃身をきらめかせて撤退した。
「別に見せなくてよろしい」
新式の銃剣や、迫撃砲は幌付きの荷馬車にしまいこまれ、見た目あまり差がわからない銃だけが装備としては表に出されていた。
「殿下は、おひとりで女王陛下が小さい頃を過ごされた修道院にお寄りになるそうだ」
その日の朝、ガレは不機嫌そうにモレルに言った。
「は? ひとり?」
モレルは聞き返し、ガレに噛み付いた。
「なぜ、そんなことを許可した」
「私が王配殿下に許可など出せぬわ」
「なぜ、止めぬと聞いている」
「止めたに決まっている。危ないことはわかっている」
「なんでお一人なのだ。警備の兵を十分お付けしよう」
「だめだった」
「マーリー殿に、いや、陛下にお止めいただこう。殿は、ご自分がどれほどの身分か承知しておられないのか」
モレルは、あたふたと早馬を命じた。
「なんであんな所に行きたがるのだろう?」
「思い出とか?」
彼らは首をひねった。
「殿はそんな感傷的な人物じゃないぞ。高貴な身分の王族方は、妙なことを仕出かすことが多いが、あの殿に限ってそれはない」
「うむ。確かに計算高くて、合理的だ。商売人で。余計なことには手を出さない」
「マスクも結局、損得づくだしな」
「それがなんで、あの修道院なんだろう」
「とにかく一人はダメだ。何があっても護衛をつけよう」
「私の随行も拒否されたんだが」
ガレが陰気臭く言った。
「あんたが?」
モレルが仰天した。
「殿はあんたなら喜んでどこへでも連れて歩くのに?」
国境線を越えて、少し行くと分岐点について、リョウはさっさと一人でウマに乗って行ってしまった。
ガレとモレルは、泣いたり騒いだり絶叫したりして、彼らの殿を止めたが、全然言うことを聞いてもらえなかった。
「かくなるうえは、リーア陛下だけが頼り。早馬はまだ来ないか?」
フィンの残党や、恨みを抱く者たちにばれてはいけないので、二人とも殿の単独行動についてはぴちっと黙っていた。彼らは、恨みがましくリョウを見上げた。
「殿、お願いですから…」
「それから、護衛をつけると目立っちまって、危険だから、止めてくれ。くれぐれも俺の命を危険にさらすような真似はよせよ」
「殿、ここはまだ国境線に近い。いや、国境線に近かろうと遠かろうと、殿ほどのご身分になれば、どこかで何か恨みを抱く者がいないとも限りません……」
彼は聞いていなかった。豪華な服を脱ぎ、さっさと平兵士の服を着込んだ。それからライフルと楽器をリュックに詰め込むと、マスクを取ってガレに渡した。
「付けといてくれ。マノカイに帰るまで、影武者を頼む。」
ウマをのんびりと歩かせながら、王配殿下は昔の尼僧院目指して進んでいった。
戦いでは大勝利だったが、彼は敗北したような気持ちを胸のうちに抱えていた。
10年ぶりのゼノアは何も変わっていなかった。ラセル陛下も彼を取り巻く貴族たちも、城の間取りも、昔のままであったにもかかわらず、リョウにとってはすべては瓦解していた。
かつての彼を知る貴族たちもいるはずだったが、そんな話は誰もしなかった。ラセル陛下は、昔ながらにリョウに接し、その様子は穏やかで礼儀正しかったが彼も何も言わなかった。あの最後の晩のひととき以外は。
マノカイ軍の異常な強さが知れ渡ると同時に、徐々に恐怖が彼の周りには漂っていった。
それはゼノアの民衆も同じだった。マノカイ軍が到着した日、大歓迎してくれた彼らは、マノカイ軍が帰るときには怖れをたたえた目で彼らを送り出した。
フィンに向けられたマノカイの軍事力が、万一、ゼノアに向けられたとき、彼らはどうなることか。フィンの兵たちが爆弾で倒れたあとも正確無比なライフルで狙われ、止めを刺された有様を思い起こすと、マノカイの王配殿下がどんなに穏やかで愛想のいい人物だったとしても、ヒヤリとしたものを感じないではいられなかった。
「悪魔」
マノカイの軍を見に来ていた誰かがつぶやいた。
「悪魔」
彼は、ずっと悪魔の使いと呼ばれてきた。あるいは悪魔と契約した男と。
悪魔に知り合いはいない。契約したこともない。予言の力だってない。
彼は言われのない東渡りのジグ人呼ばわりに不満だった。
だが、夕べ、ラセル王は彼の予言の解釈誤りを指摘した。
指摘されて初めてわかったことがある。
彼の夢見は極めて正確だということだ。
彼自身、全く知らないことを夢見は正確に伝えてくる。そして、ラセル王の指摘はおそらく正しいだろう。
不安だった。
もはや居ても立っても居られないくらいの不安だった。
なぜかと言うと……それは、最近ひそやかに王宮で囁かれている噂のせいだった。
なぜ、婚儀後、何年も経つのに、お若い女王夫妻にお子様が生まれないのか……?
それは、ご夫君が人間ではないから。東渡りのジグ人だから。
リョウはその噂を笑い飛ばしていた。全く信じていなかった。自分は東渡りのジグ人なんかじゃない。
だって、彼は夢を見たのだ。赤子を腕に抱くリーア姫の夢を。
ジグ人ではないと言いつつ、彼はその夢を信じていた。いわゆる正夢の一種に過ぎないが、間違いないと。
だが、夕べ、ラセル王は彼のその確信を粉砕した。




