第94話 間違っていた夢見
明日はマノカイに出立するという日の晩遅く、リョウはラセル陛下と陛下の部屋に残って話をしていた。
彼はマスクをしていた。
「なぜ、マスクをする。いらないだろう」
リョウは首を振った。
「昔のリョウは死にました。今、ここにいるのは、まったく別の人物です」
そう言いたかったが、そんなことを言っても仕方がないので黙っていた。
わずか数年しか経っていないのに、ラセル殿に忠誠を誓い、リンゲルバルトやゼノアの軍や貴族達に仲間意識を持っていたリョウは、敵対するマノカイを率いる責任者に変貌していた。
責任者は責任者らしく、どんな手でも使った。使いたくない手段も。
「喜んで手を汚している……」
ゼノアの王宮にいると、リンゲルバルトを思い出して仕方がなかった。ふと、どこかの部屋で彼に会いそうな気がした。シャハイにも。リップヘンにも。
シャハイは、あの日、彼自らがライフルで頭を撃ちぬいた。誰も気がつかなかったろう。シャハイ自身も。
リップヘンがどうしたのか、彼は聞きたくなかった。
リップヘンとエルブフの二人は、明らかな裏切り者として、国外退去を命ぜられていた。
ただ、彼らは大貴族で、特にエルブフ殿は母や妻がゼノア出身だったため、資産の多くがゼノア領にあった。リップヘン殿も、エフブフ殿程ではなかったにせよ、かなりの資産をゼノアに有していた。
マノカイ内の領地は召し上げられたが、彼らはゼノアに住まいを移しただけだった。
裏切りとはいえ、実害がなかったので、その程度の処分で済んだのだ。
聞けば二人の消息はわかるはずだった。だが、特にリップヘンについては、知りたくない気持ちがあった。
リップヘンの心の奥底には、一途にリーア姫様への愛があった。
もしかすると、リョウ以上に姫を愛していた。そのことを彼はよく知っていた。だが、リップヘンは不器用だった。愛情の表現も下手だったし、浮世のすべてに関して感情的で自分勝手で、これでは誰ともうまくいくはずがなかった。
小器用で、人の気持ちを見抜くのに敏で、立ち回りのうまいリョウの敵ではなかった。
「ジェルナン殿、夢はすべてかなったのか?」
彼らが話していた部屋は、かつてのゼノア王の私室で、昔、楽師を務めていたころ、何回か恐れおののきながら出入りしたことのある部屋だった。今はラセル王が使っていた。
だが、同じ部屋だというのに、今は部屋に権威や豪奢さは感じられなかった。マノカイの彼の部屋のほうが豪華だったからだ。
ラセルの態度も一変していて、かつての家来を隣国の王としてきわめて丁重に迎え入れているが、その心中はさぞ複雑であろうとマノカイの王配殿下は思った。
だから実のところリョウは、ラセル殿と二人きりで晩を過ごすのはやりきれない思いだった。
彼はゼノアのために最善を尽くした。
誰が見てもその通りだった。
他国の戦争に出かけ助けるなど、あり得ないくらいの話のはずだった。
しかも圧倒的に勝利させた。
なのに、今、ゼノアはマノカイに感謝ではなく、なにか敗北感を漂わせていた。その敗北感を最も強く感じているのは、目の前のゼノア王に違いなかった。
「え? 夢?」
「そうだ。よく話していたリーア姫に関する夢だ」
「ああ」
ゼノアのこの城にいたころ、彼は夢を何回も見た。この頃では、そんなことはすっかり忘れていた。夢なんかまったく見なくなっていた。
「夢は見ません。最近では全く。そう、リーア姫のおそば近くに仕えるようになってからは、一度も見なくなりました」
彼自身も意外だった。そんなことは忘れていた。
「私もずっとそんなことは忘れていたが、ジェルナン殿を見ると思い出すことがある」
リョウは警戒した。何の話だろう。
「その昔、リーア姫がマノカイ王家に嫁いだ時、予言をしたろう」
リョウはうなずいただけだった。東渡りのジグ人呼ばわりされるのは、今やとても都合が悪かった。
「今になって考えると、あれはマノカイの王子誕生の夢ではなかったのかもしれないな」
リョウは昔の夢を思い出そうとした。かなりうすぼんやりしてきている。
「あの時、私たちは二人とも、リーア姫は王妃なのだと思っていた」
「ええ。もちろん」
「でも、王妃時代のリーア姫にお子はいない。もし生まれるとすれば、女王にお子が生まれることになる」
それが一体何なんだ?
「つまり、あの夢は、本当はリーア姫の母上の夢だったのではないか?」
リョウにはさっぱり訳が分からなかった。
「リーア様と侍女は呼んでいましたが……?」
「リーア姫の母上はリーアという同じ名前なのだ。母の名を受け継いだのだ。よくあることだ」
「でも、それだとしても、リーア姫の母上についての夢だったかどうかはわからないではありませんか」
「だって、様付けだからだ。今のリーア姫は必ず陛下が付く。どれほど親しい、高貴な身分の侍女であっても、女王に様付けは決して許されない」
それは確かにそうだった。
「リーア姫には、幼くして亡くなった兄上がいる。話は符合する。たぶん、リーア姫の生まれた頃の夢なのだろう。今になって初めて気づいた。思い出してね」
リョウは黙っていた。話の意味が良く分からなかった。何かありそうな気がする。
「その昔、リーア姫の曽祖父に当たる王の時代に、東渡りのジグ人が現れたことがある」
リョウは、ラセル王の顔を見つめた。ラセルは東渡りのジグ人だなんて全然信じていなかったし、リョウがジグ人だろうと何だろうと、もっとも気に留めていなかったのはこの人だったのに、なぜ、こんな話を延々とするのだろう。
「その王は偉大だった。マノカイの歴史に名を残す大王だった。一時的にせよ、マノカイとゼノアを統合したのだから」
「一時的?」
「そう。まあ、誰でも知っているだろうが、王が亡くなってしばらくすると、両王家はまた分裂してしまったからね。ただ、この大王にも幼いころから東渡りのジグ人がおそば近くで仕えていた。いろいろな伝聞がある」
部屋には暖炉に火が入れてあって、片隅でぼんやりと燃えていた。以前と全く同じ場所に燭台が置かれていて、ローソクの灯がちらちらしていた。昔に戻ったような気がする。リョウと呼ばれて、リュートをかき鳴らしていた予言者の時代に。
「王家には、なにか特別な文書が伝わっているのですか? 細かい記録とか?」
「大王の娘のリーア様が記録を残し、代々娘に伝えるように取り計らった。そしてそのための修道院を王家の肝いりでマノカイとゼノアの国境に建てた。それがリーア女王が一時こもっていたあの修道院だ」
リョウは返事をしなかった。
不気味な運命を感じた。
「まあ、誰も東渡りのジグ人だなんて信じちゃいなかったがね。
そのジグ人とやらも、よくよく出自をたどれば、王のおそばに使えるには少しばかり身分が低すぎただけだった。昔は今より、身分にやかましかったからね。なにか特別な資格みたいなものが必要だったんだろう。
だが、女どもはそんな話を信じたがった。
前の王妃なんか、占いとかそういったものには狂信的でね。まあ、私の妻も似たようなところがあって困ったもんだった」
ラセル王の愚痴っぽい口調にリョウは少しほっとして微笑んだ。
「女どもはそんなことを大事にするもんだな。ジグ人の呼び方とか消滅の記録とかいろいろ書いてあるらしくて、読みたがって大変だった。ジグ人を呼びたかったみたいなんだ。無理に決まっているだろう。それで自分の息子に付けさせたかったらしい。大王にさせるとか言い出して。手を焼くよ」
「そうですか」
「正式な城の年代記には、ジグ人と書かれているわけではないんだ。その者の名前で年代記に記録されているに過ぎない。
ただ、大王の娘のリーア様は記録を書き留めて、その本は例のあの修道院にまだ保管されているのだ。リーア陛下も読んでいたと思うよ。だから、きっとリョウを信じたんだと思う。王妃がそれを欲しがってね。
おお、マレル殿が来たようだ」
律儀なパトリック殿を連れたマレル殿をはじめとした貴族たちが、次々と最後の晩に、感謝と、ののしった件について謝罪を述べに王の私室にやってきた。
「謝らねばならないのは、我々のほうでござる、パトリック殿。フィン族をたぶらかすためとはいえ、パトリック殿の愛国心を利用したのだ。
しかし、そのおかげで見事に打ち取ることができた。パトリック殿の真心がゼノアを救ったのだ」
そう言いながら、リョウは、リーア姫を説得に行けと、ラセル殿に命じられた晩のことを思い出さずにはいられなかった。
ラセル王の側近たちの中に、あの時のメンバーが含まれていたからだ。
あの中にはリンゲルバルトがいた。
今はいない。
忘れなければいけないことは、生きていくうえでたくさんある。彼は自分にそう言い聞かせた。




