第57話 結婚相手として求められるもの
よく寝てさっぱりして、頭が普通に回転するようになったジェルナンは、夕べのプレショーンの話を思い返した。
うまく出来たマスクのいいわけだった。ウソの上塗りとはこのことであろう。
次から次へと違うウソで塗り固められていく。
もはやここまできてしまった以上は、もうどうでもいいが、顔をさらすのはやはり抵抗があった。
それは、リップヘンに対してではなく、ラセル陛下に対してだった。
「今、ここでリンゲルバルト殿と戦い、陛下の目論見を台無しにしていることがわかったら、ラセル陛下はどんな顔をされるだろう」
不思議とリンゲルバルトのことは気にならなかった。
彼は職業軍人だった。
リョウの裏切りを裏切りと取らず、別な君主に仕えることにしただけと受け取るかもしれなかった。職業軍人、特に傭兵の場合はそういうことは往々にしてあったからだ。
だが、ラセル殿はリョウを信じていた。
リョウも誠心誠意、ラセル陛下のために戦ってきた。
確かな手ごたえを感じ、ラセル陛下を君主として尊敬し、仕えるにふさわしい人物と精一杯の努力をした。そう、それこそ身の危険をも顧みずに。
それなのに、ある日、一枚の手紙が着たばっかりに、反対陣営の姫君に仕えることになってしまったのだ。
それはリョウ本人としても認めにくい行動だった。
しかも、彼は自分の出自をウソで塗り固め、高貴な別人の名を騙り、他人に成りすました。あたかも姫君と幼馴染であったように思い出話をしゃべってまわった。
自分の年や立場は一言も語らず、機会を捉えては、まるで幼い頃はマノカイの宮廷にしきりに出入りしていたかのような印象を人に与えるべくウソを吹聴してきた。
それは巧みだったかもしれないが、全部ウソだった。
今、マノカイの姫君の宮廷では、ジェルナン殿は温厚(あくまでもリップヘン殿と比較してだが)で、姫君を救った中心人物として非常に重視されている。
わがままなリップヘン殿が彼のことを許容している理由は、彼が穏やかで控えめだったこともあるが、マスクをしているからだった。
マスクと僧服のせいでジェルナン殿は相当の年配者に見えた。リップヘン殿はジェルナン殿を姫の結婚相手にはならない、自分のライバルではないと思い込んでいたのである。
リップヘン殿は女王陛下と結婚する野望を抱いていた。そして結婚してしまえば、珍しくリップヘン殿の気に障らないこの僧形の男は有能な宰相となるはずだった。
一方でプレショーンは、ジェルナン殿と姫君の結婚を強く願っていた。
今後、マノカイの宮廷が、元のマノカイの王宮に戻り運営されていけば、旧勢力が力を取り戻していくことは目に見えている。
たとえば、エルブフ殿やバッソンピエール殿、公妃も戻ってくるだろう。
プレショーンやマーリー殿と言った連中は、家柄からいっても徐々に排除されていくだろう。だが、もしジェルナン殿がリーア女王と結婚したら、彼らの地位は盤石となるだろう。
今は王配陛下の候補ナンバーワンは、リップヘン殿である。
でも、もし、本当にジェルナン殿が立候補したら?
迫り来るゼノアの魔の手から姫君を救うべく僧院から駆けつけた忠誠の騎士が、姫君の夫として立候補したとすれば?
そして、謎めいたマスクで顔を隠したその騎士が、実は美しい若い男だったとしたら?
国中の者たちが、雪崩を打って、貧乏だが高貴の家柄で勇敢な、若く美しい騎士の味方に走ることは大いにありえた。
「今はここか。だから、マスクを取れといっているのか」
プレショーンのシナリオが読めた気がした。
「ジェルナン殿、もうすぐマッシュ公のとりでです」
ジェルナン殿はあわててマスクをつけた。リンゲルバルトに見つかったら厄介だ。ラセル陛下に知られたくない。
「おい、顔の話はたくさんだ。いらないことをしゃべるんじゃないぞ」
リグ殿は大歓迎した。約束どおりジェルナン殿は3日で戻ってきた。
「少しばかり残念でしたがね。平穏無事でした」
彼の子飼いの部下達は、ジェルナン殿が約束どおり戻ってきてくれたので安堵の表情を浮かべていた。
ジェルナン殿は、リグ殿や他のメンバーを集めて会議をしていた城の部屋から外の光景を眺めた。
城は小山の上に建っていた。非常に古い建築で、眼下には川が流れ、裏手に城下町が広がっていた。町以外の部分は、見渡す限り農地が広がっていた。美しい土地だった。
「裕福な地方のようだ。確かに狙われるかも知れない」
ところどころが赤茶けているのは戦闘のあとだった。特に町の城門の部分がひどく、激しい戦闘が行われた様子が伺えた。
「ウィンズローズは辺境の地ですし、領主のマッシュ殿は先祖代々この地を治めてきていて、マノカイの中央政府から半ば独立していましたから、我々はあまりよく知らなかったのですが、殺されたマッシュ殿は相当に領民から恨まれていたようですね」
リグ殿が説明した。
「わたしもここへ戻る途中で宿の亭主からそんな話を聞かされたが」
「当代のマッシュ殿は、特に稀代の悪領主と言われていたようです。気まぐれで酒乱で、ほとんど気がおかしいのではないかと言われていて、近隣の領主共すら付き合いを避けていたそうです。領民に対するのとは違って、高貴の身分にはそうむちゃくちゃはしなかったそうですが、なにしろここらで一番家格の高いのがマッシュ家だったので」
「家族は?」
「奥方は全員亡くなっています。お子はおられません」
「全員?」
ジェルナン殿も、報告を聞くほかの部下たちも、不審そうにリグ殿の顔を見た。
リグ殿は言いにくそうだった。
「なにしろ酒乱ですから、弾みで殺してしまったのではないかと言うのがもっぱらの噂です。飲むと手が付けられなくなって、刀を抜いて暴れるそうで。飲まない時は気まぐれくらいですむそうですが」
ジェルナンはふとリップヘンを思い出した。
「サーシャ殿は、母方はとにかく父親が王家とつながりがあります。マッシュ殿の方が招いたようです」
「なんだって、招かれた側のサーシャ殿がホスト側のマッシュ殿を殺すようなことになったのだ」
「わかりません。ぜんぜんわからない。サーシャ殿はむしろおとなしい方ですし。ですが、マッシュ殿が亡くなった時点でサーシャ殿はウィンズローズの城と砦の主になりました」
ジェルナン殿は考え込んだ。
「なぜサーシャ殿が突然暴力的になったのだろうな。どちらかというと気の弱そうな青年に見えたが」
「はあ。確かに。妙な感じがあります。それにマッシュ殿がサーシャ殿にそんなに簡単に殺されるはずがありません。マッシュ殿は気が強くて横暴と言われていましたし、自前の兵も抱えていました。彼を殺すのは簡単ではなかったはずです。権力に弱いマッシュ殿にとって、王位を継げるかもしれないサーシャ殿は魅力的だったでしょうし、軍隊のないサーシャ殿にとっては、ちょうどよい味方となるはずでした。それをあえて殺してしまって、リップヘン殿に太刀打ちするために必要だった軍事力を自らだめにしてしまうだなんて、つじつまが合いません」
明らかにどこかでゼノアの手の者が、サーシャ殿に接触したのだ。
「そうかもしれません。もしかするとサーシャ殿がマッシュ殿の庇護を受けられるようになったのもゼノアの差し金かもわかりません。本来あの方の領地はここから遠いのですから」
「王家の血筋だが、気が弱いサーシャ殿は、取り込みやすかったに違いない。サーシャ殿がいつからゼノアに取り込まれたのかはわからないが、マッシュ殿は傀儡になるような男ではないので、ゼノアが殺したのだろう。ゼノアの連中は、サーシャ殿を使ってウィンズローズの城と砦を手に入れたのだ」
「それでは、そのゼノアの手の者とは、誰で、今どこにいるのでしょう」
ジェルナン殿は黙った。
おそらくその人物は、サーシャ殿がお供に連れてきた連中に紛れて、マッシュ殿のお客となっていたのだろう。そして、リンゲルバルトの部下であることは間違いなかった。
もしかすると彼が知っている人物なのかもしれない。彼はマスクがありがたかった。ジェルナン殿は敵の顔を探すことができたが、向こうはそうはいかなかった。
「今、町の代表者と、農家の代表者が来て、お目どおりを願っております。数日前に参ったのですが、マノカイに行っておられましたので、忙しいのでまた後日と待たせておきました。会ってみられますか?」
ジェルナン殿はちらりと笑った。あの晩、百姓共を駆り集めて使ったことを思い出したのだ。
「通せ」
ジェルナン・ライカ・ジュニアは、マスクのまま、町人の代表と農家の代表に面会した。
彼らはマスクには相当面食らっていたが、さすがにそんな話は持ち出さず、このたびの反乱軍を治めてもらった件について麗々しくお礼を言った。
そして、町人どもは彼らの商品のうち値打ちのありそうなものを、農家は食料品を貢物として持参してきていた。部下の兵たちの中には目を輝かせて、物ほしそうな様子を見せる者もいた。
「実は、ここ数日、私はマノカイの女王陛下の戴冠式に参列するため、留守にしていた」
代表達ははっと驚いた様子だった。
「ここに私がいないことが、反乱軍側にばれると厄介なので、多忙のためと言わせていた。お目にかからず失礼したが、そんな事情があったので承知してほしい」
マスクをしているのは変だったが、ジェルナン殿はきわめて穏やかな口のききぶりで話す内容も常識的だったので、彼らは目に見えて安心したようだった。
「マッシュ城を取り戻した晩は、ここらの百姓どもの手を借りた。農家の代表はどっちだ。私が礼を言っていたと伝えてくれ」
農家の代表は、深く頭を下げた。とてもうれしそうな顔をしていた。




