第55話 マスクの理由
「あまり時間はないが、どうしてジェルナン殿がマスクをすることになったのか、教えてもらえるのかね?」
急ぎ足でついていきながら、マーリー殿は熱心に尋ねた。
「はい」
ジェルナン殿はどきどきしてきた。一体、プレショーンは何をしゃべるつもりなのか。
「プレショーン、余計なことを話すというのなら……」
プレショーンは片手でジェルナン殿を抑えた。
「ジェルナン様、もう潮時でしょう。マーリー様にならお話しても大丈夫でしょう」
大丈夫なものか。こんな異様な話を聞いて本気にする人間がいるものか。別の世界から来ただなんて……。未来を予言する東渡りのジグ人だなんて……
ジェルナン殿はなんとかプレショーンを止めたかったが、プレショーンはどういうわけか自信たっぷりだった。そしてマーリー殿は目を輝かせていた。
「実は、ジェルナン様は長らく僧院におられたのですが、その後、名前を変えて、しばらくラセル陛下の軍に所属していたことがあるのです」
マーリー殿は興味しんしんと言った様子で、ジェルナン殿は内心なにを言われるか猛烈に不安だったが、できるだけ平静を装ってプレショーンの話を聞いていた。
「リップヘン様ご自身もラセル陛下の軍に所属しておられたことがあるくらいですから、それ自身は別に問題でもなんでもないのですが、実は当時ジェルナン様はあまりお金がなかったので……」
ここでプレショーンはジェルナン殿を振り返った。ジェルナン殿は、初めて聞く意外な話だったが、仕方がないのでうなずいて見せた。
「そのとおりだ。ライカ将軍は勇敢な将軍だったが、ヴェヴェイ殿下が若死にされたので、不遇であった。裕福ではなかったはずだ」
マーリー殿も同意した。
「名前を変えて兵卒として入られました。リップヘン様は年月がたっていたので、ジェルナン様の顔がわからなかったそうでございます。ライカ家ほどの家系ならば、当然リップヘン様のように自前の軍隊を抱えての入隊であるべきところを、単騎での入隊を恥じて、名乗りをなさらなかったそうでございます」
話がどこへ向かっているのか、うすうす感じ取ったジェルナン殿はあいまいにうなずいて見せた。
「リップヘン様のご性格では、最初からジェルナン・ライカ・ジュニアと紹介されれば、それなりかもしれませんが、ゼノアの頃は一兵卒と下に見て、さんざんのお扱いだったそうです。
その人物が、先に姫君様のところに参っていて、リップヘン様より先輩顔をしているということになると、あのリップヘン様のことでございます。まずくするとせっかく参加されたジェルナン様を追放しかねません。
姫が蜂起された最初の頃、仲間内の結束が不十分な状況で、マスクはできるだけトラブルを避けたかった姫君様のアイデアでございました」
「マスクはそれが理由か」
「リップヘン様が、ゼノア時代のジェルナン様をひどく嫌っておられたことが原因でございます。これでは、せっかく姫様の数少ない味方として集まってくださったお二方なのに、会った途端から、どちらかが出て行かなくてはならないことになります。ジェルナン様は我慢してくださっても、リップヘン様はそうは行きません」
「なるほど」
マーリー殿はうなった。
なるほど、と言いたいのはジェルナン殿のほうだった。なるほど、こう説明をつければよかったわけか。東渡りのジグ人、楽師リョウのほうが仮の姿であったと。
「ですから、戴冠式までこぎつけた今なら、もうマスクをとってもよいのではないかと言うのが姫様のご判断なわけでございますよ、ジェルナン様」
「しかし……」
「ウィンズローズでのお手柄は、皆が知るところとなっております。マッシュ公の城と砦を取り返されたのもジェルナン様でございます。押しも押されぬ英雄でございます。それに宮廷も、もはや尼僧院で始まったときのような少人数ではございません。結束を心配する必要はもうないのでございます」
「そのとおりだ。ジェルナン殿。リップヘン殿なら、どうせいつかは対立するに決まっている。今晩だって姫と踊ったんだから、もう対立しないで済まそうと思う方が無理だ。マスクがあっても一緒だ」
「マスクは取れない」
「え? なぜ?」
「ほかにも理由はある。私だって取れるものなら取りたい。だが、リップヘンだけが理由じゃない」
プレショーンがあっけに取られている様子がマーリー殿にもわかった。
ジェルナン殿は立ち上がった。
「もう行かねばならぬ」
「どこへ?」
「ウィンズローズだ」
「リップヘン殿に姫君を取られてもいいのか?」
「ゼノアの軍、リンゲルバルトの隊がウィンズローズに待機しているのだ。私がいないことがわかったら、反撃してくる。自分の兵を見殺しには出来ない」
「ゼノア軍が?」
「そうだ。裏で糸を引いているのだ。若いリグが心配しているだろう」
マーリー殿はちょっと黙ったが、続けて尋ねた。
「無事に戴冠式が済み、手駒だったはずのサーシャ殿が戦死した今、ゼノアはマノカイを狙うだろうか」
「ウィンズローズは思ったより重要な国境の拠点なのだ。行かなければならない。あと一押しすることがあるのだ。それがすめば戻ってくる」
ふたりはジェルナン殿を出立させないわけにはいかなかった。
ジェルナン殿は、今となってはあまり連れ回す意味がなくなった例の部下3人を引き連れて、夜の闇の中を消えていった。
「ところで、マスクを取れと言ったということは、リーア姫様は、ジェルナン殿との結婚を望んでおられるのですね?」
マーリー殿はうれしそうにプレショーンに確認した。
「おそらくは」
「では、我々もぜひお手伝いしたい。我々にできることと言えば……」
「ジェルナン様のご器量についてのうわさを流すことです。大変な男前だと」
「そこまで男前と言うには当たらないと思うが」
マーリー殿は疑わしげに言った。
「男前でなければならないのです。でないとリップヘン殿の対抗馬になれない」
「でも、あまりほめすぎると、本当の顔を見たときに、みんなが、がっかりするのでは?」
「あの方のもうひとつの側面をご存じないからですよ。ばれるといけないので、今まではご法度でしたが、次の宴会ではぜひお願いしましょう。そのときにマスクを取ってもらいましょう。どんな女でもすぐに結婚を申し込みたくなりますよ」
「なにかね、それは。彼は、軍事以外は普通の男だと思うがね?」
「普通の男、結構。リップヘン殿みたいな特別な男は身近に置いておくと、荷が重うございます」
だが、二人が努力する余地はまるでなかった。その晩のうちに、ジェルナン殿のマスクが剥ぎ取られて顔の一部が見えた話は、尾ひれがついて野火のように広がっていった。
「見た?」
「見てはいないけど、すごいイケメンだったってよ」
「まあ、ほんとうかしら? 見たかったわ」
「わたしは見たわ!」
「本当? 見たの? ねえ、どんなだった? どんなだった?」
「傷も何もないわ。右半分だけしか見えなかったけど、きれいな顔だったわ」
「いい男だったわ。全部見たいわ。全部とればいいのに!あんな顔なんだったら、隠す必要なんか全然ないのに。それとも左半分に問題があるのかしら?」
「女性と言うものは、ロマンチックな傾向があって……」
妻にこの話を聞かせようと試みたマーリー殿は、逆に妻からジェルナン殿のご器量について過剰と言えるような話を聞かされて、たじたじになった。
「ジェルナン殿は普通に男前なだけなのに」
実際に顔を見たマーリー殿だったが、妻のあまりの勢いに押されて、肝心なその話は出来ずじまいだった。
「行き過ぎじゃないかと思ったのですが、もう放っておくことにしました」
マーリー殿は、プレショーンには計画が暴走気味だと伝え、一方、ユーベック殿など親しい仲間内に夕べの話を報告した。
「マスクの理由はリップヘン殿に聞こえるとまずいので内緒だが、ここでだけ」
みんな興味津々だったが、リップヘン殿の性格を知る者達は、それは確かに仕方なかったろうとジェルナン殿に同情した。
だが、マスクを外していいのかと言われれば、取りにくいのも事実だった。
何しろ、リップヘン殿の機嫌が最悪だったからだ。ジェルナン殿の立候補に力を得て、あのあと女王陛下にダンスのお相手を願う身の程知らずが続出したからだ。
「でも、彼は取らないといっていた」
「どうしてだ。もう、付けなきゃならない理由はないだろうに」
「ほかに理由があるといっていた。取りたいとも言ってたな。プレショーンもその理由は知らないらしかったが」
「ふーん。なんにしろ、事情の多い男だな」
「しかし若い。年齢の割りにひどく若くみえる。いくつだか知ってたか?」
「リップヘン殿より上だろう。37、8と言ったところか?落ち着いていて穏やかな人物だ。頼りがいがある。僧院に居たのなら、まだ独身だろう。姫君の夫としては少し年を取りすぎているかもしれないが」
「25、6だそうだ」
「え!」
「でも、ずっと若く見える。最初からあの顔で話しかけられていたら、少年だと思って相手をしなかったかも知れぬ」
「一体、いくつくらいに見えるのだ」
「二十台前半だな、多めに見ても」
「まさか。とても若造の口の利き方ではないぞ」
「それでは逆にマスクをしていたほうが、よかったのかもしれないな」




